早く精進しましょう
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文/中国の大法弟子

 【明慧2013年6月15日】私は2007年の年末に修煉を始めた新しい弟子です。法を得た当初、私は感動が止まらず、訳が分からないまま、三日間も号泣しました。

 修煉を始めて20日目、同修甲は真相資料が入った二つの大きな袋を届けてくれました。そして、これらを配りに行くよう指示しました。私は実に腰を抜かしました。その時、私は『転法輪』をまだ一通りも読み終わっておらず、新経文を聞いたこともなく、読むことはなおさらでした。同修甲は「大法弟子であれば、資料を配りに出なければならないし、人を助けなければならない」と言いました。私は大法弟子になりたいし、本気で修煉もしたいと思いました。仕方がなく、私は無理をして出かけました。マンションに入り、常人を避け、多くの道を歩き、安全に気を付け・・・その後、やっと発正念と、師父の加持を求めることを知りました。こうして突進して、私は自分の独自の道を歩き出しました。大法を実証することなら、私には使っても使い切れない程の力がありました。

 2008年のオリンピックの前、緊迫した状況が続いていて、大通りから路地まですべての道が警官、私服警察によって監視され、恐怖感が圧迫していました。家族(同修)は私に、風当たりが収まるまで、しばらく中断しようと勧めました。私は、駄目だ、これらの資料はオリンピックに対応するもので、期限が切れたら、もう使えないと言いました。私は今まで通り、資料を配りに出かけました。その後、私は資料を配りに出かけさえすれば、すべての人は私が見えないことに気づきました。これらの常人達の目はまっすぐ前を見ていて、私の存在を意識していないようでした。2人の警官がそこに立って喋っていて、私は彼らの後ろを通り越して資料を配っても、彼らは雑談に熱中し、私は私の事をして、互いに交差することはありませんでした。あとで私は分かりました。師父がずっと私を守ってくださったのです。私には恐れる心がないから、誰も私を動かすことができませんでした。

 この期間中、私達の地域で、資料を配る多くの修煉者が連行される事件が起きました。皆は困難を恐れる気持ちが出て、同修甲が資料を割り当てることがとても難しくなりました。私は思いました。古い同修は当初、危険を恐れず北京に行って、法を実証しました。私はそれに間に合いませんでした。それは私にとって、とても残念なことでした。今、彼らはすべて警官に監視され、資料を配るのはリスクが大きいです、しかし、私は監視されていないし、警官は私のことも知りません。私は何も恐れることはありません。私がこの重任を担うべきだと思いました。私は「他の同修はリスクが大きいから、皆さんはしばらくしなくても良いです。資料はすべて私にください。私が配ります」と同修甲に言いました。

 大法弟子がしっかりと行うべき三つのことの中で、最も肝心なのは外に出て、面と向かい会って真相を伝えること――衆生を済度することです。しかし、これは大法弟子にとって難しいと思われることです。私も大きな失敗をしました。

 2009年の始め頃、学習グループが法を学ぶ時、同修甲は切り出しました。「皆さんは真相を伝えに出かけなければなりません。7、8人のグループの中で、真相を伝えているのはただ1人か2人で、これは駄目です。資料を配る人でも、真相を伝えなければなりません。資料だけ配るのは駄目です。人を済度しなければなりません」そこで私は自転車に乗って、とても遠くにある公園へ真相を伝えに行きました。

 最初、口を開くのは本当に至難でした。どう言ったらいいのか全く分かりませんでした。無理矢理突進して一週間、効果は以外に悪くなく、20人余りの人の三退に成功し、チームの中での成績は一番でした。しかし、他の人は今まで通りで、ほとんどの人は何もせず、真相を伝える人も成績はイマイチでした。それを見ると、「あなた達は古い弟子でしょう。何もしないでいいのか? 私は資料も配っているのだから、あなた達がしなければ、私もしません」と、私の心のバランスが崩れました。そして、私は1人か2人に三退を勧めたら、その名前をポケットに入れ、毎週数字を集計する時に、他の同修がないと言えば、私もないと言って、その数字を出さないで、次の週に持ち込むようにしました。あると言う人がいれば、私もあると言って、その数字を始めて提出しました。こうして、私は三退をさせても、その数字を保留しておくようにして、何もしない人よりましだと思いました。私は「下を基準に」、「上には劣っても下には優れている」と言うやり方を取りました。それを間違っていると思うどころか、自分が賢いと勘違いして、本当に大馬鹿なことをしました。今でもそれを悔やんでなりません。私はこの失敗に何度も大泣きして、ひどく後悔しました。

 2009年の夏、学習グループに他地区の同修乙が来て、私達と一緒に法を学んで交流しました。同修乙は7.20後、法を実証することを1日も止めたことはありませでした。いろんな所でスローガンを貼り、真相を伝え、法を実証しました。邪悪は何度迫害しようとしても、すべて失敗に終わりました。毎回毎回正念を持って突破し、留置場から出た時でも、真相を伝えることを忘れず、10数人も救いました。最も多い日は、1日で80余りの人を救い、今までの累計で、5万人を三退させることに成功しました。それを聞いた私は、大きなショックを受けました。しかし、心が動いただけで、行動が伴いませんでした。相変わらす、いつも通りのその日暮らしをしていました。

 2011年の下半期、「明慧週刊」が、天目が開いて修煉する同修の書いた文章を発表しました。「私達の師父が衆生のため巨大な苦難に耐えられ、体は血まみれになっておられる」等と書かれていました。ある同修が見たのは、師父が縄で縛られ、長い鞭を振り回している人に叩かれ、同修は師父を救おうとしましたが、師父は同修を叱責して、その人に自分を引き続き打たせました。それは衆生の巨大な難を師父が耐えてくださったのです。もしそれを止めるならば、衆生は救いようがありませんでした。しかし、師父が受難されているのを私はどうして見ていられますか? 私は激しく泣きました。本当に師父の代わりにあの鞭をしっかりと受け、たとえ一回でも遮ることができたら、私の命を捧げてもいいと思いました。しかし、私にはその資格がありません。私は何者ではありません。私はただの狡(ずる)くて、精進しない弟子に過ぎません。私が衆生を済度する事をしっかりと行っていないため、師父はこんな難に見舞われたのではありませんか。私は人の心を捨て、真相を伝えに出かけ、多くの人を早く助け、先史の大きな願いを果たして、できるだけ早くこの迫害を終結させようと決意しました。

 「恥を知りて勇を行う」自分の行為が恥ずべきことだとわかり、今度は心から精進しようと、本気で動き出しました。心性が高まれば、真相を伝えることも、人を助けることも自分が願って行動するようになり、その効果もどんどん良くなりました。

 私は知人から伝え始めました。すぐに知人を終わらせ、地方からの出稼ぎ農民、道を歩く通行人に真相を伝え始めました。当時、一種の緊迫感を感じました。たとえ30分でも、2人を救わなければならないと頭に閃き、急いで建物を出たら、本当に2人を救いました。それから私は分かりました。私達に人を救う心さえあれば、すべての事は師父がして下さるので、私達はただ大胆に伝えるだけで十分でした。

 去年5月の初めに、偶然に駅を通りかかった時、そこで喋っている人々の群れを見ました。私はこれが良い場所だと思い付きました。もし私が彼らのお喋りに入れば、彼らは聞く時間もあるし、私は彼らに真剣に話せば、人を救うスピードはきっと速いと思いました。翌日行動を始めました。駅、バス停、埠頭(ふとう)、波止場、空港など、すべての人の流れの多い所に行って、行くところはすべて、人を救う良い場所でした。この時、同修乙が他の同修とともに、これらの所で真相を伝えているのを見つけました。その時、私は1日20人を三退させることができましたが、同修乙は1日50人以上を三退させていました。彼はもっと人数を増やそうと励ましてくれました。師父が求めておられるのは人を多く助け、早く助けることです。同修の間の励まし合いも効果がとても大きかったです。

 私は一日20人を三退させようとした時、一時3日間もその数字を突破することができませんでした。私はとても悩みました。帰ってから同修と交流しましたら、法の学習が足りないことに気付きました。毎日法を一講だけを学ぶというのは自動車のガソリンタンクに油が半分しか入っていないのと同じで、エネルギー不足で、途中で油がなくなってしまうようなものでした。そこで、私は法を学ぶことを強化して、毎日心を静めて二講を学びました。さすがに効果がとても良く、一日二講を学び続けることにしました。そして、人を救う数字もぐんぐん上昇しました。一日に救われる人数が70人まで上がった時、私は一つの光景を見ました。多くの人が一種の哀愁の目つきで私を眺めているのに気づきました。普段は目立ちませんが、私がその場を離れようとする時はそのような様子でした。私の心は寂しくて、離れるに忍びませんでした。その後、私は家事をよく手配し、人を助ける時間を延長して、人を助ける人数を増加させました。年明け、毎日100人を救うことを達成しました。今はこの数字を安定して保っています。やり方は実に簡単です。数字に達しなければ家に帰らない、これに尽きます。この心があれば、師父が私を加持してくださいます。同修も私を励ましてくれて、この何カ月は、このようにやって来ました。すべては師父がやっておられます。私が師父の加護のもとで、人を救うことは毎日必ずやり遂げなければならないとても自然な事になりました。

 中共の十八大の前、同修は私にあまりにも危険なので、何日間か休むよう注意してくれました。私は、駄目だ、人を救うこれほど大事な事を休んではならない。必ず行かなければと思いました。当日の朝、私がそこに行くと、多くの警官が厳重警備をしていて、大敵が攻めてくるような光景を見ました。私は少しも気にとめず、私の事をし続けました。私が最後の一列にやって来たとき、1人の若者がそこに座っていました。私は彼に話しかけました。「お兄さんはどこに行くのですか?」 彼はポケットから証明書を取り出して言いました。「私は私服警察です。どこにも行きません」 私は聞きました。「ここで何をしているのですか?」 「陳情者が上京してきたら、彼らを押さえます。」 「あなた達は誰を押さえるのか、どのように見分けるのですか?」 「身分証を調べて、音が鳴れば押さえます」 「あなた達、私服警察は何人いますか?」 彼はこの人、この人と指差しして、すべて教えてくれました。まるで上司に報告しているようでした。あの何日間は人を救うことに影響されることなく、人数はいつもよりも多かったのです。それは師父が私を加護してくださったからです、私はそれを知っています。

 同修達、私達が正念を持って行えば、師父は本当に時々刻々、私達を見守ってくださいます。

 過去の私と同じような同修達、早く精進に取り掛かりましょう! 時間は緊迫し過ぎています。自らに一生の遺憾を残さないようにしましょう。本日、私は真相を伝えることを主にご報告しました。三つのことは、どれもが重要です。一つも欠けることはできません。同修の皆さん、一緒に精進しましょう!

 慈悲、偉大な師尊に感謝します! 同修達に感謝します!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/6/8/275056.html)
 
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