海外の観光スポットの同修は「言葉で」真相を伝えよう
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 【明慧日本2013年11月6日】観光スポットの同修の多くは、資料を配り、看板を展示していますが、直接真相を「話して」、三退を勧める人は少ないように見受けられます。師父は『2013年米国西部国際法会での説法』の中で何度も「真相を聞く」ことに言及されました。

 「もちろんこれだけではありません。まだ多くの邪悪の要素が人間の背後に潜んでおり、人によっては身体の中にも邪悪の要素があり、その人をコントロールし、真相を聞かないようにしています。」「これほど大きな集団が人間としての本来あるべき状態を失い、同時に世の人が真相を聞くことにも影響しており、非常に危険です」「もちろん、それも効果があり、行うべきことです。大法弟子のプロジェクトを私はどれも認めており、真相を伝え人を救い、皆効果があります。しかし、現在これほど多くの観光ツアーがあり、特に中国大陸から来た人の多くは真相に触れる機会のない人です。」「人間が海外に来たのは、国内で真相を聞くことができないから、海外で真相を聞くように按排されたのではありませんか? 皆さんは彼らを見捨ててはいけません。ですから、真相を伝える各地の観光地でしっかり取り組むべきです」「自分で自身の表面にある観念を汚し、悪くし、または何かに執着し、あるいは現代社会の邪悪的なもの、または大法弟子を迫害するときの邪党の虚言、迫害のために造られた虚言、注ぎ込まれたマイナス的な考えが頭に充満していれば、あなたは阻まれ、大法弟子から真相を聞くことができず、救われる機会を失います。」[1]

 師父は「真相を見る」とおっしゃっていません。「真相を聞く」と強調されていました。「聞く」と言う言葉に対応するのは「話す」ことですから、私達の観光スポットの同修はみんな真相を話すべきだと思います。

 「それでは、人間になす術がないのでしょうか?あります。どういう方法なのでしょうか? 表面の脳と主元神は表面に現れてくる考えを組み立てる主動性を持っています。行動を司ることも含まれています。考えが現れてくる前に、何を選択するのかは非常に重要です。同時に、宇宙のすべての生命は法によって造られ、法に同化しているのです。自分で自身の表面にある観念を汚し、悪くし、または何かに執着し、あるいは現代社会の邪悪的なもの、または大法弟子を迫害するときの邪党の虚言、迫害のために造られた虚言、注ぎ込まれたマイナス的な考えが頭に充満していれば、あなたは阻まれ、大法弟子から真相を聞くことができず、救われる機会を失います」[1]

 師父がここで言及された「方法がある」とは、つまり真相を話すことだと私は悟ります。あなたが話せば、衆生は「表面の脳と主元神に現れてくる考えを組み立てる主動性を持っています。行動を司ることも含まれています。考えが現れてくる前に、何を選択するのかはとても重要です。」[1]大法弟子が真相を話せば、衆生に選択の機会を与えることになります。共産党に詰め込まれた虚言を排除することができれば、その人は正しく選択し、救われることになります。

 もちろん、資料を配り、看板を展示することも重要で、しかも、とても重要です。観光スポットの同修はみんな互いに協力し合って、それぞれのことをやっています。実は資料を配り、看板を展示する同修には真相を話すチャンスがたくさんあると思います。決して矛盾していません。

  一部の同修は「看板を展示することも協力です、真相を伝える事は他の同修に任せればいい」と言います。実はこれも観念に遮られていて、口を開かないことの口実に過ぎません。それはメンツを重んじる心で、特に高学歴の同修にそのような傾向がより顕著に顕われます。

 中国の伝統的な知識人として、特に上の世代の知識人は、心の奥底にある種の知識人特有のプライトがあり、知識人の世間体に固執しています。もちろんこれは歴史的な起因があります。「学識者たちは「命を捨て義を取る」、「君を軽と為し、民を貴と為す」などの価値観を残せば、彼らに従うことをしないので、全民が「思想統一」することはないだろう」、「中国伝統文化には、「士は殺してもいいが、決して恥ずかしめてはいけない」という精神がある。」(『九評』) このような伝統的な価値観によって、中国の伝統的な知識人は伝統的な価値観を守りながら、それと同時に心の奥底に一種の孤高と自負を備えています。

 このような「孤高と自負」には良い面があります。人に「貴人は言葉を重んじる」と感じさせて、教養があるという印象を与えますが、しかし、修煉の観点から見ればこの伝統的な観念は、口を開く勇気がなく、口を開きたくないなど、衆生に真相を伝えることの妨げになります。これは上の世代の知識人だけではなく、若い世代の知識人でも、とくに知識人の家柄の人は、家庭環境の薫陶を受け、このような特徴を持っています。口を開くことを恥ずかしがって真相が伝えられません。

 私はプライベートで高学暦の同修達と付き合っています(老若を問わず)。彼らは知識が豊かで、理解や判断が早く、話がうまくて文才豊かです。しかし見知らぬ常人に出会うと、口を開かなくなり、たとえ口を開いても言葉を濁したりして、普段とは本当に雲泥の差があります。彼らの元々の美点を衆生を救う中で発揮できないのがとても惜しいと思いました。これらの同修は障害を乗り越え、存分に自分の優位を発揮できることを心から望んでいます。もし私達が真相を伝える時、確かな理由と根拠を持って、また誠心誠意穏やかな態度を示していれば、普通の人も大法弟子に感心するでしょう。そうすれば、三退をうまく勧めることも、またもっとよく法を実証することもできるようになります。

 今回の師父の説法は、何でも明白に話されており、弟子に悟らせるものは少なくなりました。私たちは直接実行すればよい、そのような印象を受けました。

 海外の大法弟子がみな真相を伝えに出てくることを期待します。時間のある人は観光スポットに多く行き、時間の少ない人は時間を作っていけばよいと思います。神に対する誓約を果たしましょう。最後、先生『洪吟二』「快講」で皆と励ましあいましょう。

 「大法の徒真相を講ず
 口中の利剣齊しく放つ
 爛鬼の謊言を暴き出し、
 急いで救度して速く講ず」

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『2013年米国西部国際法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/2/282122.html)
 
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