最後になればなるほど 集団学法を堅持する
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文/山西省の大法弟子

 【明慧日本 2014年3月13日】集団学法は師父が私達に残してくださった修煉形式です。法を正す時期の大法弟子は迫害される中で、師父の要求に従わなければなりません。

 1999年7.20に共産党が法輪功への迫害を始めて、修煉環境が破壊されてしまいました。集団学法と集団煉功の環境が失われ、個人的な修煉環境も保障されなかったのです。私は法輪大法と師父の潔白を実証するために北京へ陳情に行き、天安門広場で大法弟子の信仰の権利や合法的な修煉環境の保障を求めたため迫害されました。刑務所から解放されたあとも、私は師父を信じ、大法を信じて、師父の要求に従って、法を正す洪大な勢いの中で、慈悲で偉大なる師父について、今日まで一歩ずつ歩んで来ました。師父は法を正される中で、巨大な苦難に耐えられ、大法弟子に心血を注がれ、ますます全体は向上し、ますます他の空間の邪悪が少なくなっています。共産党の迫害が終わりに近づくにつれて、私達の修煉環境もだんだん穏やかになり、家庭資料拠点が至るところにできました。

 しかし、私は地元の集団学法に参加する大法弟子が少ないことに気づきました。特に一部の男性の同修はほとんど集団学法に参加しません。原因は仕事が忙しいからかもしれませんが、私は集団学法を根本的に重視していないからだと思います。

 ある同修は集団学法に参加することを嫌がり、「集団学法に参加しても、顕著な変化と向上を感じないし、家で学法や煉功をしても効果は同じです」と言います。どうして自分の感覚で師父の教えを否定するのでしょうか? 偉大な法の前で、自分の心性がどれだけ向上しているか、あなたは感じられるのですか? 法に従わないことは、小さな問題ではなく、だから、あなたの学法は効果が収められないのです。大法弟子は最大限に常人社会に符合して法に従わなければなりません。師父の教えに従って、常人社会で神の道を歩むのが大法修煉者です。集まれば形になり、散れば物になります。私達は集団学法の中でさらに法に溶け込み、修煉体験を交流したり、内に向かって探したりします。師父は「法を学びて法を得る 比して学び比して修す 事々対照し なすところ到るは是れ修なり」[1]と教えられました。修煉が向上すれば変化は大きくなり、しっかり法を正して、衆生を救い済度し、私達の神聖な先史の誓約を完遂できるのです。

 集団学法を重視していない同修に、これから重視するように呼びかけます。どんな執着心があるかを内に向かって探せば、怖がる心、怠惰な心、いい加減な心、自分勝手な心や他の執着心が集団学法を妨げて、師父の教えを実行することができないのではないでしょうか。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『洪吟』「実修」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/8/21/278457.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/9/22/142343.html)
 
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