文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年2月25日】(次の文へ)
大法を修煉する道で、私は転んだり、間違った道を歩みました。しかし、慈悲なる師父は私を見捨てることなく、ずっと加護してくださいました。2006年、私は左目を失明しました。私は目の障害を克服し、直接会って真相を伝える以外に、パソコン操作を学び、法輪功の資料拠点を作りました。また、60歳を過ぎた高齢の私は、真相の音声電話をかける(電話をかけてから、真相を伝える録音ファイルを放送する)ことも学び、頑張って三つのことをしっかり行い、多くの人を救い、自分の間違いを補いました。
2012年3月、また大きな難が訪れました。私は右目も見えなくなりました。両目を失明した私はこの上なく心細くなり、暗黒の恐怖により、学法することや人を救うことができず、一日中自宅にいて、まるで天が崩れてきたようでした。
苦難の中で、人間の状態から抜け出す
私は崩壊寸前になっている自分に問いかけました。「大法はすばらしいですか?」 答えは「すばらしい」でした。「あなたはまだ(大法を)信じていますか?」 答えは、「信じている」。「あなたはまだ修めたいですか?」 答えは、「揺るぎなく修める」でした。心が決まり、私は旧勢力にこう言いました。「あなたは私を迫害し、この魔難をもって私の意志を消滅させようとしています。私に学法もさせず、人も救えないようにしようと企んでいますが、妄想しないでください! 私は師父に守られています。旧勢力には私を管理する資格がありません。私は師父の話だけを聞き、師父の按排された道を歩みます」。
私は夫と相談し、毎日『轉法輪』を2講学ぶことにしました。夫が読み、私が聞きます。それから『精進要旨』を学びました。『轉法輪』を2回読んでから、2日間集中して、師父の各地での説法と新経文などを学びました。残りの時間は、夫がダウンロードしてくれた『明慧週刊』『明慧週報』『正見週刊』と法会の交流文章の録音を聞きました。
私が失明した当初、絶えず同修が私の見舞いに訪れてくれました。1人で来る人、数人で来る人、また2人の同修は50キロ離れた所から、タクシーで来てくれました。私に対する同修達の思いに私は深く感動しました。ある日、ひとりの同修は私に会うと、私を抱いて泣き始めました。私は「なぜ泣くの? 私の状態はとてもよいのではないですか?」と言いました。落ち着いてから、同修は「あなたは内に向けて探さないといけません。必ずあなたの人心か、執着心がきれいに取り除かれておらず、邪悪に隙に乗じられました。それを認めてはいけません」と言いました。また私に「夫に頼ってはいけません。自立すべきです」と言い聞かせる同修もいました。来られない同修は、来られる同修に頼んで、「これは虚像です。旧勢力の迫害なので認めてはいけません。内に向けて探し、人心を修めれば、奇跡が現れて、直ちに良くなります」と伝える同修もいました。
私は口では、「私は毎日内に向けて探しています」と答えながら、心の中ではむしろ「同修よ、私はそれを認めたくありません。しかし、私は確かに見ることができないのです」と思っていました。あの当時、同修からの期待や自分の迷いと心細さによって本当にとても苦しかったです。また、すべての仕事は夫が負担し、私は何も助けることができず、情の心も生じてきました。私は夫に、「私はもう耐えられません。どうして私はこれほど大きな難に遭遇したのですか?」と聞きました。夫は「精神的に崩れてはいけません。師父は『物質と精神は同一のものである』[6]、と説かれました。あなたは師父の弟子です。師がいてくださり、法があるのに、何を恐れますか? 生活は私がしっかり面倒をみてあげるから」と慰めてくれました。
私は師父が夫の口を借りて私を悟らせてくださっていると分かっていました。私は繰り返し、師父の『オーストラリア学習者に対する説法』のDVDを聞きました。師父は『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』の中で、「私がいつも言っていることですが、大法を学んだら、良いことにあっても悪いことに遭っても、皆良いことです。(拍手)なぜならば、あなたが大法を学んだから現れてきたことだからです。大法を学んでから、多くの魔難に遭っている学習者がいますが、もし修煉しなければ、これらの魔難はあなたを壊滅に向かわせるのです。大法を修めたから、これらの魔難が前倒しでやってきました。受けた圧力が強く、心性に対する試練をなかなか乗り越えにくく、時に大きな関に遭いますが、なんと言ってもこれらの魔難は必ず去っていくのです。全部清算され、勘定されるのです。(みな笑って)これはとても良いことではありませんか? ですから、良いことにあっても、悪いことに遭っても、大法さえ修めていれば、全ては良いことです。これは揺るぎのないことです。(拍手)」と説かれました。また「修行の路、苦に非ず 生々世々の業力が阻む 思い切って業を消し、心性を修め 人身を永く得れば是佛祖」[1]と説かれました。
私は心の中が明るくなってきました。心身ともに楽になり、その苦しみ、その心細さ、その迷いが一瞬でなくなりました。私はこの次元の法理がはっきり分かりました。「大法を得るために、億万年輪廻転生するなか、造った業力は魔難の中で返さないといけません。返し終わったら、師父と一緒に家に帰ることができます」。法理が明らかになると、私はとても幸せを感じ、苦しみがなくなったばかりか、本当に自分は宇宙の中で幸運であると感じました。
この魔難のなか、私の修煉状態は時には良かったり、時には悪かったりしました。6月にまた1人の同修が私の見舞いに訪れました。その日、私は気分がとても悪く、ずっと涙を流していました。寂しさ、心細さなどの人心がすべて戻ってきました。私が涙を流すと同修も泣きました。彼女は私を慰めてくれました。「気持ちがすっきりしてないようですが、あなたはまだ強いです。よく耐えています。もしこのことが私の身に起きたら、私は耐えられないかもしれません」。
夕方になるまで私の気分は不安定でした。娘が会社から帰って来て私の気分がよくないのを見て、父親に「ママはどうしたのですか?」と聞きました。夫は「今日、お母さんは気分がよくありません。むしゃくしゃして、耐えがたい寂しさでとても苦しいようです」と答えました。娘はそれを聞き、私を慰めないばかりか却って私を責めました。「何が寂しいの? 何が苦しいの? 毎日お父さんが付き添って学法しているし、同修も見舞いに来てくれるし、また学法グループに行って、学法して修煉することもできるし、MP3、音楽プレーヤーもあって、明慧ネットの交流文章を聞くこともできます。見えなくても、聞くことができます。山の中で道を修める人は洞窟のなかで修めています。あなたは山の中で道を修める人と比べて苦しいですか?」と責めました。私は師父が娘の口を借りて、再び私を悟らせてくださっていると深く感じました。また師父にご心配をかけてしまいました。その時、師父の法が私の頭に浮かんできました。「大法を堅く修め心動かず 次元の向上こそ根本である 試練に直面し本性を見る 功成って圓満成就し、佛、道、神となる」[2]
夜、同修の交流文章を聞きましたが、そのタイトルはちょうど「修煉は苦しいですか」というものでした。自分に照らしてみると、私は迫害によってやむを得ず路頭に迷っている同修や、非合法に刑務所に監禁されている同修に比べると、苦しくありません。私には一緒に学法し、煉功してくれる同修の夫がいます。生活の面倒をみてくれる人がいます。修煉の路には師父のご加護があります。私は本当に苦しくありません。すべては放下できない人心と執着心で、捨てることができないから苦しかったのです。師父は、「皆さん、ご存知ですか? 佛は皆さんを済度するため、かつて常人の中で物乞いをしていたのです。わたしは今日、門を大きく開いて 大法を伝え、皆さんを済度しています。わたしは無数の苦難を嘗めても苦しく感じたことなどないのに、皆さんはまだ何が放下できないのでしょうか? あなたは心の中で放下できないものを天国へ持っていけるのでしょうか?」と説かれました。私は「自分の精神力を強くし、次元を向上させるべきです」と悟りました。
その日から、私は毎日2時間やっていた座禅を、3時間に延長しました。夜10時から12時まで静功をする前、1時間座禅して発正念をしました。念入りに発正念し、人心を取り除きました。私はずっと発正念をとても重視しています。なぜなら、これは師父が求められていることだからです。私はこの大きな難をよく乗り越えるには、煉功をしっかりする以外に、発正念を多くし、またしっかり学法し、多く学法すべきだと認識しました。「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[4]
学法と煉功の時間を増やしてから、着実に自分を修煉し、怖れる心、利己的な心、名利情の心、歓喜心、顕示心、嫉妬心、闘争心、色欲心、自分を実証する心、人に言わせない心、財を求める心など、多くの人心を見つけました。私はそれらを正視し、発正念して根絶しました。
(続く)
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「因果」
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「真性を見る」
[3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「真修」
[4] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
[6] 李洪志師父の著作:『轉法輪』「煉功してもなぜ功が伸びないのか」