返本帰真の歩みを一歩ずつしっかりと歩む(二)
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 【明慧日本2013年8月19日】

 三、夫を通じて情の関を乗り越える

 夫は175センチの背丈があります。私は、彼と知り合ったときから、背が高く、言葉数は少ないけれど、おとなしい人だと感じていました。悪いところはあまり見つからなかったので、縁あって私達は結婚しました。彼は修煉せず、私は彼に強要せず、彼も私の修煉に反対しませんでした。

  結婚してから、私は良い夫に出会ったと思い、最初の頃は愛していれば彼の欠点を何でも包容できると思いました。しかし現実はそう甘くなく、残酷な現実の生活を前に人心ではそこまで出来ませんが、ただ修煉を通じて、一切の人心を取り除き、慈悲の心を持って初めて他人を包容できるようになります。

  最初の頃の2人の喧嘩は、主に彼のマージャン遊びの悪習慣が原因でした。彼はよく夜中まで遊んで帰り、休日の場合(彼は大型トラックの運転手です)、午後に遊んで、夜も遊び、1日中食事と睡眠以外、彼は8~9時間もマージャン館に居続けます。私は博打打ちに嫁いだようでした。幾ら言い聞かせても耳を傾けてくれず、見向きもしてくれないので、私はこの件でかなり泣きました。

 徐々に私は冷静になり、自分がこの件に執着しすぎたことに気づき、そろそろ情を放下すべきだと思いました。人は夫々の志があり、彼はそれが好きなのに、私はなぜ無理やり彼を変えようとしたのでしょうか?

 私は修煉のためにこの世に来ており、常人の生活を営むためではなく、放下すべきです。

  それから、私はその心を放下するように努めたので、彼は好き放題に遊びました。私は学法し、彼が帰って来なくても気にせず、ずっと学法しました。時には夜中の12時まで学法し、発正念をしてから床に入り、ぐっすり寝ました。その後、私は二度と彼のマージャン遊びで怒りませんでした。

  修煉は本当に良いことです。学法しなければ、私はどうやって耐えて行けばよいか分かりませんでした。今の私は彼を怒らず、却って彼を救わなければならず、常人の彼に大法の良さを知ってもらわなければなりません。普段、私は多くの真相を伝えても彼はじっくり聞いてくれず、真相資料も見ないので、彼が何かミスをしたとき、私はそれをチャンスとして掴み、彼を怒らず、私は大法を修煉しているから怒らないようになったこと、師父の教えにある「真、善、忍」の理念を持って物事に対処できる良い人になることを彼に説明し、大法を良さを伝えました。普段、私は家で大法弟子が創作した歌や『九評』を流し、彼もそこから受益しているはずです。

  2008年、私が30歳になった年、最も印象深い師父の『オーストラリア学習者への説法』のビデオが発表され、私は涙を流しながら繰り返し見ました。いつも思い出すのは、師父の慈悲なる表情、そして師父はマイクを手に取っては置き、また手に取り、それを目にした私はこう思いました。「人間の物を放下して、初めて神のものを手に入れることができるのだ」

  数年の修煉を経て、私の夫への情は大分薄くなりました。彼はマージャン遊びが好きですが、結婚当初の数年間、夫婦の気配りがよく、お互いへの気遣いがありました。しかし、子供が3歳になってから、彼は私にだんだんと冷淡になり、仕事で夜帰宅しなかったり、休日でもいつも家にいません。その後、彼は私を避けるような感じで、連続数日帰宅せず、聞いてもいろいろな言い訳でごまかしました。私は彼を信用しようと、聞かないことにしました。そしてある日、彼が連続3日間家に帰らず、電話をかけても通じず、私はやっとおかしいと思い始め、事態の厳重性に気づき真面目に考え始めました。本当に何か問題があるようでした。私はどうすればいいでしょうか? 大法弟子としての私はどうすればいいでしょうか?

  このとき、師父の法が私の脳裏に浮かんできました。「修煉者として、常人の中で遭遇した一切の苦悩は、みな関を乗り越えることであり、遭遇した一切の褒めたたえは、みな試練なのです」(『精進要旨』「修める者はおのずとその中にいる」)私は、はっきりと自分を戒めました。私は大法弟子です。自分を良く修めるだけでなく、衆生も救わなければならず、自分の一挙手一投足を世の人々が見ており、じっくり考えてから行動しようと思いました。まず、どんな状況に遭遇しても離婚をしてはいけません。神は人々に一夫一妻の生活を規定しました。「離婚」は変異した社会が作り出したもので、大法弟子はそうしてはならず、大法弟子が今日歩んでいる道は後世の参照になります。また、親戚や友人、隣人も私が修煉者であることを知っていて、離婚すれば、彼らはどう見るでしょうか? 大法に泥を塗ることになるのではありませんか? 衆生を救うことはそもそも難しいのに、私のせいで彼らに大法に対する不理解が生じたら、私は罪人になるのではないでしょうか? 法に則って考えてみると、これは私たちの因縁関係、また、私の業力によってもたらされたことです。そして私の色欲の心を取り除くためでもあると思います。私の情欲が強く、夫に対する情が強いので、旧勢力は私の人心の隙を乗じ、この方面で私、そして彼をも滅そうとしたのです。

  私は大法に教わった「真、善、忍」で対処して、忍耐しようと思い、師父のこの法を思い出しました。「忍とは心性を高める鍵です。怒り恨むこと、不平、涙をたたえて忍ぶことは常人が世間体に執着する忍です。まったく怒り恨むことがなく、不平に思わないことこそ修煉者の忍なのです」(『精進要旨』 「忍とは何か」)私は何事もなかったように、いつもの通り家事をこなし、子供の面倒を見て、洗濯や炊事をし、午後になって同修の所を訪ね、一緒に学法をしました。4日目になって、彼は家に戻りましたが、ずっと夜更かししてきたような顔をしていました。私は何もいわずに、彼に聞きました。「お腹が空いたでしょう。ラーメンでも作ってあげましょうか?」 彼も辛いのでしょう。私は師父の法を心に銘記しています。「一つの心も動じなければ、すべての動きを制するこ とができるのです 」(『精進要旨二』「最後の執着を取り除こう」)「あなたに多くの妙策があっても、私には私なりのやり方がある」(『各地法会での説法』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」)私は自分が知るべき時期がきたら自然に知るようになると確信していました。この数日、私は頭が冴えて、多くの法を学びましたが、心の中は苦しくて、耐え難い苦しみを感じていました。私は修煉の道を歩みたければ、この苦痛に耐えるしかないと知っており、黒巣の中で受難している同修達を思えば、これくらいの苦痛は何でもないはずです。それに、実際に苦しんでいるのは私ではなく、「情」なのです。

  数日後の夜、私達は車で家に向かう途中、彼の携帯電話がずっと鳴り続けました。彼が電話に出ないのでなぜ電話に出ないのかと聞く私に、出たくないと言いました。恐らく私の前では出づらいのでしょう。家に着いてからも電話がずっと鳴り続けるので、私が代わりに出ようかと聞くと、「いいよ」と彼は答えました。電話の相手は女性でした。彼女は私ではなく、夫と話がしたいと言うので、電話を夫に代わりましたが、彼は怒り出して電話を切りました。その後、私達は向かい合ってソファー に座り、私は静かに聞きました。「言って下さい。もうこの状況ですので、何も隠さずあなたの考えを教えて下さい」彼は私が怒らず、冷静で、責めずに相談する態度と口調をみて、やっと少し落ち着いて言いました。「これからは、あなたも学法をやめ、私もマージャン遊びをやめて、一緒にこの家庭を築いていこ う。私は仕事に専念し、金を儲けて家族を養っていきます」

  その時、私は多く考えず言いました。「私が学法し、良い人になることは我が家の生活に何の悪影響も与えていません、私達の感情にも影響せず、逆にいつもあなたへは従順に従ってきました。それでもあなたが私と一緒に暮らすことを苦痛と思うなら、どうしてもお洒落やマージャン遊びが好きで、あなたと共通の趣味を持つ女性を好むなら、私は離婚に同意します。この法は本当にいいのです。私は絶対に学法を止めません」

 突然、私は体の中で原子爆弾が爆発したように、大きな振動を実感しました。修煉以来、私は天目が開いておらず、よく出来たとき、時には体が熱くなるのを感じたことがありますが、今回の体験を私は一生忘れられないでしょう。私は正しいことをしたと思います。

  私は自分の選択に後悔しません。修煉出来るのは私の福であり、私の佛縁であり、世の一切の名、利、情、家庭、子供などは私の修煉の妨げにはなりません。師父は私達に、修煉することで家庭や子供を捨て、夫のことに無関心になるようにと教えられていません。反対に、師父は私達に、如何なる状況下でも良い人になり、 両親を敬い、子供の躾をしっかりし、誰にでも優しく接するように教えられています。ただこの過程で私達自身の心を修め、常人の情を放下し、慈悲、そして更 に高尚なものを修めるようにと教えられました。

  私は真に自分を放下しました。私は自分のことを考えずに、ただ、この苦い水を私が飲んで済むならそれで良いと思い、しかも業を滅せるので、良いことでは ないかと思いました。そう思うと、私は心が軽くなり、以前の不快感がなくなりました。久しぶりに会う友人に、綺麗になったと言われました。私は双方の両親に何も言わず、常人でない私と、面子を重んじる彼と一緒に、私達自身で問題を解決しようと思いました。

  私は彼に人間としての多くの道理、神が人間に一夫一妻を定めたことを言い、今の世の流れにのまれ、自分や家庭、自分の未来を壊してはいけないと言いま した。両親に迷惑をかけてはいけないし、子供にも責任感のある親としてやっていかなくてはならないと言いました。その後、分かったのですが、彼はその女性と既に2年間も付き合っており、彼女も21歳になり、どうしても彼と結婚したくて、離婚を迫っていました。彼が言うには、この2年間は決して楽ではなく、仕事で疲れ、家に帰っても気が休まらなかったそうです。私は彼のことが理解できます。確かに、彼にとって私やこの家を手放すのは難しいことでしょう。それに、私は今まで彼の両親にも自分の親のように接してきたので、もし離婚の話を聞かせたら彼の両親はきっと悲しむことでしょう。両親のためにも、彼は私を選ぶしかないと言いました。私は彼に言いました。「何も強要しません。自分でよく決めて下さい。一つだけ覚えて欲しいのですが、人に一念が生じれば、天地の神霊の皆が分かります。善悪に報いがなければ、乾坤に必ず私が生じます。自分の生命に責任を持ってください。仕事に出るときは何もくよくよ考えず、運転に専念し、家のことは帰ってから相談しましょう」彼は私の言葉から私の寛容、忍耐、彼のために思う真心を感じ、その後、二度と彼女の所を訪ねませんでした。 しかし、彼女はずっと彼に付き纏い、ある朝、また電話をかけてきたので、私は彼がこれ以上逃げ切れないと思い、彼を助けようと、こう言いました。「もう避けないで下さい。避けるばかりでは問題を解決できません。私達は子供を連れて、一緒に彼女に会い、話し合ってみましょう」

  私はこの事件が荒唐無稽だと思いましたが、私が表に出て解決しなければ、彼女に諦めさせなければさらに何の意味があるでしょうか? 私にはまだ果たすべき使命があり、これも一種の縁かもしれません。或いは輪廻の中で私は相手を傷つけたかもしれません。それなら大法の中で善解しましょう。彼女に私たちこそが真の家族で、彼女は蚊帳の外のものだと分からせるべきだと思います。

  こうして、私達は子供を連れてその女性に会いに行きました。場所は彼女の友人の家でした。その場には彼女と2人の友人もいました。その女性は髪が乱れ、落ち着かない様子でした。私の出現に彼女達は意外な顔をしていました。今の若い子らはこんなことがあってもまったく恥をしらず、堂々としていました。私は冷静に座り、事の解決に臨みました。夫は一言も発さず、当初、相手に何を言ったか分かりませんが、今になって何をすべきかも分からず、退き難く、退くことにまだ未練があるようにも見えました。

  本当に荒唐無稽な話ですが、私が主人公になりました。彼女の友人は私を姉と呼び、私の訪問の意図を尋ねました。私は真正面から回答せず、真っ先に私が法輪大法の修煉者であること、大法の真相、大法の素晴らしさ、師父から教わった「真、善、忍」の理念に沿って生き、物事に対処すべき事を伝えました。そして三退を説明すると、彼女の2人の友人は邪党から離脱し、彼女自身も共青団からの離脱に同意しました。実は、これこそが今日私がここに来た目的でした。他の何事もそんなに重要ではなくなりました。彼女の友人らは私を尊敬し、こんなにも広い寛容の心がある良い人だと言いました。私はこれが師父から教わったことだと先方に伝え、他の事は何も言及しませんでした。

  この出来事を書いたのは、ただ師父のご恩に感謝し、大法の素晴らしさを皆に伝えたいからです。大法によって寛容できる心を得て、物事に正しく対処できる心構えができ、この忘れがたい時期を乗り越えた事に感謝します。修煉上の飛躍的な向上を得て、大きな情の関を乗り越えました。

  師父は『ロサンゼルス市法会での説法』の中でおっしゃいました。「いずれにせよ、修煉者として、必ず修煉者のやり方、修煉者の考えで物事を考えなければな らず、決して常人の考えで物事を考えてはいけません。あなたがぶつかったいかなる問題も単純なことでも、偶然なことでもなく、常人の中の問題ではありませ ん。必ず修煉に関係があり、あなたの向上に関係があるのです。あなたは修煉者なので、あなたの生命の道は変えられ、あなたの修煉の道は新たに按排されたも のなので、この道に偶然なことはありません。しかし、その現れ方は必ず偶然の状態なので、この迷いの中、常人と同じ状態の中で、はじめてあなたが修煉して いるかどうか、あなたの修煉がよくできているかどうか、あなたがこの次々と現れてくる関を乗り越えられるかどうかを見ることができます。これこそ修煉であり、これこそ正しい悟りの道なのです!」

  夫はこの数年間あまりマージャン遊びをしなくなり、仕事に専念し、子供や私に気を配るようになりました。常人の中で、「放蕩する息子の改心は金にも換えがたい」という言い方があるではありませんか? 私達は他人に新しくしっかりとやり直す機会を与えるべきです。この社会は道徳が堕ち、人心が複雑になり、人間に執着させる物事が多すぎます。修煉者として、自分の念をしっかり持たなければ簡単に流されてしまいます。私達は大法の要求に従い、学法を実修し、問題に遭遇すれば内に向けて探し、自分の人心を深くから掘り出して、人間の一切の執着、欲望を放下しなければなりません。そうすれば、真相を伝え、衆生を救う修煉の道のりをますます穏便に歩めるようになります。 

 その後、わが家にも家庭資料拠点ができましたが、夫は反対せず、時には私を手伝って消耗材を買ってきたりしてくれました。法を正す師に手伝い、衆生を救う道のりで私達はすべきことを着々とやっています。

  最後に、以下の師父の説法を皆と共に学び、励まし合いたいと思います。「私がいくらたくさん話しても、修煉の道は皆さん自身で歩まなければなりません。どのようにしてしっかりとこの道を歩み、最後まで歩むのか、このことこそ、最も素晴らしいのです。なぜなら、この道を歩む過程に困難があり、各種の試練、思 いもよらない魔難と様々な執着及び情による妨害があるからです。この妨害は家庭、社会、親族友人、ひいては修煉者同士から来ており、さらに人類社会の情勢 による妨害もあります。この全ての全てはあなたを常人に引っ張り戻すことができます。この全てを突破することができれば、あなたは神に向かっていくことが できます。ですから、一人の修煉者にとって、自らを堅め、如何なることがあっても動揺しないという確固たる正念があれば、これこそ素晴らしいのです。金剛 のように、磐石のごとく確固としていれば、誰もあなたを揺るがすことができません。邪悪はあなたを見て恐れてしまいます。もし困難の前で、念が非常に正し ければ、邪悪の迫害や妨害を前にするとき、あなたが言った、正念の強い一言は邪悪を直ちに解体することができ、(拍手) 邪悪に利用された人がすぐに逃げ てしまい、邪悪のあなたに対する迫害はすぐ消え、邪悪のあなたに対する妨害を即刻になくすことができます。正しい信念というこの一念だけですが、この正念 を守りきることができる人は、最後まで歩むことができ、大法によって造られた偉大な神になるのです」(『各地法会での説法七』「米国西部国際法会での説法」)

 (完)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/7/18/276816.html)
 
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