公務員「党文化の毒素を一掃し 法を師に精進して実修する」(二)
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子 祥雲

 三、実修してこそ、自分自身の党文化の思惟をはっきり認識できる

 【明慧日本2013年9月14日】人心は絶対に働きます。師父はそれを取り除くよう按配して下さいます。旧勢力も虎視眈々と隙に乗じようと待機しています。

  師父は私に新しい修煉環境を用意してくださいました。男女の情は学法と実修の中で残り少なくなりましたが、模範と崇拝などの党文化思惟は新たな対象者、同修Cさんを見つけました。Cさんと前に話したBさんとの出会いも当然偶然ではなく、それぞれに修めなければならない心がありました。

 Cさんも率直な女性で、交流の中で彼女は「あなたの出発点は間違っています。あなたはまだ個人修煉の状態にいます」と言いました。それを聞いた私はまったく理解できず、当然その事を認めませんでした。

 「私達は法を正す時期の修煉者で、私達は衆生を済度する中で自らを修めます。それはよく理解しています。でも、どうして私が個人修煉者と言えるのでしょうか」と私は納得できずCさんに聞きました。

  「あなたはこれを感性的に認識しています。理性的な認識ではありません」Cさんはそう言って話題を変え、他の修煉のことを交流しました。話をする間に、私は突然、彼女が指摘した問題は正しいと思うようになりました。なぜなら、私が問題を見る目と彼女が問題を見る目は随分違うことに気づきいたからです。彼女は全体の協調の中で問題を見て、自己を主張しません。しかし、私は自分から出発して部分的に物を見て、いつも自分の認識を主張しています。出発点は確かに違っていました。その時、私の感覚はまた理論的に整理できず、説明も出来ませんでした。

  新しい修煉環境で私は全体の協調に参加することになりました。次第に法を正す時期の修煉に対して、理性的な認識を持つようになりました。私は三つのことを行う際、潜在意識の中で心から衆生を済度するためではなく、自分を高めるためにやっていることがはっきり分るようになりました。これはCさん及び法理をよく分かっている同修と比べれば、出発点が完全に違っており、しかも自分はまったく気づかないままでした。さらに過去に自分の修煉状態に満足したのも、人心が膨張した自分を騙すことで、すでに同修から大きく差をつけられていることが分かりました。こうして、Cさんは早くも私の心の「完璧」な手本となりました。しかも彼女はよく師父の法を引用して交流し、積極的に仕事をして、師父が求められるものを円融しようといつも強調しているため、私はますます彼女に崇拝心を持つようになりました。

  しかし、Cさんは「温和」ではないので、私の名を求める心とよく衝突しました。次第に私は、Cさんは仕事をしたい心がとても強く、彼女は絶えず師父の法をもって皆さんに仕事を推し進めますが、個人修煉を軽視していることに気づきました。彼女の心を修めることはすべて他人を変える事で、嫉妬心は彼女に多くの同修のことを気に入らないようにさせ、一部の能力のある同修は排除され、協調することはできませんでした。彼女は正式の場で発言するとき、「スローガン」を唱えるようなしゃべり方で、実修する人にとっては「大げさで、実質的な内容がない」と感じさせますが、「スローガン」が好きな人にとっては「完璧」な感じを与えます。一方、感情的な人には興奮させ、恐れる心の持ち主には怖さを覚えさせることになります。実はこれはすべて党文化の考え方がもたらしたものです。私の党文化の思惟の中に、公式化、一律化、偽、大、空などのロジックもあり、特に「偽、大、空」の考えと行為の危害は最大です。しかし、Cさんは仕事をする時、規模や形を求め、法理についても「すらすら」と語り、自分の「偽、大、空」という毒素に合い、それは彼女の個人の執着心を覆い隠しました。その結果、彼女は邪悪による体の迫害に遭いました。

 この時、私は実修をしたため、何かに遭ったとき内に向けて探して、法を用いて評価し、法を師にすることができました。行動の中で自分の執着心を抑えることができたので、自らのいくつかの党文化の毒素をはっきり見分けることができました。

 四、法理は私達の修煉を指導してくれるが、決して常人の教科書の公式ではない

  修煉の中で私に大きく影響し、よく接する同修は4人いました。前に話したAさんとBさんとCさん以外に、Dさんもいました。私が彼と知り合ったのは7.20以前で、AさんとBさんとCさんはすべて7.20以降でした。私からすると3人の同修の共通の特徴は雄弁です。特に、AさんとBさんとDさんは法理をすらすら言えて、話をすると師父の法を度々引用しよく修めていると思われており、三人とも同じく迫害を受けたことがあるそうです。特に、AさんとCさんは同修達に崇拝されていました。しかし、Dさんは迫害された後、今になっても正常な状態に戻ってきていません。私には執着心がたくさんありますが、紙面の制限により多く述べられません。私は自分に固守せずに法を学んで、あるいは同修に指摘されたら、目が覚めたようにほとんど気づき、後はいかにその執着を取り除くことだけです。しかし、私は悟性が悪く精進もし ていません。それを引き起こすきわめて重要な原因は法を学ぶことが少ないからだと思いました。

 私の党文化の思惟があまりにも重いため、しかも長期にわたって目が覚めないため、新しい修煉環境の中で、師父が私にBさんと接することを按配してくださいました。もちろん旧勢力も虎視眈々に伴っていました。

  私はBさんとほかの同修と一緒に、ある修煉状態のよくない所で仕事するようになりました。私は漠然としていました。Bさんは現地の同修の全体の状態があまり良くなく、しかも精進している者が少ないのを見て、みんなと交流し、それぞれ学法チームを作り、責任者を推薦してもらい、また責任者にもっと地元以外の 同修と法を学ぶように提案しました。彼女は協調人ではないが、協調をしてあげました。私はこれらの行為が法を正す時期の修煉及び師父の要求に合致していると思いました。しかし、何かが足りないと感じましたが、何が足りないかは分りませんでした。実は足りないのは、私が慣れていた党文化の言語方式でした。そこ で、私とBさんはある問題について何度も議論しました。「あなたは確かに法を実証することはしました。しかし、あなたは交流する中で師父の法理を引用すること が少なく、同修は「あなた」がよくやっていると感じてしまいますが、これは自分を実証することではありませんか?」「私は自分を実証する心は確かにありま す。しかし、師父の法を引用する回数によって判断すべきではありません。私は法の上で交流していませんでしたか?」と彼女は私の質問に言い返しました。彼 女は私がまだ法理上で良し悪しを論じていると思っているようです。私はまた困惑しました。しかし執着心は見つかりませんでした。

  私は「もっと早くCさんと知り合えばよかった。もっと早く出発点を変えて、法を正す時期の修煉を理解すればよかった」と感慨に言いました。Bさんは「外に 向けて原因を探さないでください、誰に接するかは師父の按配です。あなたは法と他人を考えずに、探す目的はすべて自分がいかに修めるかばかりです。人心を 取り除いてもっと人を救うことを考えるべきです。あなたはどう探しても基点を変えることが出来ません。誰も基点の変え方を教えてくれる人はいませんよ。ではどうすればいいですか?法と他人を多く考え、法に合致していれば、私心がだんだん少なくなり、自然に基点が変わって行きます」と言いました。これは私に目を覚ましてくれました。私の根本的な問題は利己心が潜んでいるからです。師父の法が幾層にもすべて「真・善・忍」を貫いており、私のこの心が変わらなければ、法理を話す時、人を済度する時、善がどうして現れてくるでしょうか。私はある程度悟りました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/8/30/278840.html)
 
関連文章