夫が癌に罹ったことに直面して(二)
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文/湖南省の大法弟子

 【明慧日本2013年10月26日】娘はこのことを聞いて、私を抱きしめて大声で激しく泣き出し、「お母さん、あなたはあまりにもかわいそうです! あなたは彼と一緒に生活して、一日たりとも裕福な生活をしたことはありません。あなたは一生この家のために仕え、彼のために仕えてきましたが、彼はこれまで私達のために考えたことはありませんでした! しまいには彼のためにまた借金を返済しなければなりません……」と娘は叫びました。彼の親戚達もこのことを知って、私を同情してくれて、「彼のこの病気は完全に彼の自業自得です!」と言ってくれました。彼らは我が家の経済事情を知っており、私に治療を放棄するようにも勧めてくれました。さらに彼を苦しめないようにと、安楽死を提案する親戚すらいました。彼が手術が終えたばかりの数日間、私は毎日24時間体制で食事もとらず寝ずの看病をし、一方で彼にショックを与えないよう、彼の病名を隠していました。私は彼が人口肛門から排出した便、導尿管から出す尿を一日に5、6回、きちんと清浄しながら、1人で毎日病院から来るたくさんの請求書に対処して、これから発生するだろうと思われる大量の費用の出所(実はそれは自分の利益に対する執着心であり、完全に師と法を信じていないことを後で悟りました)を考えていました。私は彼からの叱責に耐えているにもかかわらず、彼は私の食事や休み、支払い能力などに対してまったく無関心でした。私がチャンスを掴んで同じ病室の患者さんに真相を伝えると、彼はカンカンに怒り、ベッドを叩いて阻止しました。私はいつものように法を学び、煉功、真相を伝える事ができなくなり、また同修達との暖かく純正な学法・交流に参加できなくなり、私はとても辛く感じました。その一瞬、私は爆発しそうでした!

 しかしながら、私は修煉して17年の大法弟子です。偉大な師尊が私に説かれた偉大な佛法はすでに心に刻まれ、私が自分の使命と責任を忘れることはありません。師尊は娘の口を通して私にヒントを与えられ、また注意してくださったため、私は早くも冷静さと強さを取り戻しました。私は彼に対してきめ細かい配慮をして世話し、病室で時間の隙を掴んで法を勉強し、煉功もしました。また夫を操り、私の修煉と真相を伝えることを妨害する他の空間の邪悪を一掃するようと正念を発しました。また、病室で「普度」を流し、ほかの患者に真相を伝え、彼らに「法輪大法は素晴らしい、真善忍が素晴らしい」をしっかり覚えるようにと教え、大法真相のお守りも送りました。

 ある日、夫が寝ついてから、私は『転法輪』の一章を読み終えて、また気の向くままに『法輪功』の「消業」を開きました。師父はおっしゃいました。「世間の理と天上の理は同じで、他人に借りがあれば、返さなければなりません。たとえ常人でも人への借りは返さなければならないのです。一生の間にあなたが遭遇する難や劫はいずれも業力から生まれたものなので、あなたはそれを返さなければなりません。本当に修煉する人にとって、あなたの人生の道はこれから変わります。あなたの修煉に適する道を改めて段取りしてあげなければなりません。師があなたの業力の一部を減らしてくれますが、残りはみなあなたの心性を高めるためのものですので、あなたが自分で煉功と心性の修煉を通してそれを返却し償えばよいのです。今後あなた方が遭遇するあらゆる問題は決して偶然なものではないので、心の準備をしておいていただきたいのです。難に遭遇させたり、常人が放下できないありとあらゆるものを放下させたりなど、あなたはあれこれと面倒なことに出会い、家庭をはじめ社会のあらゆる面から問題が現れてきます。突然何か災難に見舞われたり、本来相手に非があるのに、理不尽なことにあなたが責められ、濡れ衣を着せられたりするようなことまで起きてくる、などなどです。煉功者は病気になるはずがないのですが、突然重い病気に見舞われることがあります。病気の勢いがすさまじく、ひどくさいなまれるものですから、病院で検査を受けるのですが、何の異常もみつかりません。ところがそのうちどういう訳か、治療も受けていないのに病気が治ってしまいます。実は、あなたのある種の借りがこういう形で返されたわけです。もしかすると、いつかあなたの配偶者が何のいわれもなくあなたに八つ当たりし、かんしゃくを起こし、どうでもよいことで大喧嘩してくるかも知れませんが、あとから考えてもどういう訳なのか自分でもよく分からないことがあります。煉功者としてあなたは、どうしてそのようなことが起こったのかについて、はっきり分からなければなりません。ほかでもなくあのものがやってきて、あなたに業の償いをさせようとしているのです。その時、あなたはしっかり自分を制御し、心性を守って、事をうまく解消させなければなりませんし、それがあなたの業の消去に手を貸してくれたことをありがたく思い、それに対して感謝しなければなりません。」

 私はこれまで読んだことがないように、繰り返し師尊が慈悲に説かれたこの法理を読みました。心の中に暖かさと明るさを感じ、こらえきれず涙がこぼれて来ました。師尊は私の近くにいらっしゃいます! 師尊は常に私の修煉を見守っていらっしゃいます。私は「自分は1人の大法弟子です。師尊は修煉の道に偶然なことはないとおっしゃっていました。私はこの時、本当に大法弟子の基準で自分を律していましたか? 私は本当に師と法を信じることをやり遂げたのでしょうか? 夫はなぜこのように私に対処したでしょうか? 私の前世、あるいは幾つかの生涯で、相当大きな業を作ったかかも知れない。私は彼をどれだけ傷つけたのかもわからない」と思いました。また、私は「利益を求める心を放下したのでしょうか? 私は徳をもって恨みに報いることをやり遂げたでしょうか? 私達は衆生を救わなければならないのではありませんか? 私は大法弟子にあるべき慈悲心を持っているでしょうか? 私は無私無欲で慈悲に一人の生命を救うために考えたのでしょうか?」とも思いました。17年間の修煉で、私は自分から出て来た名、利、情への執着、利己的な心を恥ずかしく思いました! 私はしっかり修めなかったことを悟りました。また、私は「自分が過去に借りた借金を返さなければならない。私はこの機会を利用して、不潔で利己的な名、利、情を放下して、大法弟子の『真・善・忍』の中で昇華した道徳水準で、この大法と切っても切れない縁のある生命を済度しなければならない」と思いました。お金に執着する必要はありません。この空間の仮相に惑わされず、大法修煉に悔いを残さないようにしたいと思いました! 大法弟子のすべては師父が按排してくださり、師父がおっしゃる通りに、なるようになると思いました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/10/12/281088.html)
 
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