【明慧日本2013年3月15日】私は1995年から法輪功の修煉を始めた大学の教員です。十数年の修煉の道は簡単・平坦ではありませんでした。尊敬する師父の保護がなければ今日まで辿り着けなかったと思います。
幸いにも法を得る
私はかつて健康になるために様々な気功を試し、お金をいっぱい使いましたが、効果はあまりありませんでした。1995年末、幸いにも『転法輪』を手に入れ、その博大な内容と奥深い中身に惹かれ、いっきに読みました。当時、友人に「私は真の法を見つけました。今後の人生で物乞いになっても、この法を手放しません」と決心を語りました。
人生の目標を見つけてから、私の世界観も変わっていきました。私は本棚に並べていた過去の様々な書籍を全部処分し、全身全霊をかけて修煉にシフトし、また法を普及させることにもとても熱心でした。毎朝録音機を持って大学キャンパス内の煉功点に向かい、皆を手伝い煉功をしました。その後、定期的に法を朗読し、使いきれない力があるように感じました。誰に会っても法輪功の素晴らしさを紹介したので、縁のある人は次々と煉功点に来て法を習いました。
真相を伝える
1999年7.20、宇宙の旧勢力は人間のゴミを利用して師父と大法を中傷し、弾圧を始め、まるで天が崩れ落ちてきたようでした。かつての煉功環境を失い、大法弟子の集まりもできなくなり、周りは変な目で修煉者たちを見つめていました。その時、私は身の回りの人々に「私の師父は決してテレビやラジオで言われているような人ではありません。それはデマです。大法弟子たちは真善忍に基づいて修煉をしているので悪いことは絶対しません。真善忍は間違っていません」と伝えました。私がいつも真相を言うので、「610弁公室」は私を連行し拘置所に入れましたが、拘置所では私にすぐ手を出さず、衣類と食事を与えました。彼らは私に「ほかの修煉者には必ず暴力を振るってから体中チェックをするが、あなただけは特別です。隊長は我々にあなたに手を出してはいけないと言いました。あなたはどんな人ですか」と聞きました。
警察が私を連行した時、私は職場で大学の学長に「今日、私はあなたたちに迷惑をかけますが、いつかあなたたちは私のような大法弟子がいたことを誇りに思うでしょう」と言いました。拘置所の受刑者たちは私から真相を知り法輪功の境遇に同情しました。彼らはみな中共(中国共産党)を嫌がり、いつも口では中共を罵り、私が中で煉功しても誰も密告しませんでした。しばらくして私は無条件で釈放されました。
2000年、私は天安門広場に行き、「法輪功は素晴らしい!」と叫びました。すると数人の私服の警察がやってきて、私に暴力を振るい警察車両に押し込みました。当時、天安門の公安出張所内は全国から真相を言うために上京した法輪功修煉者たちであふれていました。ある警察官がスローガンを叫んだ同修の顔を殴った時、私はその警察官に、「冷静になって自分の将来を考えなさい」と言うと、その警察官は私の右側の顔を殴りました。しかし、少しも痛くないのです。師父の保護だとすぐわかりました。師父が私の代わりになってくださったのです。
次々と連行される法輪功の弟子が増えて入れなくなった後、北京の西城区拘置所へ移送されました。そこで悪質な警官たちは修煉者たちに侮辱を与え、服を全部脱がせ裸にしてボディチェックをしました。しかし、弟子たちは悪質な警察の質問に名前と住所を言いませんでした。北京がいっぱいになり、当局は数十台の車両で次々と東北へ大法弟子たちを搬送しました。錦州に着くと、そこから各地域へ分散させるのですが、私はA市に搬送されました。留置場に入ると受刑者たちは私が法輪功修煉者と知って、煉功をやってごらんと誘いました。私はしばらく考えて第五セットの「神通加持法」の静功をやって見せると、彼らはいっきに近づいてきて私を殴り、直ちに警察に報告しました。彼ら(受刑者たち)は事前に結託して私を誘導し煉功させ、私を殴ろうとしていたことを私は知らなかったのです。しかし、翌日私を密告し、私に暴力を振るった数人の受刑者たちは、廊下に呼ばれて警官から暴行を受け、独房に入れられ、その後様々な虐待を受けて凍傷を負ったと聞いています。彼らも中共の江沢民邪悪集団のデマや嘘に騙され被害を受けたのです。
拘置所では昼間は作業を要求されるので、夜に師父の経文を暗記しました。徐々に彼らは私に真相を尋ねるようになりました。私が彼らに法輪功の素晴らしさと中共が不法に迫害している真相を伝えると、彼らは法輪功に同情するようになり、私も自分の住所と名前を教え、その後私を帰宅させました。
刑務所内でも修煉をやめない
帰宅したものの、仕事を失いました。私は研修センターの非常勤の医師になりました。修煉する者は、「理智をもって法を実証し、智慧をもって真相をはっきりと伝え、慈悲をもって法を広めて世人を救い済度する」(『精進要旨二』「理性」)という師父の教えのように、同修から真相のチラシをもらって配り、一人一人に真相を伝えました。その時、私に隠れていた悪い心が現れ、口で伝える方がより安全と思っていたのですが、旧勢力は見逃しませんでした。ある大学で真相を伝えている時に道端で販売をしている人によって警察に密告され7、8人の警官がやってきて私を連行し警備室に入れました。国安と「610弁公室」は私をまた拘置所に監禁して拷問し、私に煉功をやめる保証書を書くように迫りましたが、私は書きませんでした。
警察から、今後真相を伝えますかと尋ねられ、私が「機会があったらまた真相を伝え続ける」と答えると、彼らは法輪功を中傷するビデオを私に見せ、その後1年の労働教養を科しました。私の修煉に漏れがあったのです。その時私は旧勢力の計画を全面的に否定すべきだと知らなかったのです。労働教養所では過酷な労働を強制するほか、法輪功と師父を中傷する内容のビデオを見せるのですが、我々はそれに応じないし、心も動かしません。彼らは打つ手がないのです。同修の仲間と接触させず、一人一人を孤立させようとしましたが、私達はいろいろな方法で接触をしていました。彼らは全く打つ手がなかったのです。もっと大きな迫害は所内で法を学習することや煉功をさせないことでした。しかし、同修たちは師父の多くの経文を暗記していたので、お互いに交流し暗記しました。暗記した内容を紙に書いてお互いに交換していたのです。時に面会に来た家族や親戚から知恵を使って師父の新しい経文を手に入れていました。警察は3、4日ごとに捜査をして新しい経文を探すのですが、真相を知った受刑者が法輪功の弟子たちを助けて経文を隠してくれ、邪悪に迫害のチャンスを与えませんでした。
チャンスがあると所内の警察やスタッフに真相を伝えましたが、全く聞こうとしない警察がいて、彼らは絶えず法輪功修煉者に暴力を振るうのです。それでも多くの修煉者は師父の保護のもとでこの災害を乗り越えていました。ある同修は「610弁公室」に連行され洗脳班に移され迫害されました。私の釈放の時期が近づくと、地元の公安、610弁公室・町内会・国安の人員が大勢で来て、私が転向したかどうかを確認に来ました。彼らは労働教養所側からまだ転向していないと言われると怒って引き続き拘束すると暴言をはきました。当時、私は心の中で「これはあなたたちが決めることではなく、師父が決めることです」と彼らの無理矢理な要求に心は動じませんでした。釈放時期が近づくと、私は心の中で繰り返して師父に助けをお願いしました。「師父! 助けてください。私は絶対洗脳班に行きません。早くこの地獄を出て大勢の世の人々を救いたいのです」と願いました。願いは叶い私は再び真相を伝える同修と合流できました。
(続く)