文/遼寧省の大法弟子
【明慧日本2013年10月29 日】A同修の家を出た私は少し興奮して、また重い責任も感じました。
私は1998年に修煉を始めた古い弟子です。10数年の修煉で失敗や挫折はたくさんありました。しかし、私は決して困難に屈服することなく、大法に対する信念が緩んだこともありません。法を学ぶ中、師父は私の体を浄化してくださり、十数種類の慢性病を一掃してくださいました。師父のご加護のもとで、私は一つまた一つと関門を突破し、一回また一回の苦難を乗り越えて、大法によって私は一新されました。
私が70歳近くには見えないと言われる時、私はその話題から広げて、真相を伝えます。人との付き合いの中で私が優しいと言われる時、自分が法輪大法の修煉者であることを伝えます。10数年来、私はどのぐらいの人を三退させたか、はっきり覚えていません。また、真相を伝えることによって、10数人の人が修煉の道を歩むことになりました。でも、その詳細ははっきり覚えていません。
しかし、A同修の夫が党を脱退したことだけは、私の記憶から消える事はありません。なぜなら、彼は共産党にあまりにも深く毒害されていたのです。
A同修は60代で、私と同じ学法チームにいます。7.20当時、邪悪に強制され、やむを得ず署名して、法を学ぶことを止めました。A同修の夫は私と同い年で、1960年代、軍に入って共産党の党員になった、地区で名の知れた有名人です。
2003年の夏、ある雨の日、私はA同修の家に行き、彼女に大法の修煉に戻ってほしいと説得し、師父の新しい経文と『二〇〇三年旧正月での説法』を届けました。私達はお互いに交流して励まし合いました。Aさんの夫はそばでいらいらして、「あなたはね、頭は悪くないけれど、ちゃんとした所に使っていません。私はあなたを評価できません。あなたは何か他のことをしたらどうですか? ××党が法輪功を学ばせないのはその通りだと思います。あなた達は法を学んでご飯を食べられますか?」と言いました。私は顔色ひとつ変えないで、心の中で正念を発し、彼に真相を伝え、「真・善・忍に基づいて行動する大法弟子は迫害を受けているのです。天安門広場の焼身自殺は江××がでっちあげた自作自演です」と言いました。Aさんが私と『轉法輪』を読むと、彼は話を聞かず、私達に背中を向けました。
翌日の晩、食事を済ませた後、私達はまた法を学びました。私達は声を上げて読みました。彼は黙って、相手にしませんでした。法を学び終えて、私は立ち上がり彼に「私は心からあなたのために考えています! 私の師父が『人類社会は今日のようなところまで来てしまいましたが、皆さん考えてみてください。このまま進んでいくとどうなるのでしょうか? いつまでもこういう状態の存続が許されると思われますか? 人間が治めなければ天が治めます。人類はこのような状態に陥ると決まって劫難に見舞われてきました』[1]と説かれています」と言いました。彼は依然として黙って、何も言いませんでした。別れる時、私はさらに「私は心からあなたのために、あなたの将来のために考えていますから、こんなに夜遅くまでお邪魔したのです」と言いました。Aさんの家を出たとき、Aさんは恥ずかしがって「申し訳ありませんでした。彼は話をしてもいつもひねくれています。彼が私に大法を学ばせないのは、逮捕されるのを恐れているからです」と言いました。私は「私達は大法弟子です。普通の人と同じように張り合うことはしません。私たちは師父の話をしっかり聞くべきです。あなたの夫は心の優しい良い人で、人にも親切です。共産党の弊害を長く受けているだけです。法を正す期間が終わりさえしなければ、彼を救う機会はかならずありますよ」と彼女を励ましました。
それから、私は彼に会う度に、彼に向けて正念を発し、彼の空間場にある共産党の邪悪な弊害を一掃しました。私達の協調人も彼に三退を勧める手紙を送り、他の同修も彼に真相電話をかけました。
2006年の夏、Aさんの家に災いが次から次へとやって来ました。彼女の夫は交通事故に遭い、目を負傷しました。また、彼女の家で飼育していた親豚と14匹の子豚が突然死んでしまいました。彼ら夫妻が病院にいる間、代わりに留守番をした友人が、ある日、彼女の家の庭で亡くなりました。同修達は彼女を慰め、経済的にも援助し、病院に何度もご主人を見舞に行き、彼の家の畑仕事は私たちがどんなに忙しくても、手伝いました。
同修たちは何度も彼に「人間には活路がありません。しかし、ただ『法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい』と念じれば福の報いがあるのですよ」と言いました。
この過程で、Aさんの夫はまともな話をする時もあれば、冷たい顔をして黙っている時もありました。ある日、彼は私に「小さい時、私はとても貧しく、冬でも靴下がなく、凍りついた足では靴が履けませんでした。その苦しみは言葉で言い尽くせるものではありません。他人に知られたら、私は笑いものになるに違いありません」と言って泣きました。彼は逆に『毛沢東語録』を暗唱し始め、結構多く暗唱できました。彼の思考回路に沿って、私達は高岡(訳者注:中国共産党の政治家で、毛沢東との権力闘争に敗れ自殺した)のことから反右派闘争のこと、文化大革命のことも話しました。また「私達の小さい頃の苦しみは3年の内戦によるものです。60年代の苦しみは中ソの反目によって、返済のため、人民が飢餓を強いられていました。にもかかわらず、共産党はこの人災を3年の天災にすり変えてしまいました」と話しました。彼に『中国共産党についての九つの論評』を読むように勧めました。今回、私達はとても意気投合しました。
また秋がやって来ました。Aさんは夫に付き添って病院から帰って来ました、私達が彼を見舞いに行ったとき、彼に『風雨天地行』と、辛灏年(訳者注:中国の反体制作家)が中共(中国共産党)の抗日戦争での行いを講演したDVDを持って行きました。雑談の中で彼は笑いながら、意味深に「ありがとうございました。あなたたちに会って、私は喋りきれないほどの話をしたいと思います。時間がありますか? よく話しましょう」と言いました。彼はついに目が覚めました。今回、彼はついに脱党しました。
去年の下半期、私達の学法チームは安全のため、Aさんの家に場所を変更しました。毎晩、彼女の夫は私達にお茶を準備し、椅子を用意してくれます。このことはどれだけ喜ばしい変化でしょうか!
この共産党員の脱党の道のりを振りかえれば、本当に長いものでした。しかし師父は宇宙のすべての生命を慈悲に、大切にしておられます。しかも、私達のためにすでに道を作ってくださっています。後は私達がどれだけ心から実行するかどうかです。私達が慈悲の心さえ持っていれば、固い岩も砕けるのです。
以上は自分の現段階での少しの体得です。同修と共有したいと思いました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』