自我を放下し、大法に同化する
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文/中国の大法弟子 彩霞

 【明慧日本2013年4月26日】私は既に『轉法輪』を数えきれないほど学びました。103ページには、「一部の人は何の功をやっているのか分かりませんが、身体をゆらゆらと動かしながら、口では「ねえ! うちの嫁は私にちっとも親孝行しないのよ」とか、「うちの姑はなんて意地悪なんでしょう!」とか言っています」を勉強する時、私は自分の修煉過程にあった以下の出来事を思い出しました。

 3月に、嫁が家を出てから私はずっと心が静まらず、どう考えても彼女の行動を理解できず、次第に自分の日々の生活や三つのことにも影響をきたしました。資料を配りに行くと、何をする人ですかと質問されるし、真相を伝えても、真相を受け入れる人が以前より減り、三退する人は激減し、学法時に心が静まらず、発正念時に雑念が多く、早朝の煉功時に起きることができず、昼間からうとうとし、いつも疲れを感じ、一日中心が穏やかでありませんでした。表面上、いつも通り機械的に三つのことを行っていますが、しかし思想はとっくに法から離れていました。鏡に映る自分の老けた様子を見て、私は自分が宇宙の特性である「真、善、忍」と逆行していることに気付きながら、すぐに内に向けて探そうとしませんでした。

 その後、部屋の賃貸契約が終わり、私は一駅離れたところに移る事にしました。部屋の下見をする際、私はあまり細かくチェックせず、契約をさっと結んで引っ越しました。一旦住み始めてから分かったのですが、トイレの下水はつまり、キッチンの水道パイプからはじわじわと水が漏れ、いつも濡れている状態でした。また、換気扇の下部の油受けには油が満杯で、油を下へ通す穴も塞がっていて、ファンとファンの周りも油だらけで、換気扇を回すと、油が周辺の壁へ飛び散って、汚くてたまりませんでした。私は激怒し、仲介業者と大家に騙されたと思って、大家に抗議の電話を入れました。結局大家は業者を呼んで修理してくれることになりました。しかし、来ても修理できず、翌日来ても修理できず、ダラダラと半月経っても問題が解決しませんでした。その時に限って息子は頻繁に地方の会議に参加し、事態はこう着しました。また、以前この棟に住む同修が、近所の散髪屋のお婆さんに密告されたことで5年の不当判決を言い渡されたこともあり、最近、同修達は用事があっても私のところを訪ねてきません。本当に「百の苦一斉に降る、其の如何に活くかを看る」(『洪吟』「苦其心志」)のように、苦境に陥って自力で抜け出すことができず、人心がいっぱいでした。

 ある日、私は元気なくキッチンを掃除していて、起き上った途端に、頭が吊り下げてある食器棚の角にぶつかってしまい、「ダン」という音と同時に、私は心臓に強烈な震えを感じました。頭の上部を触ってみると、三角の窪みが出来ていますが、血がなく、それほど痛くもありませんでした。手で頭を覆いながら私はリビングのソファーに戻り、頭がすっきりしてきました。これはまさに師父に「棒喝」されたのではありませんか? 私は師父の法像の前に立ち、「師父、弟子は間違いました。この間、弟子は法から逸れ、情に惑わされ、自分を放下出来ないために執着を拡大させ、旧勢力に隙に乗じられました。この正しくない状態や塞がりの全ては自分の人心によるものです。弟子は必ずその人心を見つけ、無くし、この漏れを補完します」と言いました。再び頭上の三角の窪みに触ってみると、なくなっていました。

 その後、私は仕事をしながら自分の根本の問題を探し始めました。

 嫁が家から出て以来、私はずっと辛い思いと怨みを持っていました。彼らには披露宴をしてあげなかったけれども、婚姻届を出してから既に5~6年一緒に暮らしてきました。いきなり出ていきたいと言って出てしまうのでしょうか? この数年間、家賃や生活費の殆どは私が出し、家庭内の掃除、洗濯、買い物や食事の支度もほぼ私がやってきました。それでも彼女には離婚したい兆候が見えていました。どこかに漏れがあると思いました。深く掘り下げていくと、一緒に生活してきた日々の中で、私が炊いたご飯が美味しくないと言う彼女に対し、口が肥え過ぎていると言ったり、家事をしたくない彼女に、怠けものと言ったり、服をたくさん買ってきた彼女に、節約を知らないと言ったり、怒りっぽい彼女に、魔性が大き過ぎると言ったり、彼女の前で息子の品行を褒め、反対に彼女が「穏やか・素直・恭しい・質素・謙遜」を知らない等などと言いました。私は自分が大法を修煉しているので、自分のやること、話す事は正しく、彼女は目上の私の話を聞くべきで反対してはならないと思いました。私は自己中心で、相手の立場に立って物事を考えず、彼女の気持ちを配慮せず、自分の考えを無理やり彼女に押し付けて、これらの汚い物質に彼女に耐えてもらおうとしていました。常人がどうして耐えられるでしょうか? 耐えきれずに、彼女は家から出ました。これらの人心を見つけてから、私は大分心の落ち着きを取り戻しました。

 更に深く掘り下げていくと、私の修煉の道の妨げになるものには多くの後天的に形成された要素もあることに気づきました。例えば、人間が輪廻転生の過程で形成された観念や、趣味、物事に対する感じ方によって自我が形成され、自分の基準を持って自分の行為を指導し、更に他人をも支配したくなります。他人が自分に従わず、自分の言う通りにしない時、いらいらします。この後天的に形成された自我が修煉の道を歩む私の足を引っ張ります。この自我をはっきりと認識して、否定し、無くせば、先天的本性が主導になって、初めて慈悲を持って周囲の一切に対応し、人間の偽りの理に反し、良くないことを良いこととして考え、物事は良い方向へ発展し、向上するチャンスも逃さずに済みます。そもそも人間社会は大法弟子が長く留まるところではなく、短い滞在なのに何に未練があるでしょうか? 真の家は天上にあるのです。

 『轉法輪』の中に、師父のこのような説法があります。「ねえ! うちの嫁はわたしにちっとも親孝行しないのよ」とか、「うちの姑はなんて意地悪なんでしょう!」 以前の私は前の文を好んで読み、今の私は後ろの文がよく目に入りました。何故なら、そこには私が向上する要素があるからです。あれだけ多くの良くない念を嫁に加えてきた以前の自分を今見れば、本当に意地悪です。意地悪は必ずしも彼女を殴ったり、虐待したりするとは限らず、悪念を彼女に負わせるのは更にひどいことです。師父は説法の後半になって「意念」について説かれるのは、私の理解として、一人の修煉者は最後の最後まで、容易に一つの考えや一つの念を動じてはならないことを意味していると思います。修煉者の一念には強いエネルギーがあって、相手に良い念を与えれば、相手が幸せになり、悪念を思えば相手に害を与えることになると思います。悟りを開く前、誰もが他人の複雑な因縁関係や要素を見ることが出来ず、勝手に評論したり、定義を下したりするのは間違いだと思います。宇宙の構造や万事万物を成している要素の全ては大法によって正され、師父によって決められます。一人の修煉者が何かを決めたり、行ったりするのは無駄な労力になります。人間にはそのような力がなく、この万古にない機縁の中で自分を修め、清め、法を第一に、無条件に大法に同化するしかありません。人間の情を放下し、慈悲を持って平等に衆生に当たり、大法の修煉によって得られた智恵や威徳を持って、「真、善、忍」の各次元での素晴らしさを世の人々に見せれば、彼らに自分の未来を選択する機縁を与えることが出来ます。

 法理が分かってから、心がすっきりしてきて、体も軽く、再び真相を伝えに行くと、人々も受け入れるようになりました。真相資料を配る時は邪魔がなく、大家さんは下水道の修理に積極的に協力してくれ、また、300元の水道料金を事前に支払ってくれ、いつの間にか、キッチンの水道パイプの水漏れも止まり、換気扇も直りました。

 更に予測しなかったことに、息子は帰宅後、嫁が簡単に披露宴をしてくれれば他の要求はなく、自分の借りている部屋の賃貸契約が終われば戻ってくると言ったそうです。帰ってきた時、お土産として沢山の食べ物を買ってきました。同修も次々とわが家に学法にやってきて、近所のお婆さんにも、私が救うべき生命として、積極的に接するようにしています。

 突如としてやってきたこれらの変化は、私が後天的に形成された自分を探しだし、それを排除した後、師父に全てを整理して頂いたのだと思います。正に、「修は己にありて、功は師にあり」(『轉法輪』)です。私は平然としてこれらの変化を目にし、同時に師父の説法「内を修めて外を安定させる」(『精進要旨』「内を修めて外を安定させる」)の法理を更に深く理解できました。

 同修の皆さん、後天の自我を放下し、力を合わせ、一緒に学法し、三つのことをきちんと実行し、私達の真心と生命を持って大法を実証し、大法を守り、師を手伝って法を正す誓いを果たしましょう。

 ここで、修煉の道程において助けて下さった同修達に感謝します! 次元に限りがありますので、不足のところは同修達のご指摘をお願い致します。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/4/3/263874.html)
 
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