明慧ネット第10回大陸大法弟子の修煉体験交流会の文章を読んだ海外同修の感想
【明慧日本2014年3月16日】「明慧ネットの同修たち、ありがとうございます。私たちは会ったことはありませんが、一つの全体で、心はしっかりつながっています」。これはある台湾の法輪功修煉者が明慧ネット第10回大陸大法弟子の修煉体験交流会の文章を読んだ後の感想です。大法修煉に入ったきっかけと経験、社会背景や修煉環境はそれぞれ異なるにも関わらず、同じ一つの大法を修めていますので、修煉者の「真・善・忍」に対する実践は海外の大法弟子にも未来の修煉の道でさらに良く歩むよう励ましています。
スイスの西洋人法輪功修煉者「私たちは一体」
スイスの西洋人法輪功修煉者・トーマスさんは1998年に 14歳で修煉を始めました。大法はすでに彼の生命の中で最も重要なものになり、心に深く根をおろしました。今回の法会の交流文章は彼に中国の同修の心を理解する窓を開き、深い啓発をもたらしました。
トーマスさんは、「やっと師父を探し当てた」という体験談に共感がありました。異なる環境、ゆとりと厳しさは、修煉者にとって試練です。「中国以外の修煉者にとっては、社会と各種の媒体からのよくない情報、名利情の誘惑と人を緩ませる安逸心が知らず知らずのうちに浸透して、みな厳しい試練です。自分の10数年の修煉も精進したり、緩んだりしました。若い同修の経験を読んで、精進して正念を持てば、周囲の環境が是正出来るとわかりました」
「同修を救援する中で『修煉の初期のような感覚が甦る』という体験談で、大法弟子の全体の形成の大切さが分かりました。私たちは海外にいますが、この同修のようにあまり精進していない同修を助け、共に修煉初期のような状態を探すべきです」
トーマスさんは法輪功を迫害する610弁公室に電話を掛けたことがあります。「私の中国語は上手ではありませんが、少なくともよい人を迫害している人に、外国人の心の声を聞いてもらい、彼らに自分の悪行が中国の千里以外に暴露されたことを知らせることで、本当に邪悪を窒息させることが出来ます。今後更に勤勉にこの事を続けて、国内の同修の圧力を軽減します」
修煉初期のような状態を探し出す
法会の交流文章を読んで、大法弟子の純粋な内心の世界を感受したヨーロッパの法輪功修煉者の立中さんは師父の慈悲と真に修めている弟子の精進の意志に感動しました。
1998年に修煉を始めた立中さんは幸運にも大法修煉が出来る喜びと幸せに溢れました。しかし、16年の間に一度転んだ経験から、その幸せと誇り、正々堂々とした自信と、「千難万難を辞さず」の志が薄くなりました。「難関に遇うとき、私は無意識にそれを回避し、外に向けて他人の非を探し、これらを自分が真に修めるチャンスとせず、合格すれば満足だと思いました」
中国の大法弟子は、厳しい環境の下で、大法を堅く信じ、自分を修めると同時に艱難辛苦を恐れず、来る日も来る日も世人に大法が迫害されている真相を伝えています。しかし、立中さんは自分が転んだことに執着して、改めて奮起することができなかったことで修煉の差を見ました。
立中さんは法会が自分に法を正す迅速な進展を見せたことに感謝しました。「直ちに執着している自我を捨て、修煉初期のような状態を探し出し、自分の使命を辱めないようにします」
「世人も彼らの正気を感受できた」
米国ミシガン州の法輪功修煉者は全体学法のとき、法会の文章を読んだ感想を交流し、中国の大法弟子が自分のすべてをもって世人に真相を伝える姿勢と一体になりました。
エンジニアの馬さんは、「彼らは老若男女やどんな職業にも関わらず、信仰に対する堅い信念があり、そのような環境にあって、いつでも連行され、すべてが失われ、さらに命の危険にさらされる恐れがあります。しかし、彼らはどんな場所でもいつも、『私は法輪功修煉者です、私は大法の受益者です、大法を迫害し、法輪功を迫害することは正しくありません』と、正々堂々と世人に伝えた彼らの正気を感受出来ました」
「その中で、ある法輪功修煉者は重要な取引先と一緒に食事し、みんなに酒をすすめられたとき、彼は取引先に自分は法輪功修煉者で酒を飲まないと言いました。その時、取引先らは怒らず、かえって賛嘆して、この時期に正々堂々と『私は法輪功修煉者です』と言えることは本当にとてもすごい!」と言いました。私が思うには、法輪大法は高徳の大法ですから、このように人に敬服の念を抱かせる大法弟子を作りだすことができました」
交流文章を読んで、心がきれいになった
旅行会社の社長・金さんは心身が疲労しているとき、毎回、法会の交流文章を読んで、いつも自分の心がきれいにされたと感じたといいます。
彼女に最も深い印象を与えたのは、ある落伍した修煉者は10年閉じていた『轉法輪』を開いて、師父に今後どんな魔難に遇っても、いかなる動揺もしないと約束しました。修煉に戻ったとき、家族は彼の身の安全を心配して、あれこれ妨害しました。しかし、彼は意志が固く、動揺しませんでした。それから彼の妻、両親は反対から支持に変わり、家族はみな三退を表明し、修煉を始めました。修煉者の強大な正念が周囲の環境を変えたのです。(「十年ぶりに修煉し始め、家庭の環境が大きく変わった」)
また、ある高齢の同修は長期にわたり魔難にある同修の一人一人を訪問して、彼らと切磋し、交流し、約20人の同修の中で七つの学法グループを立ち上げました。皆は一緒に法を学び、家で独修する状態から踏み出し、世人に真相を伝えるようになりました。学習者の知識レベルは一様ではありませんが、皆は様々な困難を克服し、学法の環境の中で全体が向上し、年配の同修も他人を助けると同時に修煉初期のような状態を探し出しました。金さんは修煉者の無私の慈悲に感動し、さらに「修煉初期のように」という内包を深く体験しました。
観念を変え、自身の制限を突破する
台湾の屏東に住む退職教師の張さんは、中国の同修が学法と煉功するときの高い水準の要求に照らして自身との差を見つけました。
たとえば、「名利情の中で心性を守った体験」の作者は、18年の修煉過程の中で古い観念を変えました。彼女は以前、修煉は生活の一部で、欠かせないものではありますが、生活が相変わらず主なテーマだと思っていました。その後、彼女は生活を修煉の一つの小さな部分にし、仕事、食事、睡眠が世の中で正常な生活を満足させるために、毎日4時間煉功し、睡眠時間は2時間を超えず、節約した時間で学法し、真相を伝え、苦を嘗めることをもって楽とし、その中で大きな自在な感じを本当に味わいました。
同修の交流と経験から、張さんは、自分の固有の観念を放下し、自身の制限を突破する時期が来たと思いました思いました。彼女は以前いつも12時過ぎには寝ないと、朝4時の煉功に起きられませんでした。今思うには、ラストスパートをかけなければ機会はなく、万古の機縁はまたたく間に過ぎ去るのです。
イギリスの修煉者「無私無我を体験した」
1997年に大法の修煉を始めたエバさんはあるイギリス企業の経理担当です。彼女は毎回法会の一篇一篇の交流文章を必ず読み、他のイギリスの同修に読むように勧めました。「私は一篇も漏らしたくないです。忙しいのですが、読まなかったら、私は向上のチャンスをつかむことができず落伍するのです」
今年の法会の交流文章を読んで、同修が私の念と自我を取り除いた体得は彼女を啓発した最も深い部分でした。トラブルに遇うとき、不本意を感じるときは、自分の私の念を取り除き、全体の角度から問題を見るべきときです。
「私は技術に詳しい弟子です」という体験談で、彼女が特に感受したことは、「無私とは、実際に大法の需要を円融すべきで、大法が何を必要としているか、その必要なところををやるべきです。すべては法のため、自我をなくして必要なところをやるべきです。自分に能力があるからやるのではありません。これは私の心を打ち、今後どのように修めるかを考えさせました」
師を信じ、法を信じ、内に向けて探せば、超えられない関門はない
迫害の前、中国で修煉を始め、現在イギリスで7年生活しているヘイレンさんは、これらの素朴で誠実な交流に感動して涙を流しました。「国内の同修の交流は本当に心がとても純粋で、念がとても正しく、どんな事をやっても大法の基点に基づき、師を信じ、法を信じ、解決できない問題はありませんでした。また、彼らは内に向けて探し、いくらつらくても、肝心要な時にみな自分の不足を探しました。しかし、私は問題に遇うとき、よく自分の観念で他の人の非を探しました。 彼女はどのように同修に善を以て対応し、同修の不足を円融したかの一篇が特に印象深く残りました。
常人を超えた昇華
台湾の高雄小学校教師・元妙さんは大法修煉の中で10数年過ぎ、明慧ネットを開いて同修の修煉体験を見ることは彼女の毎日の日課でした。今回の法会の交流文章を彼女は一篇も漏らさずに読みました。特に彼女に印象が最も深かったのは、「大法の求めることこそ私の選択」という体験談で、大法弟子の責任を何度も強調していました。
穏やかな修煉時期に、その同修は輔導員として、毎日早朝の暗闇の中を煉功場に着き、4時40分に煉功音楽を定刻に鳴り響かせて、最も寒い零下15度のときも、大雪の中で座禅を組んで雪だるまになりました。一冬に五式の功法を1日も欠かさずに堅持して、大法弟子の責任を果たしたのです。
「4.25」に、中南海に陳情するとき、ハイヒールを履いていた彼女が、最前列でずっと夜まで立ったのは、その責任観によるものでした。1999年に迫害が始まってから、一陣一陣の大法弟子は北京に真、善、忍の大法を実証しに行きました。彼女はこのことが何を意味しているか分かっており、子供、仕事、家庭を思い、自分はすべてを失うかもしれないと思いましたが、彼女は絶えず、「死ぬことだけではない、法のために生死を放下できるか」と自問し、最後に、やはり法を最優先に置きました。それから、世人に真相を伝える中で大法の需要は彼女の選択になりました。
元妙さんが賛嘆するのは、同修は生命で真、善、忍を実践して実証し、大法は修煉者が常人を超える勇気と意志を試しています。神だけがその境界に達せるのです。
家庭の試練から落伍した元妙さんは明慧ネットの同修の交流をとても大事にしています。「明慧ネットで分かち合った同修に感謝いたします。あなたたちのおかげで、私は再び家に返る道を改めて見つけることができました。私たちは会ったことはありませんが、私たちは一つの全体で、お互いの心はしっかりつながっています」