学法を通して困惑が解けた
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 【明慧日本2013年11月12日】同修が私に会いに来ました。同修は5分間座っていても、一言も世間話をせず、私は同修の修煉が素晴らしいと思いました。しかし、同修は帰るとき、私に聞きました。「あなたの会社の人はあなたが修煉していることを知っていますか?」私はこの言葉に含まれる意味が分かりました。「あなたの両親も含め、私たちはみな邪悪に迫害されたことがあります。しかしなぜあなただけは迫害されたことがないのですか?」直接私に聞く人もいれば、遠回りして聞く人もいます。影でそれとなく言う人もいて、私の耳に入ったことがあります。それが原因で、私は憂鬱になったことがあります。迫害されないことは悪いことでしょうか。必ず迫害を受けなくてはならないのでしょうか?

 3年前、私は、この地区で唯一迫害されたことのない大法弟子でした。同修からのプレッシャーを感じ、私はストレスがたまってきました。同修の態度は、私を苦しめました。私は、一度自暴自棄になり、落ち込んだことがありました。同修は私の事を疑っているわけではありませんが、私はただごく普通の修煉者で、無口、無愛想ですが。なぜこのような人が610弁公室、警察、あるいはスパイなどの危険から逃れることができたのでしょうか。特に上海万博の時、会社の上司はミーティングで、私を守りながらこう発言しました。

 「仕事の合間に、法輪功のチラシを配っている人がいました。このような人が私たちの中にいるわけありません」。同修たちの中には上司の発言を理解できない人がいます。

 実際のところ、衆生が大法の真相を理解した後、自らの未来を選択したのです。しかし、同修の態度は私を困惑させました。私は自信がなくなり自分にはおそらく問題があり、同修に受け入れられないのだと思いました。

 数年来、この問題によく悩まされました。なぜ私は迫害されたことがないのでしょうか?

 今日、『二〇〇七年ニューヨーク法会での説法』を読みました。「修煉者の他人に対する態度は自分の修煉の表れでもあり」 私はいくつかのことを悟り、続けて読みました。「当然ながら、どんなことも言うのは簡単ですが、私が関わるようになって、このことの性質は変わりました。ご存知のように、大法弟子は法を実証しているのですが、師父は何をしに来たのでしょうか? 師父は法を正しに来たのです。」2回にわたって「師父」という言葉を読んだら、私は独り言を言っていました。師父、私はまるで師父の体の中の一つの分子になったみたいです。その時、突然強いエネルギーが足から頭にかけて、進んできました。私は忽然とわかりました。修煉を始めてもう16、7年になりましたが、「師父」はすでに私にとってこの世で唯一の肉親です。その日から、私は世間での処世術を忘れてしまいました。もともとできない人なので、大法を得て、私の唯一の望みは早く修煉することです。一日も早く師父のところへ帰りたいと思います。

 これは私がしっかりと修煉の道を歩んできた原因だと思います、心に雑念がなく、師父と大法しかありません。すべて「修」と「煉」のため、法を正すことが始まってから、私が唯一やることは三つのことです。世の中で求めることはありません。大法のおかげで、すべてのことに執着しなくなりました。法を学んだことによって、邪悪な旧勢力に迫害されたことがありません、師父の言うことを聞き、衆生を済度します。

 ここまで悟った時、汗が流れて洋服も濡れていました。「師父」という単語の意味が分かりました――師父を信じ、大法を信じ、しっかり三つのことをやれば、一切がその中にあります。師父の慈悲なる済度に感謝いたします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/10/2/280590.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/10/24/142872.html)
 
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