縁ある人が私を追尾して修煉を始めた(二)
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文/河南省の大法弟子

 【明慧日本2013年10月24日】

 二、真相を伝え、人を救う

 1999年7.20当時、私は法を学んで1年近くになっており、私は「修煉」の二文字について多少認識していました。その時、あの天地を覆う勢いの迫害に対して私は驚きました。しかし、この功法は素晴らしいと感じて、私が煉功しないことはあり得ないと思いました。この強い信念によって、私は今日まで歩んで来ました。

 2001年、共産党は卑劣な手口で私を騙して、留置場まで連行しました。部屋の中に入って、初めてここに10人の大法弟子が監禁されていることを知りました。中には他の省の弟子もいました。ちょうどその時、師父の経文『大法は堅固にして破壊不可能である』が発表されたので、私はそれを身につけていました。同修達はそれを書き写して暗唱しました。彼らが書き写し終えたあと、私は出てきました。出てから、私はふとこれは師父の洪大な慈悲であることに気づきました。師父は1人の弟子も落としたくないため、私に同修たちに経文を届けさせられたのです。私は警官に騙されて、留置場に入れられましたが、私は少しも恐れることなく、恐怖心もありませんでした。

 2005年、私はある局長に真相を伝え、三退を勧めましたが、結局彼に密告され、私は留置場に強制連行されました。私は途中でずっと「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。中に入ってから出るまでの27日間、私はずっと真相を伝え、まったく怖くありませんでした。その間、邪悪が私に対して要求したことに、私はいっさい協力せず、奴隷のような労働を求められたとき、私は警官に「私にこういう労働をさせないでください、私はここに働きに来たのではありません。ここは私の居場所ではありません」と言いました。警官が私に尋問すれば、私はその人に真相を伝え、大法が素晴らしいと言い、煉功後に、いかに恩恵を受けたかを話し、煉功前と後の性格の変化を話しました。今、私は3人の嫁と打ち解けて、彼女たち同士も仲よく暮らしていました。私1人が煉功して、家族全員が恩恵を受けたことも話しました。私は彼らに「真・善・忍はどこが悪いのですか?」と聞き返すと、彼らは返答に窮しました。彼らが私に尋問しないとき、私は「一つの心が動かなければ、全ての変動を制することができる!」[1]と暗唱しました。私はずっと堂々とみんなの前で煉功しました。警官と管理員が私に功を習いたいと言い出したため、私は、どのみち大法を実証しにきたから、習いたい人がいれば、私は教え、見たい人がいれば、私は煉功して見せました。

 ある日「610弁公室」のリーダーがやってきて、手に携帯電話を持って「お前の息子達はよくやるね、外国から俺に電話が入ったよ」と言いました。私は同修達が私を救援していることを知り、正念を発する力を強化し、他の空間の邪悪な要素を解体しました。私は必ず正念を持って脱出できる、衆生を済度し、法を正す師を手伝うことは大法弟子の使命だと思いました。27日目、師父のご加護のもとで、私は正々堂々と出て来ました。出発する前、ある警官は私に「あなたのこれらのDVDですが・・・」と言おうとしたとき、私は彼にこれ以上業を作らせてはいけないと、彼の話を止め、「これらのDVDはとても素晴らしいのです。あなたが見たら、あなたにいいのですよ。見る人は誰でも受益します」と言いました。その警官も黙ってしまいました。この件を通して、「610」のボスは「610」の職務を辞め、そこから離れました。私を密告したその局長は悪の報いに遭い、彼の息子は植物人間になりました。

 2007年、私の地区の資料拠点は破壊され、大きな損失を蒙りました。私はその資料の配達を担当していたため、警察の妨害を受けました。ある警察は私に「あなたは年寄りだから、われわれがあなたをどうにもならないと思うな。お前より5歳も年上の人でも、われわれは容赦なく判決を下したぞ」と言いました。私は「あなたが言うことは当てになりません。私の師父が決められるのです。私を迫害する人は、罪を犯します。いずれ清算されます」と言いました。彼(彼女)達はがっかりして去って行きました。

 三、責任を持ち、全体を円融する

 2004年、ある地方の同修が路頭に迷って、私達の近くの農村にたどり着いたと聞きました。私は自転車で15キロ走り、彼を探して、見付けました。この同修は「何をしてもかまいません。修煉の環境さえ離れなければ良い」と言いました。市内に戻って、私は他の同修たちと相談し集団学法の環境を提供して、同修に安心して修煉させることにしました。

 迫害された同修が労働教養所から出てきたとき、私は直ちに見舞いに行き、援助し、私達の集団学法グループに参加させ、「師がおられます。法もあります。誰も私達を迫害することができません」と励ましました。

 辺境の田舎の同修は資料が足りないとき、私は直ちに同修と連絡を取り合って、同修達の衆生済度の需要を満足させました。

 私の家での学法グループはすでに10年も続けて来て一度も中断したことはありません。同修達は私がこの辺の「有名人」だと言っています。 私は「有名人なら有名人でいい」と思いました。私達は師父が按排された事をすれば、誰も私達を動かすことが出来ません! 師父は私達に正々堂々と修煉し、正々堂々と人を救い、正々堂々と三つのことをしっかりと行うように仰っておられます。恐れる心がなければ、あなたに恐れさせる物質がなくなり、解体してしまうからです。

 交流文章を書くことについて、私はあまり理解していませんでした。自分を実証する心があるのではないかと心配しました。師父が私を遅れさせないため、同修をよこして交流させてくださいました。私は同修に「私の今日のすべては大法から授かったものです。私達はしっかり把握して、大法を実証することを最優先にしなくてはならないのです。これは大法弟子の責任です」と言いました。同修は「結構です、結構です」と言いました。こうして、私が口述したものを、同修が書き、書き終えたものを読んで聞かせてもらいました。確かに法を実証しています。私はとても喜んで、投稿することに賛成しました。  

 (完)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法五』「2005年カナダ法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/10/11/280494.html)
 
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