地獄が受け入れない人ー真の大法弟子になる
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文/王香蓮・口述 同修・執筆

 【明慧日本201439日】私は今年63歳で、辺鄙な遠い山村に住んでいます。慈悲で偉大な師父は、この哀れな私を地獄からすくい上げて下さり、全身の業力をきれいに洗い落とし、私を1人の真の大法弟子に仕上げてくださいました。

 一、地獄が受け入れない

 35歳のときに、私は2人目の娘を出産しました。私は体が弱く、病気がちで、さらに生活も苦しかったため、妊娠してから産後1カ月の間、ほとんど毎日トウモロコシの練り粉を食べて過ごしてきました。私は「自分の運命はどうしてこんなに苦しいのか? 嫁ぎ先はなぜこんなに貧しいのか?」と嘆き、怒りと悔しさが入り混じって不平を言い、病気持ちの体が一層悪くなりました。

 その当時、私はよく意識不明になりました。ある時、また気を失い、私はとても暗いところから階段を降りて行ったようでした。そして、私は大きな御殿にたどり着き、立ち止まって見ると、1人の人が両手で横断幕を挙げて走りながら、声を長く延ばして「ご報告いたしま――す、王香蓮の到着で――す!」と叫びました。それからこの人は、細長い机の前にひざまずきました。そこには赤い袍を着て、頭に王冠をかぶっている人が端座していました。その人は腰に玉の帯を付け、王冠の前には数珠を垂らし、その数珠が揺れ動いていて、顔がはっきりとは見えませんでした。彼の後ろには2人の女官が大きい羽扇(うせん)を持って交差し、両側に立っていました。テーブルの横には先生らしき人が立っていました。

 私は冥土(めいど)に来ていると分かりました。その時、閻魔(えんま)さまは閻魔帳を調べていて、その上には人名がいっぱい書かれていました。私は勇気を出して側に近づき「閻魔さま、私は後どのくらい生きられるでしょうか?」と聞きました。隣の先生らしき人は「古」の苗字(主人の姓は古です)の下に私の名前を見つけて、私の名前に×印を付けられ、その×の上には紙が貼られていました。私は「私の名前になぜ×印が付けられているのですか? どうして紙が貼られているのですか?」と聞くと、先生らしき人は「×と印付けられたら、この人は死ぬことを意味します。紙が貼られたら、この人は地獄の管轄ではないということです」と言った瞬間、私は激しく押されました。

 あっという間に、私は目が覚めました。この時、ニワトリの鳴き声が聞こえ、ちょうど午前3時でした。

 二、法輪功が郷里に伝わって来た

 夫の家はオンドル(床下暖房)の上に敷くご蓙も半分しかないほど、郷里では貧しさで有名でした。姑は背中が曲がっていて、ほとんど仕事ができず、舅はおとなしい性格の人でした。家族全員が着る服もみっともなく、人前を歩くと馬鹿にされていました。夫もおとなしすぎて、誰にでもいじめられるほど臆病・無能な人で、家の中の何事にも意見を言わず、何も決められません。農村では、あまりにおとなしすぎると生活できないものです。私も本来無口で、胆っ玉の小さい女でした。しかし、こんな所に嫁いだからには、突っ張ってでも生活して行かなければなりませんでした。あの時、私は本当に世間の冷たさを身をもって経験し、生活の貧窮から日に日に強くなり、最後には怖い物知らずになりました。

 私はかつて救援金の支給が不公平なため、郷政府で何度も大暴れをし、庭の南瓜が盗まれたため、アルミ鍋を木に掛けて、罵りながら一晩中叩き、鶏や犬までも安らかにできないほど大騒ぎをしました。畑の男性仕事も私がするし、農作業なら何でもしました。その結果、生産大隊の隊長は私に男がする仕事をさせてくれました。それは、郷でも初めてのことでした。郷や村の幹部が私の家に土地使用料を徴収しに来ても、一度も徴収に成功したことはありませんでした。お金があっても私が払わないからです。誰かが私や私の家族をいじめるなら、私はその人の家の玄関口に立って大声で罵り散らしました・・・・・・。

 中共(中国共産党)当局の統治下で、本来善良で優しかった私は、生活の貧窮から、性格が乱暴で、口を開いたら人を罵り、手を挙げたら人を叩く「男のような女」となりました。私の強硬な行為と引き換えに得たのは尊重ではなく、村人の敬遠でした。それは「あなたに逆らえなくても避けて通れないことはないだろう」というものでした。村長や村の幹部も、私に対してどうしょうもありませんでした。

 1996年頃、法輪功は私の郷里に伝わってきました。村長、郷政府の幹部達は「もしも誰かが王香蓮に法輪功を煉功させたら、それは功績が大きいだろう」と言いました。すると、ある人が私に法輪功を勧めました。そして私に「この功法はとても素晴らしく、一銭のお金も使わずに病気が治るから」と言ってくれました。私は心を動かされました。あの頃、私の体は酷使しすぎて赤信号が出ていました。しかし、どこへ行けば功を学べるでしょうか? 近くの村にも他の村にも学ぶ人がいませんでした。

 私は頑固で、決めたことはとことんやるタイプです。私は出かけて、あちこちを訪ね、いつの間にか市内の某社宅団地で、ある男性と出会い、彼に「法輪功を煉功するところがありますか?」と尋ねました。その人は私の話を聞いて笑い「あなたはよく聞いてくれました。案内します」と言って、私をある方の家に案内してくれました。その一家はとても親切で、私に五式の功法を教えてくれ、その上、私に一冊の『轉法輪』をプレゼントしてくれました。

 3日後、私は貴重な書籍を持って、村に戻りました。私は、1997628日に大法弟子になりました。

 三、村人は私を見直すようになった

 修煉を始めてから、私は飢えたように『轉法輪』を拝読し、読めない字は子どもに聞きました。その頃、私はどれだけ泣いていたかをもう覚えていません。私は初めて人生の本当の意味が分かり、人の病気、災い、貧しさなどはすべて前世に作った業力によるもので、大法修煉だけが今後の人生を変えることができると分かりました。自分の今までの無知な暮らし方、人との争いや戦いなどを思うと、本当に疲れすぎて嫌なものでした。修煉を始めてから、私の性格は明るく優しく変わり、心に抱えた積年の恨みも溶け、心の扉が開き、生命の帰着点を見つけ、生活は楽しくなりました。

 私は負けず嫌いの性格を変え、喧嘩や罵りなどの悪習も変えました。以前の私は、一言で人を吹っ飛ばすことができましたが、今の私は、人を尊重し、話し方も礼儀正しくなり、人に親切で優しく接し、譲ることや辛抱することもできるようになり、損をしても言い争うこともなく、近所の人とも仲良く暮らし、誰かに困難があれば、私は必ず助けに行き、全て人を優先に考え、何事も「真・善・忍」に基づいて行動しました。それによって、同郷の人達も「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」ということが分かりました。修煉して半年と経たないうちに私は健康になり、体は無病で軽く、若返りました。

 修煉して2年目、郷の幹部と村の幹部一行の45人が、私の家に土地使用料を徴収に来ました。私はそのとき、手元に確かにお金がありませんでした。私は幹部たちを困らせないように、トウモロコシの粒を1袋入れて村長に渡し「お手数ですが、これを売ってお金にしてください、このお金は土地使用料に十分足りるから」と言いました。幹部たちは門前払いを覚悟していたため、私のこのような行動にとても驚き「私たちは一周しても、誰からも徴収できませんでした。今年は、あなたが1人目です。あなたは本当に変わったのですね。私たちはあなたを見直さなければいけませんね。一体、何があなたを、これほど情理をわきまえるようにさせたのでしょうか」と言いました。

 私は答えました。「法輪功を学んだからです。法輪大法は私を変えました。私の師父は私達に何事も人を優先にして、いい人になるように教えてくださっています」。すると、幹部たちは親指を立てて「あなたの師父に敬服します、法輪功に敬服します。あなたたちの師父は凄いです」と言いました。村人も私が修煉してからの変化を見て、みんな「王香蓮は本当に生まれ変わり、まったく別人になりました。法輪功は本当に凄いです」と言いました。

 2012年に家を新築し、棟上げの日に村人達もみんな手伝いに来ました。ご飯を作ってくれたり、水を運んでくれたり、木材を担ってくれたりして、とてもにぎやかでした。おとなしくて温厚で篤実な夫も、生まれて初めて笑いが止まらず、非常に楽しそうでした。昔の村人達はみんな私を敬遠していましたが、今は、全村の人たちが私を手伝いに来てくれました。皆さんは法輪大法を認めてくれました。それは、私の修煉後の変化を認めたからです。私も村人たちから尊敬されるようになりました。

 四、大法弟子は主役で篤実

 私が住む村落には百数世帯・人口300人ほどが住んでいます。法輪功を煉功しているのは私1人で、大半の人は「XX教」を信じています。その宗教の伝道師(女性)は私たちの村に住んでおり、彼女は毎日あちこちで布教して、法輪功を誹謗する言論を広げ、妨害はとても大きかったのです。

 私は大法弟子で、1人で修煉をしても、けっして孤独ではありません。なぜなら、師父の法身は私のそばにおられるからです。大法弟子こそ、この舞台の主役だと思いました。そこで、私は発正念を強め、彼女の背後に潜んでいる他空間の邪悪な要素を徹底的に解体しました。その結果、しばらくすると、彼女は公安局に連行されました。当然、布教する人がいなくなると信者たちも解散しました。私はこの機会を掴んで、村の中で家ごとに真相を伝え、最後には全ての村人を「三退」させました。その女性伝道師が釈放された後、私は彼女を何度も訪問し、彼女を見舞いました。彼女はとても感銘を受け、最後に、彼女も真相が分かり、「三退」しました。

 村で村民大会を開く時、私は始まる前に立ち上がって村人達に真相を話し、大法の素晴らしさ、中共がいかに民衆を迫害しているかを話しました。村民委員会か村の党員会議が開かれるとき、私は彼ら1人に1冊、『共産党についての九つの論評』、あるいは大法の真相資料を配り、彼らにくれぐれも法輪功への加害に関与、協力をしないように、中共の殉死者にならないようにと勧めました。

 郷の政府機関、工場、企業、派出所は真相伝えの空白地域です。私は人を救うには、人選びをしてはいけないと思い、私は毎週、鎮に数回行き、それぞれの部門の人たちに「三退」を勧めました。彼らはみんな私のことをよく知っており、私が修煉前とその後の変化も知っているので、私が勧めるとすぐに「三退」を承諾してくれました。派出所にも真相を伝えに行きました。警官達はみんな嬉しそうに私を迎えてくれ、私の話をとても聞きたがっていました。彼らは真相資料や神韻のDVDも受け取ってくれて、事務室でそれを見ていました。しかも、全員「三退」しました。昔、法輪功迫害で最も凶悪だった警官も真相が分かり、「三退」しました。

 環境は変わり、緩やかになりました。市場や農業祭で、私はいつも堂々と法輪功の資料を配っています。綺麗なキーホルダー、お守り、ネックレスなどの真相グッズはあっと言う間になくなります。もらえなかった人はとても残念がって、私に予約をし「次回はもっとたくさん持って来るように」と、頼みました。

 周辺のいくつかの村落はとても離れており、私は、よく1人で前日の夜に真相資料を背負って、それらの村に資料を配りに行きます。翌朝4時か5時位に家に戻ってきて、煉功をし、法を学び、正念を発して、何も遅れることはありません。法輪椿法を煉功する時、私はよく彩雲の間に立っており、また色々な他空間の神秘的な景観が見えており、それは師尊が私を励ましてくださっていることを知っています。私は弟子としてやるべきことをやっているだけで、すべて偉大なる師尊が弟子に下地を作ってくださり、私は言葉を喋って、足を動かしているだけです。

 法を正す最後の時、私は必ず精進して、着実に修め、正しく、しっかりと修煉の道を歩み、師父にご迷惑をかけないように、円満に師について帰ります。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/2/24/288038.html)
 
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