夫が癌に罹ったことに直面して(三)
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文/湖南省の大法弟子

 【明慧日本2013年10月27日】乱れた心は大法の中で平安に戻りました。落ち着きを取り戻した私は、また大法弟子の歌を歌い始めました。私は彼を見舞いに来る親戚に「私は彼とこの世で夫婦として結ばれました。彼は私の夫で、彼がもっとも緊急に助けが必要なとき、私が救わないわけにはいきません。これは一人の生命です。私は全力を尽くして彼を助けます。お金がなければ、私は家を売ります」と言いました。私はまた彼に、大法が修煉者にもたらして下さった1つ1つの奇跡を話し、師父の慈悲深さと偉大さを話しました。その中には説教もなければ、怨みもなく、ただ深い思いやりと希望だけがありました。同修達もこの時に彼を激励して、彼を慰め、彼を助け、自らの病魔から解放された話で、彼に大法を実証しました。

 師父は「修は己にありて、功は師にあり」」[1]と説かれました。私が心を正せば、慈悲の気持ちが生まれ、知恵も出てきました。絶体絶命の状況は、見る見るうちに希望が見えてきて、変化が起きました。もともと法輪功が体を浄化する効果があると全く信じていなかった彼は、自ら修煉を始めたいと言い出しました。もともと化学療法を希望していた彼は、化学療法を止める事に賛成してくれました。退院する時、清算した費用はちょうど5万元以内に納まりました。傷口の糸を解いてから、帰宅して彼は師父の説法を聞きたいと言い出して、一講を聞き終わったら、彼は私をベッドのそばに座らせ、師父の法理に対する理解や体得を交流するようにしました。彼はまた傷口の痛みが治まったら煉功したい、また私と一緒に衆生を済度することをしたいと言いました。師父は「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」[2]とおっしゃいました。これは1つの生命の目覚めで、これは1つの生命の新生と永久不変です!

 私は喜びを感じながら静かにこのすべてを見ていました。心の中で大法の慈悲深さ、不思議さと広大さに感嘆し、偉大な師尊の慈悲なる済度のご恩に感銘を受けました。私は「実は、私の夫との縁は本当に大法を共に修する縁で、ただ自分が以前迷いに陥って悟らなかっただけでした。自分をきれいに修めなければ、この誓約を果たすことが出来ない」と悟りました。

 昨日、偉大な師父は私に大法の不思議さを2つ示してくださいました。一つ目は午前中に起きました。私が充電したばかりの充電式自転車に乗ろうとしたとき、後から走って来たタクシーがぶつかりって来ました。私は上空に弾き出され、また慣性によって重々しく地面に落とされ、後頭部は地面に思い切りぶつかりました。電動自転車は私の体から前へ投げ出され、自転車のミラー、両側のフレーム、車の後ろの籠など、全部ばらばらに割れました。周りの人は驚いた声をあげながら囲んできて、私は「この人はもう終わりだ! この人はもう終わりだ!」との声だけが聞こえていました。私は静かにそこに横たわりました。全身に痛みをまったく感じませんでした。私は無意識に後頭部をちょっと触り、意識がはっきりしてから立ち上がりました。このとき、私は自分が素足で、靴はとっくにどこかに飛ばされたことに気づきました。左足は少し血を流しましたが、痛くはありませんでした。1人の30か40歳代の男の人が私の前に来て、繰り返して「あなたは強運だ。あなたは強運だ」と言いました。それから、彼は大声で茫然として私を見ているタクシーの運転手に「早くこの人に弁償しなさい! あなたは人をこれだけぶつけて、早く弁償するのです!」と言いました。他に追随して言う人もいれば、早く私を病院に運び、手当てをしなさいと言う人もいました。私はその男の人に「私は法輪功修煉者です。私は師父に加護されており、大丈夫です」と言いましたが、彼は納得しないで「それは法輪功と関係ないよ、彼に弁償させるのよ」と言いました。しかし、タクシーの運転手は私の愚痴を言っていました! 私が交通違反したとか、彼の道の邪魔になったとかを言いました。私は回りの人がみな私を見ているのを知っていたため、私はタクシーの運転手に向かって大声で「私はあなたに迷惑をかけません。あなたは安心してください。私は法輪功修煉者です、私は師父のご加護を得ています。これは佛家大法で、神佛に見守られていて、何の問題もありません。でもあなたは確かに車のスピードを出しすぎです。これはとても危険です。これから、こんなにスピードを出さないで欲しい。安全を守ってください。あなたは『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』としっかり覚えてください。危難が来た時、命が助かりますから」と言いました。この時に周りの誰かから「彼を逃してはいけないよ、警察はすでに来ているから、彼があなたにぶつかったから、弁償させなくちゃ」という声が聞こえてきました。私は警察の到着によって時間を引き止められて欲しくないため、タクシーの運転手がしぶしぶ百元を取り出して私に渡そうとしているのを見て、私は微笑みながら彼に言いました。「私はあなたに迷惑をかけません。私は法輪大法を修めています。師父は私を見守っておられます。なんの問題もありません。あなたは『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』としっかり覚えなさい。その言葉はあなたを守ってくださいますから」。話が終わって、私はみんなの目の前で、電動自転車に乗って帰って来ました。こんなに大きい事故だと、普通の人でしたら、死ななくても、大怪我になっていたに違いありません。師父が私のために耐えてくださったのです!

 二つ目のことは夜に起きました。夜、私は家事を片付け終えて、静かにパソコンの前に座り、明慧ネットのHPをクリックしたら、突然、私が去年法輪大法弟子第9期のネット法会に投稿した文章が掲載されているのを見ました(それも夫と情の関門を乗り越える話でした)。当時採用されませんでした。私は自分がよく修めた同修と比べて、差が大きく開いていると悟り、多くの執着心や顕示心があるから、掲載されなかったと思いました。私は自分をしっかり修めなければならないと思っていました。しかし今日、1年後の今日、特に私が夫との情を放下したばかりのこの時期、明慧ネットは私のこの交流原稿を載せてくれました。これは何を意味するでしょうか? 私は「偉大で慈悲なる師父がこのゆっくりと歩んできた私に対し、認めてくださり、激励してくださった」と悟りました。大慈大悲の師父よ、この愚かで罪深い私は、修煉の道でいつも失敗したり挫折したりして、いつもご心配をおかけしているのに、師父はいつも弟子に最も良く最も多くのものを賜ってくださいます! この無限な師恩を浴びて、私には感謝の言葉もありません。私は偉大で慈悲なる師父の法像の前にひざついて拝み、「師父よ、私は必ずしっかりと自分を修めます! もっと多くの縁ある人を救います!」と心の中で申し上げました。

 (完)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『
法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「法の中に溶け込む」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/10/12/281088.html)
 
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