文/黒竜江省の大法弟子
【明慧日本2014年2月28日】
一、技術をもっている同修への依頼心を取り除く
この間、他の省に行った際に、ある同修からこのような話を聞きました。その同修はある技術に詳しいため、毎日とても忙しく、すでに十数日間も学法することができませんでした。私はその場で言いました。「それでは駄目ではありませんか! 修煉者にとって、学法は何よりも重要です。どうしてそこまで忙しくなったのですか!」。その同修は疑問をぶつけてきました。「しかし、同修たちは技術的な支援を必要としているので、無視はできません。どうすればいいでしょう?」
この問題に関して、私は二つの方面から個人的な意見を述べてみたいと思います。その一、その同修は毎日学法を最も重要なこととして、何があっても動じず、自分を良く修めるべきです。師父が按排して下さった修煉の道には必ず学法の時間があるはずです。同時に、発正念をして、旧勢力が同修たちを利用し、学法を妨害する一切の要素を取り除きます。そのような正念があれば、師父は直ちに加護して下さいます。環境は必ず変わります。何故なら、師父はおっしゃいました。「相は心から生じる」[1]
その二、他の同修たちよ。技術の同修に頼もうとするとき、まず内に向けて探し、自分を修め、いつも外へ求めてはいけません!(もちろん、本当に技術を教えてもらわなければならない人もいます) 私も技術に疎いのですが、そのような技術を要する場面に何回か遭遇したことがあります。
ある同修は自宅で資料拠点を開きましたが、突然コンピュータが動かなくなったり、あるいはプリンタが故障したりして、当の同修は技術の同修が来るのをひたすら待つばかりでした。私はその同修に言いました。「あなたの修煉状態によってこのようなことになったと思います」。同修は自分が現在執着しているものを内に向けて探し、非常に強い依頼心を発見しました。その後発正念し、もう一度資料の印刷を試してみると、全てが順調にいきました。この過程において、その同修は多くの人心を取り除き、悪いことが良いことに転じました! その時、私はそのパソコンやプリンタの背後にいる生命が笑っているのを見ました。正に師父が教えて下さった通り、「物質と精神は同一のものです」[2]
二、協調人も自分をよく修めるべき
私は小さい町に住んでいるので、周辺にあまり同修がいません。今回、他の省に行って、そこの同修や協調人と一緒に数日間、駆けずり回って、本当に色々なことを目にしました。例えば、病業の関を乗り越えられない様々な人、法を邪に悟っている人、衆生を救うための各種のプロジェクト、様々な香や香炉の販売などなど、その協調人は朝から晩まで走り回り、学法と煉功もまともにすることはできません。それを見て、私は師父のこの説法を思い出しました。「とうとう煉功もできなくなり、この物理的な身体も耐えられなくなります。精力の消耗があまりにも大きいので、下手をすると廃人になるかも知れません」[2]
この協調人は古くからの弟子で、現在もまだ体のあちこちが痛いそうです。発正念の時に手が倒れ、時には体全体が倒れたりもします。ある日、私たちが彼女のために発正念をした時、彼女はやはりあちこちが痛いと言い、最後に、聞いている私が笑ってしまいました。痛い所があまりにも多いからです。これでは駄目です! 私は彼女と交流し、まずは学法と煉功をきちんと行い、それで初めて法に基づいて大法を認識することができ、そして、大法のプロジェクトを実行する際に、倍の効果が得られるのです。また、発正念を強化し、旧勢力によるこの種の妨害を否定し、師父が按排して下さった道のみを歩むのです。
また、自分が担当している分野・プロジェクトを手放し、それを具体的に分担して、それぞれに協調人を育てます。個々の同修が良く修めればそれぞれがトップになり、皆はそのような能力があります。
また、香や香炉などの些細なことは気にせず、これらのことには無為で、節度を認識することも必要です。
以上は私の現在の次元から思いついたことです。同修たちのご指摘をよろしくお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「大紀元会議での説法」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』