正念を持って正しく行い 主動的に邪悪を一掃する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年2月15日】2000年7月、私は児童誘拐事件に巻き込まれ、山東省シ博市の刑務所に拘禁されました。そこで、私は幸運にも不当に逮捕された法輪功学習者から法輪大法を知り、修煉を始め、次第に真に修め、法を正す師に手伝う大法弟子になりました。

 修煉者であることを忘れず、苦難に満ちた道を歩む

 その後、私は法輪大法を修煉したため、中共(中国共産党)に不当に連行されました。その間、夫は2人の娘を捨て、遠くへ逃れ音信不通になりました。2004年、私が黒巣から出てきた時、家は夫の一番上の兄に占拠され、家の中の家具や生活用品は夫の二番目の兄に使用されていました。私が黒巣を出るまで、年を取った母親はずっと2人の娘の面倒を見てくれました。その後、私達親子3人の戸籍問題はようやく解決されました。

 母は私が修煉することに非常に反対しました。私は棲む所がないため、母と一緒に住む以外に方法がありませんでした。私は家事全般をし、畑仕事までしましたが、休憩の時間に三つのことをすると、母は顔つきが険しくなり、物を投げたり、喧嘩を売って来ました。また「この家ではどちらを選ぶべきか、私かそれとも修煉か」と返答を迫りました。私は修煉を続けたいため、母から離れることを考え始めました。

 師父の慈悲なるご加護のもとで、私は僅か2000元で小さな料理屋を手に入れることができ、私達親子3人はとりあえず身を寄せる所ができました。そこで、私が真相を伝える相手はほとんど小学生で、彼らは私の小さな店の顧客でした。あの頃、私は地元の同修を知らず、真相資料もほとんどなく、僅か数冊の資料は私が生活を切り詰めて節約したお金で千里も離れた石家荘から頂いてきたものでした。私は小冊子をソファーに置き、大事な真相DVDは、店でお客さんに放映して見せました。

 ある小学3年生の女の子がよく店に娘と遊びに来ました。私が彼女に修煉の話をすると、彼女はいつも聞きたがって家に帰ろうとしませんでした。ある日、彼女の父親がバイクで彼女の母親と彼女の兄弟2人を乗せて道路を走っていました。バイクが道路の角を曲がったところで、正面から来た石炭を載せたトラックと衝突しそうになりました。ぶつかる寸前、女の子は大声で「法輪大法は素晴らしい!」と叫びました。石炭を乗せたトラックは彼らが乗ったバイクと擦れ違って走って行きました。お母さんは「誰に教えてもらったの?」と尋ねると、女の子は「ビーフンのおばさん」と言いました。それからお母さんは私のところに来て、この事を話しました。私はこの機会を利用して、彼女に真相を話しました。彼女は「少年先鋒隊に入隊したことがない」と言ったので、私は「法輪大法は素晴らしい」をしっかり覚えるように彼女に教えました。

 ある日、一人のお爺さんが私の店でビーフンを食べていました。私が「中国共産党についての九つの論評」を放映していると、彼は急いで「早くそれを片づけたほうがいいよ、派出所の人がよくあなたの店の前を通っているから。見られたら大変なことになる」と言いました。私は「お爺さん、法輪功が迫害されることは理不尽で濡れ衣です。法輪功の師父は人に『真・善・忍』に基づいて良い人になるようにと教えています。一方、中共(中国共産党)は人に『偽・悪・闘』を教え、焼身自殺を捏造し、法輪功の学習者達を迫害し、民衆に大法を敵視させ、天と闘い、地と闘い、人と闘っています。私は法輪功を7年修煉しました。私はテレビの中で言われているような人間でしょうか? 精神がおかしいでしょうか? 飛び降り自殺をしそうに見えますか? お爺さん、あなたはくれぐれも中共の話を信じないでください。中共は人を陥れようとしています。人は苦難に会ったら、誰でも神の保護を求めようとするのですが、中共は人に神を誹謗中傷させようとしています」と言いました。彼は「それは分かる、私は第二中学校で門番をしていた。私の妻は木を伐採したため、刑務所に拘禁されました。中には法輪功を煉功した人がいて、妻が日用品を買うお金がない時、彼女は妻に買ってくれたのですよ。本当に優しい人でした。妻が出てきた後、その話を教えてくれ、私達2人は彼女にとても感謝しています。彼女の家にも何度も伺いました」と言いました。同修は労働教養3年を宣告されたそうです。それを聞いた私はとても心を痛めました。しかし、この情報によって、私はついに地元の同修を見つけました。

 全体に溶け込み、三つのことをしっかり行う

 首を長くして1年余り待ちました。2008年、私はついにこの同修と顔を合わせることになりました。全体に溶け込みたいため、私は市内に引越し、スーパーマーケットで仕事をしました。当時、地元に学法チームがまだなく、省から来た同修と2回も交流し、やっと学法チームを設立しました。その時の人数は10人足らずでした。

 一、恐れる心を取り除いて、資料を配布する

 この地域で私は、三つの事の中で真相を伝えることが一番苦手で、恐れる心が大きな障害でした。この局面を打開するため、私は自分がどうやって恐れる心を突破したかを皆さんと交流しました。刑務所の中で、私は恐れて何も言えないところから、警察の前で堂々と煉功し、法を学ぶことができるようになったその過程を同修たちに話しました。

 私は心の中で、「師父! 私は自分を顕示しようとしているのではなく、私は自らを手本として、彼女たちを助けて、もっと多くの衆生を救いたいのです」と言いました。お正月や祭日に、私達は真相資料を背負って、車に乗って遠い市場に真相を伝えに行きました。私のやり方は、目的地に着いたらすぐに真相資料を配らず、まず地元の派出所或いは村の役場の近くで発正念をして、旧勢力が手配した中共の邪霊、黒い手などを一掃し、それから市場で直接相手に法輪功の素晴らしさを話しました。毎回とても順調に、1000枚の資料は1時間か2時間で配り終えました。

 最初、2人の同修は資料を配る勇気がなく、私は彼女たちに私の後ろで発正念をしてもらいました。次第に、彼女たちも正々堂々と直接相手に法輪功の資料を配ることができるようになり、多くの事を知りたい人に会うと、私達はさらに熱心に説明しました。ある同修は私と一緒にいると怖くないと言いました。私は「そうではなく、師がいらっしゃって法があるので、私達は恐れないのです。私の正念は法から来るもので、弟子を守って下さるのは師父だけです」と言いました。

 二、真相資料を郵送する

 2012年、中共の18回全国大会が開かれる前、私の市では4人の同修が不当に連行され、一つの資料拠点が破壊され、大きな損失を被ったたけでなく、役所の人が一軒一軒、承諾カードにサインを求めにきました。ある日、男女2人が私のところに来ました。私は「住む所も、働く場所も大変なのに、中共は我々庶民の生活に全く関心を持たず、こんなサインばかりに興味があるのですね。私がサインすれば、生活を保証してくれますか?」と言いました。その男性は険悪そうに「誰が彼女に家を貸したのか、名前を調べよう」と言いました。女性は「私達がやりたいわけじゃなく、上の命令だから」などと言いました。私は彼らを相手にせず、自分の手元の仕事に集中しました。2人はしばらく私を睨みつけていましたが、その後つまらなそうに去って行きました。

 私は彼らに真相を話しませんでした。当時、私は地元で重要な責任を担っており、またここは学法拠点であり、資料の集中地でもありました。中共は私が修煉者であることを知らないので、私は自分をあえて暴露したくありませんでした。私は別の方法、真相資料を郵送する方法で彼らに真相を伝えました。私は派出所、学校、市の幹部、警察、検察、裁判所に異なる内容の真相の手紙を送りました。

 三、邪悪な標語を除去する

 町には大通りから路地まで邪悪のスローガンが貼ってありました。これだけ多くの邪悪の迫害が現れたのは私達が三つのことをしっかり行っていないからでした。私達は旧勢力の手配を認めません。これらのスローガンが出た以上、私達はそれを取り除かなければなりません。これは修煉の道中の一つの課題で、真相を伝え、邪悪を一掃し、衆生を済度する以外にありません。私は同修と邪悪のスローガンを除去することを相談しました。夜9時頃ほとんどの商店は閉店し、店員が後片付けで忙しい時なので、その時間帯は邪悪のスローガンを除去するよいタイミングだと思いました。

 夜になって私は娘、甥、姪を連れて、身を隠すために傘をさしていました。その夜は小雨が降っており、私たちが1枚目の邪悪なスローガンの前に来たとき、パトカーが近くに止まっていました。私は緊張してドキドキしました。私はこの恐れる心を排除しながら、「恐れているのは私ではない、悪を除去するのは私の責任だ」と自分に言い聞かせました。警察が去ってからしばらくして、私は迅速にスローガンを剥がして、急いて次のスローガンのところに行き、続いて数枚を剥がしました。あと2枚は交差点にあり、スローガンの近くに串焼きを売っている露天商がいて、その周りに多くの人がいました。もう1枚の近くには3、4人の警察がいました。その数日間、至るところにパトカーや、警官がいました。警官とパトカーは数分に一回巡回し、まるでいつでも大事件が起きそうな緊張した様子でした。

 私は交差点で少し観察しました。それから甥に傘をさしてもらって、串焼きの方からの視線を遮断してもらいました。私は足を伸ばして、スローガンの一角を力強く引っ張りました。スローガンはプラスチック製で、ものすごい音を立てました。その時、数人の人が振り向いて、パトカーも私の前に走ってきました。しかし、私が全く見えていないようでした。私は子供たちを連れて帰りました。彼らに「怖かった?」と聞くと、みんな笑いながら、「大法と師父のご加護があるから、緊張しても危ないことはない」と言いました。私は「それなら明日、他の道のスローガンを剥がしに行きましょう」と言いました。

 翌日になって、私が先に下調べに行くと、そこにスローガンがなくなったことに気づきました。これは大法弟子の正念の効果だと思いました。ある同修は私に「昨日まで公安局の入口に邪悪のスローガンが高く掲げてありましたが、今日は突然なくなりました。誰かが剥がしたのかしら? あんなに高く掲げてあったらどうしたら剥がせるだろうと発正念の時にはまだ考えていました。その時、脳裏に突然一つの言葉が浮かびました。『あなたには法輪があるじゃないか?』 私は街の上空に大きな法輪が回転しているのを感じて、しかもとても力が大きかったのです」と言いました。私は笑いながら、「それはあなたの正念で一掃したのですよ」と言いました。

 ある時、私は町から20キロ離れた病院にお見舞いに行きました。道路の両側には邪悪のスローガンがスプレーされているのを見ました。私は同修たちと交流して、そこで毒をまき散らすことはさせないと決めました。夜、同修はペンキを買って来て、私たちは車で目的地に行きました。私たちは手袋をはめ、「邪教」の「教」を一文字一文字全部「党」に書き直して、新しいスローガンに変えました。「邪党が我が家に入るのを拒否する」とか「科学を尊重し、邪党を拒否する」になりました。最後の「党」の一文字のところにペンキがなくなり、私は師父に加持をお願いして、ペンキの瓶をひっくり返して置き、しばらくすると、最後の一筆ができました。数十キロの道を歩いて、私の足には水泡ができ、大変痛かったのですが、心の中ではとても嬉しかったのです。帰りに、ちょうど市内から来たバスから客が降りて、私たちはそのバスに乗って帰りました。

 私は本当に師父が傍で私を見守っておられるのと感じています。師父の一つ一つのお言葉は弟子にとって、すべてはテスト問題だと思います。弟子がよく回答できれば、邪悪は乗じる隙がありません。法の中は最も安全です。

 次元の限りがありますので、法に合致していないところがあれば、同修の慈悲なるご叱正を懇請します。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/1/20/285446.html)
 
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