大法と人、あなたはどちらを根本にしていますか?
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2013年2月22日】私が今朝、突然悟ったことですが、私は今までずっと人間的なものを固守し、大法を根本としていませんでした。大法ではなく、人を根本としてきました。昨夜、本来なら同修と一緒に真相資料を配りに行くはずでしたが、家族の反対にあう恐れがあり、結局出かけませんでした。これは家庭の「和睦」を保とうとしたからです。

 そこから会社のことを考えると、会社でも私は上司に言われるのを恐れ、また上司や同僚たちと仕事上のよい関係を保とうとして、正々堂々と真相を伝えられませんでした。知人や親族たちにも、友情や親族間の情、良い関係を保とうとして、同様に正々堂々と伝えられませんでした。

 師父は『転法輪』の中で、このようにおっしゃいました。「道家は従来から人体を一つの小宇宙と見なしており、身体の中の大きさ、様相は宇宙のそれと同じだと考えています」 また、「各地での説法二」『二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法』の中で、師父はおっしゃいました。「実は常人社会で起きた全ては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです」

 ここで私が悟ったのは、中共(中国共産党)に「安定を維持する弁公室」(610弁公室に改名されたそうです)があったように、私の空間場の中にも「安定を維持する部署」があります。それが人類社会の平安を守ろうとし、人間的なものを固守しようとし、現状を維持しようとしていて、突破したくないのです! そしてやっと分かったのですが、今まで私がよく耳にしてきた「人間本位」という言葉は、正に自分自身のことを指しています。自分はいつも人間的なものを第一とし、大法や師父のお教えをその次にしていたのです。結果として、精進できない状態を招いてしまいました。そして、同じ状況にいる同修がいることにも気づき、私はこれを書いて、皆さんと交流したいと思いました。

 中共の「調和を保つ、安定を維持する、人間本位」などの理論はすべて、私達の心理状態に影響を与え、知らず知らずのうちに私達はそれらを理論、人の道理だと考えてしまいます。実際、中共の存在、迫害の発生、一部の人が真相を聞き入れないなどの現象は全てが私達の心によって促成されたのです。

 私達は習慣として真っ先に外を見たり、外へ求めたりして、自分の内に向けて探そうとせず、自身を省みることがありません。結果として法の真の体現が見えず、仮相や「魔の幻」しか見えず、「それは必然的で、仕方のないことだ」と諦めざるを得ないような感覚に陥ります。自分の根本的な悩みが解決されず、自身の昇華も得られず、人為的に邪悪を放任し、邪悪に利用され、邪魔され、そして迫害までされてしまいます。そして、それによって私達は精進できず、突破できず、消極的、受け身的になってしまいます。

 私達は、これからは本当に自分の「人間のものを固守する」執着を取り除き、排除し、同時に発正念して他の空間の一切の邪魔や迫害の要素を解体すべきです。また、自身を保護する観念、自身のためを思う観念、個人修煉の観念を取り除き、大法を第一に、衆生を救うことを最優先とし、現状維持の考えを改め、積極的に常人の観念を突破し、人に頼る観念や恐れる心、保守的な心を取り除くべきです。そして自分をよく修めるだけでなく、他の大法弟子と円容し、協力し合い、共に精進し、待たず頼らず、それぞれの長所を発揮し、積極的に智恵をもって衆生を救うべきだと思います。

 師父は『精進要旨』「根を掘る」の中で以下のようにおっしゃいました。「わたしが皆さんに言っておきたいことは、このこと自体が正しいかどうかではなく、このようなことを通して、まだ根本から常人の観念を変えず、人間が人間を護るという観念で物事を認識している人をさらけ出しているのだ、と指摘したいということです」 「わたしには以前から分かっていることですが、一部の人は心が大法を護るところにあるのではなく、人類社会の何らかのものを護るところにあります。あなたがもし常人であるならば、わたしは反対しませんし、人類社会を守る良い人になることはもちろん良いことです。しかし、あなたは今や修煉者で、どういう基点に立って大法に対処しているのか、これは根本的な問題で、まさに、わたしが皆さんに指摘しておきたい問題でもあるのです。皆さんの修煉の中で、わたしはあらゆる方法で皆さんのすべての心をさらけ出し、根元からそれを掘り出して取り除きます」 「皆さんがいつもわたしに引っ張られては向上し、皆さん自身で動こうとしないようではいけません。法を明確に説いてから、初めて動き、はっきりと説かなければ動かない、または逆の方向へ動いてしまいますが、わたしはこうした行為を修煉と認めることはできません。肝心なときに、わたしは皆さんを人間と決別させようとしているのに、皆さんはかえってわたしについて来ようとせず、一回一回の機会はいずれも二度と訪れないのです。修煉は厳粛なもので、差はますます大きくなっています。修煉の中にいかなる人間のものを加えても、極めて危険なのです。実は、良い人間になることもよいのですが、ただ、皆さんがはっきりと分かっておかなければならないことは、道は皆さん自身で選ぶ、ということです」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/2/16/270107.html)
 
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