大法弟子になれたことは生命のこの上ない光栄です(二)
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文/河南省の大法弟子

 【明慧日本2014年2月3日】(前の文へ)     

 北京での経験

 その後、私は自分の履歴書を北京のある外資系企業に送って応募しました。そこでも法を実証する短い経験がありました。

 北京に着いたばかりの時、軍の佐官クラスのおじさんの家に泊まりました。おじさんは父の学生時代の最も仲の良い友人だったそうです。おじさんの家に泊まって、私は先におじさんの子供に真相を伝えました。彼は小さい時から体が弱く、彼は私に「大法の師父は私のような人が要るでしょうか?」と聞きました。その後、私は彼に電子版の説法の書籍をプレゼントしました。お父さんの干渉といくつかの他の原因により、この生命はまだ法を得ていませんが、生命の返本帰真に対する渇望と大法に対する純粋な思いは、これから彼が法を得るために永久不変の基礎を築いたと思います。私は彼にお父さんに三退を勧めたらと言いましたが、彼は頭を振って、「不可能だ、父は頑固過ぎる」と言いました。私は彼に動かされないで、師父にご加持をお願いしました。夜、ご飯を食べた後、私達はいっしょに雑談しました。話題はいつのまにか国学に及んで、私は国学に沿って儒教・仏教・道教が照り映えて輝くことを話し、それから自然に話題を信仰と大法に移しました。普段あまりよく喋らない私は真相を言い始めると、いつもよどみなく喋り、知恵も師父のご加持の下でどんどん出てきます。おじさんはとても不思議そうに、彼もいろんな宗教を研究したと言って、私がこんなにたくさん知っているとは思わなかったようでした。私は彼にこれらはすべて大法の本に書かれているものだと教えると、彼は定年になったら大法の本を読んでみたいと言いました。しかし、彼は突然話題を変え、全く人が変わったように、4・25事件のことを言い出し、法輪功は政治をやっているとか、共産党が捏造した話を言い始めました。私は彼の別人のような変化に驚かされました。私はすぐに内面に向けて探し、自分に歓喜心が出てきたと気づきました。私は師父に加持を求め、必ず彼を救いたいと思いました。私は冷静に「あなたはこんなに平和な包囲攻撃を見たことがありますか? ゴミ一つなかったのですよ」と言いました。私がこのように言うと、雰囲気はすぐ前に戻ってきました。彼の子供もそばで私を手伝ってくれました。私は誠心誠意に「おじさんに三退して欲しいです。平安になって欲しいのです」と言いました。彼は「私の全ては共産党がくれたもので、共産党がなくなったらどうすればいいのか」と聞きました。私は彼の執着心に沿って、「おじさんはこんなに大きな福がある人だから、例え今日国民党が政権を握ったとしても、あなたには同じように福があるでしょう」と言いました。彼は聴き終わると、ハッハッと大笑いをしました。「よっしゃ、これから私は二つの名前をもつことにしよう。もう一つは『平安』だ」と言いました。

 翌日は面接でした。面接から就職、アパート探しまで、慈悲なる師父の行き届いた加護の下で、すべて手配されたように順調に運びました。出勤する最初の数日間、ある日、入口で1人の人が広告板を指さして、隣の人に「功を学ぶようにしましょう、あなたの知恵はすべてここにあります」と言ったのを耳にしました。この常人が何気なく言っている言葉は、師父が彼の口を通して私にヒントを与えてくださっていました。私は毎日4時間近い通勤時間と夜の時間を利用して法を学びました。その時、私は電子書籍を手に取ると全身が法に溶け込み、周囲の音が聞こえなくなり、体のすべての細胞まで飢えたように法を学んでいる感じでした。あの感覚は神聖で、素晴らしいものでした。バスに乗っても発正念をして、自分の体が高くて大きく感じ、発した正念は金剛のように威厳があり他の空間の邪悪を一掃しました。私は週末と夜を利用して真相電話を掛けたり、真相伝えをしたりしました。北京のパトカーは多くて、電話をするときに周りを鋭敏に観察しなければなりません。私は発正念をして、衆生済度を妨害する全ての要因を一掃しました。また常に自分を探し、自分の空間を清浄にし、正念を持って正しく行い、邪悪に隙に乗じられないようにしました。

 一度、タクシーに乗る時、私は手にある真相貨幣を話題にして、第三者の立場で運転手と雑談しました。運転手の態度を見ながら、知恵を持って真相を話しました。最後にタクシーを降りるとき、運転手は喜んで大声で「あなた達はみんな良い人だ、僕は知っていますよ」と言いました。

 職場で私は心を静めて働きます。ある日、部門の上司は私をじっと見て、なぜ私がいつもこんなに純粋で、汚染されていないか不思議だと言いました。月末の総括会議で、私は連続して数回優秀職員に選ばれました。大陸地区の責任者は、私を彼らが拾った宝物だと言いました。その後、私は北京を離れ、正々堂々と私の部門の同僚を三退させました。私は直接の上司に勧める時、私より何歳か年上の女性は悲しくて泣きました。彼女は私に嫉妬して悪かったと謝り、許して欲しい、大法弟子はとても優しいと言ってくれました。また安全に気をつけてください、法輪大法は素晴らしいと心から言いました。

 北京を離れる直前に、私は黄金色の布を買って来て、何枚かに切り、「法輪大法は素晴らしい、全世界は知っている」と書いて、正々堂々とバス停に貼りました。隣の常人はすぐ集まってきて見ました。その時、1台のパトカーが音をたてながら走って行きました。師父のご加護のもとで、私は少しの恐れる心もなく、無事にその場を離れました。

 離れる最後の日、私は荷物を運んでくれた言語障害の出稼ぎ農民に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしいをしっかり覚えてください」と教えました。私が乗った列車が発車しようとした時、彼は私の窓の外に来て、窓を叩いて、私に合掌して礼をしました。私の気持ちは言葉で表せません。これらの可愛くて善良な衆生はみんな済度を待っているのですね。

 母はいつも情を放下しきれていません。母は私の性格が弱過ぎるのではないかといつも心配していました。私は母に「安心してください。私は悪に触れず、いつも善を使いますから、絶対大丈夫です」と言いました。

 事実はそれを証明してくれました。師がおられ、法があるので、大法弟子は正しく歩めば、全て師父に見守られています。それに、師父が用意された護法の神もいますし、正神にも見守られています、誰にも迫害されません。正しく歩めば、妨害も少なく、難関も小さく、一つの大きな道を上へと修めて行くことができます。心を修め、欲を捨て、大きな難関を突破して、師恩の無限な慈悲を証言します。

 旧勢力の手配した魔難を乗り越える

 2年前に、私は法理が明確でなく、修煉を緩め、色欲の心を重視せず、旧勢力に隙に乗じられ、もう少しで既婚の同修Bと旧勢力が手配した自滅の道を歩んでしまうところでした。

 2011年の春、私は夢を見ました。私はビルの最上階に住んでいて、ある日、突然下で誰かが大騒ぎしているのが聞こえました。ベランダに出て下を見たら、下には同修Cらしい人と何人かの知らない人が私を指差して罵っていました。それは私が下に汚いものを投げたと言っていました。私ではないと説明しましたが、彼らは信じてくれず、「あなたは最上階に住んでいるから、あなたでなければ、誰なのか」と言い張りました。私は部屋に入って、トイレットペーパーを丸めて、笑いながら、それを証明するかのように下へ投げながら「見て、これこそ私が投げたのよ」と言いました。私は「誰が投げたのだろうか? 屋上に行ってちょっと調べて見よう」と思った途端、私は身が震えました。私は両手で屋根の縁を掴んで体は空中にぶら下がっていました。私は一生懸命上に登りながら「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。私は何度も頑張って、ようやく屋根に上がって座り、胸がどきどきしました。この時に一つの声が「お嬢さん、怖くないよ」と聞こえてきました。私は立ち上がることができて、屋根の端っこに行って下を見て、わあ、こんなに高いビルかと、もともと高所恐怖症ではない私も怖くなりました。私はどうしてこんなに高いのかしらと思ったら、この時、その声が再び聞こえてきました「将来あなたには協調人になってもらいます……」

 旧勢力は彼らの目的を達成するため、一歩一歩にとても細かい手配をしました。ある日私は何気なく2009年の大学卒業証書を見る時、偶然に私の卒業証明番号は同修BのQQ番号と全く同じだと発見しました。その時、私達はまだお互い知りませんでした。旧勢力は私が小さい時の経歴を利用して、彼らの思う通りに手配しました。例えば家族愛の薄い私が同修に会うと理性を失い、情や依存心が生まれやすいこと、また色欲の変異による報いなどを利用しました。また独身男性と未婚女性が一緒に仕事をするから、私をみんなと隔離させようと、一歩一歩本当に邪悪でした。あの時、周囲に私を助ける同修は1人もいませんでした。若い同修はもともと少なく、同じ問題を抱えている同修との交流もなく、先輩同修は私を非難するか、静観するか、そのような人ばかりでした。私は押さえられてきた物質が私の空間に充満していると感じ、執着心につられ気が動転しました。その苦痛は私を苦しめ、死んだほうがましだと思うほどでした。すべての人が私を見捨てようとしましたが、師父は私をみすてられませんでした。師父は相変わらず時々刻々に私を見守ってくださいました。私は残された僅かな正念で自分が修煉のためにここに来ていることだけは分かっていました。このように毎回、心臓をえぐられ、骨身を切り裂くような試練の下でも、幸いなことに私達は挽回できないところまで行きませんでした。そうでなければ、その事態はどうなるか想像もつきませんでした。

 あの頃、私は会社を辞め、生活も出来ない状態の中で市の試験を受けました。家に帰って1週間だけ復習して、意外にも順調に筆記試験、面接を通過して、市の定員のきわめて少ない試験に合格しました。それは市に直属する部署でした。また、私が明慧ネットを見る時、アラームを設定しなくても、パソコンの発正念の音楽は勝手に鳴りました。師父の慈悲なるご加護によって、数々の啓発、数々の棒喝……によって、私は正々堂々と歩いて来ました。この期間は師尊の弘大な佛恩と慈悲が満ちていました。この慈悲はすべての旧勢力の永遠の知恵を超越していました。

 私はすべての人心を放下してみんなの所に帰ることを決心しました。しかし、旧勢力はまだ彼らのやりたいことを諦めないで、次から次へと巨大な試練を用意しました。まず数カ月後に交通事故があって、それに続いて「死なない癌」と呼ばれる硬直性脊柱炎という病気の仮相が現れました。これだけではなく、両足のひざには相前後して液体が溜まり、私はまるで還暦に近い老人のようになり、夜中に痛みで夢から目が覚めるほどでした。私は師父の詩を暗唱しました。「一念大窮の外まで驚かし震撼す 蒼生を救わんと欲して、衆害を除く 万重なる腐朽()す旧勢力阻み 身の塵世に入れば更に知る悪し 一路法を正して天の蓋を切り開き 不正にしてかつ負なるもの全てを淘汰す 蒼天が変ぜんと欲して誰敢えて阻む 乾坤再造して永久に敗られず」[2]。これは旧勢力がわざと私の意志を潰そうと企んでいると分かっていました。しかし、今回、私はすぐに、どんなに難しくても、私は大法を実証しなければならないと思いました。外に出られなければ、私は真相手紙を書きました。私は数百枚の封筒を買ってきて、夜、収集してきた住所を書きました。その後、私は正々堂々に職場に戻って大法を実証すべきだと思いました。これらはすべて仮相の妨害で、私は絶対に認めてはいけないと思いました。

 4月に私は職場に戻り、集団学法の環境に戻りました。師父の啓発と同修のおばあちゃんの助けのもとで、また師父の「棒喝」によって私の正念が呼び戻されました。6月、液体の溜まりは自然に治り、膝の腫れも消え、7月の初めに再度交通事故に遭ったのですが、今度、私はその場で立ち上がり、ジャンプして、何事もありませんでした。私はびっくり仰天した運転手に「大丈夫です、私は大法弟子です」と教えたら、やじ馬見物する人はみんな「本当にいい人に出会ったね」と言いました。あるお婆さんは私を追って来て、ずっとその言葉を繰り返しました。今日に至って、師父のご加護のもとで私は完全に立ち直りました。

 私は自分の小さな資料拠点を作りました。初めはノートパソコンで神韻DVDの書き込みをして、それからプリンターを買ってきて明慧画報を作りました。夏休みに家に帰って、昼間は、時間があれば真相電話をかけ、夜は神韻DVDを配り、夜中は神韻DVDの書き込み作業をしました。もし昼間に用事があってパソコンを使えなければ、私は徹夜で法を学び、交流文章を読みながら、神韻DVDの書き込みをしました。

 神韻DVDを配る時、最も感銘を受けたのは、心が純粋でなければならないということでした。大法弟子が払って来た犠牲、衆生の分かる一面が済度を待っていること、また師父が衆生と大法弟子のために耐えられていることを思うと、私はますます正念が強くなります。いつも出かけて数十分で50~60枚を配ります。時には1時間近くで、百数枚を配った時もありました。受け取らない人がいないほどです。しかも多くの人はひっきりなしに有難う、有難うとお礼を言ってくれます。配るとき、私は常に自分を探すことを心がけ、正念を発して、空間を清浄にすることも忘れないようにします。時には出発する前と帰宅後、師父に香を立て、師父の慈悲なるご加護に、また本日私はこの世で法を正す師に手伝うことができたことに感謝しました。それから、自分には人心があるかどうかを探して、もし歓喜心などがあれば、私はすぐに師父に謝ります。「私の考えは間違いました、これは大法弟子がやるべきことで、まだまだ足りないのに、どうして歓喜心を持つでしょうか」と謝ります。今日、私達がここに存在する一分一秒のすべては、師父が私達のために耐えてくださっていることによって得られたものです。これらのことを思い出すと、私の心の中で佛恩に対する感謝の気持ちがいっぱいになります。私が使ったプリンターはいつもインクが消え、紙が戻る現象がありました。修煉者には偶然なことがないと私は分かります。プリンターも生命があるから、きっと私が清浄でないところがあって、プリンターは私に注意をして、問題に気づかせ、邪悪を一掃させようとしているに違いありません。赤色が不足の時、私は自分の名を求める心と自分を実証する心があるのではないか、黄色あるいは青い色が不足の時、私は急いで自分の空間の色欲心とその妨害を一掃するようにします。黒のインクが不足の時、きっと自分の思想業が上がってきて、自分がそれを抑えきれていないのではないかと思いました。私が自分の心を清浄にして、心を静めて発正念をして本を読むことができた時、プリンターは再びインクが消え、紙が戻ることはありませんでした。

 今日、ここで三つのことをやれることは、師尊の巨大な慈悲と忍耐によって引き換えたものです。大法弟子になれたことは、生命の最も名誉な事です。しかし大法にも基準があります。最後になればなるほど厳しくなります。私は今後、必ず修煉を厳粛に対応し、すべての人心を修めて放下し、純粋に精進し、三つのことをしっかりやり、多くの人を済度し、師父に少しでも楽にしていただき、少しでも多くの喜びと安心を感じさせたいと思います。

 法に合致しないところがあれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。合掌。

 師尊に感謝いたします! 同修に感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『ニュージーランド法会での説法』
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「法を正す」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/12/21/283825.html)
 
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