文/河北省の大法弟子
【明慧日本2014年4月20日】2013年の冬のある日の夕方、私は仕事を終え、電動自転車で帰宅途中、国道に出た途端、「ドカーン」と1台のマイクロバスと衝突しました。国道に出る前、私は左右を確認して、視界には車がありませんでした。マイクロバスがあまりにも突然に現れた時、私はとても驚きました。幸いなことに、マイクロバスは急ブレーキをかけ、私も無意識にブレーキをかけ、空中に放り出されることなく、なんとか大事に至らずに済みました。
電動自転車が転倒し、私も倒れました。私は何も考えずに、すぐ起き上がろうとしましたが、頭がくらくらして目が回り、しっかり立てず、嘔きそうになりました。私はすぐに「私は大法弟子です。何事もありません。目まいよ、止まれ」と一念を発しました。その瞬間、すべての症状は消えてしまいました。
突然、2人の人が走って来て、私に「立たないで、寝たままで動かないでください。事故現場を保存しなさい」と言いました。見ると、道端で商売をしている私の村のご夫婦でした。彼らは私を庇おうとして、私が不利にならないようにと急いでやって来たのです。その時、マイクロバスの運転手も車から降りて来ました。彼は30代の若者で、責任を回避するため、しきりに弁解し始めました。このご夫婦はそれを聞くと、さらに私に動かないようにと言い、運転手を叱責しながら、私の夫と兄と義理の姉に電話をかけました。私はひたすら「大丈夫です。家族に知らせないでください」と言いましたが、彼らはそれを聞かず、私を指さして、「あなたは目から出血していますよ」と言いました。私はただ微笑みながら、自転車を起こそうとしましたが、自転車は壊れて立たなくなりました。前輪は横にねじれ、前の車軸は曲がり、ペダルは内側に押しつぶされていました。
私は運転手に「私を家まで送ってくだされば、後は何もしなくていいですよ」と言いました。運転手は「あなたを送る勇気はありません。それは大変なことだ! お宅に行けば、きっと私を拘束するか、車を差し押さえるかのどちらかでしょう。私は敢えて行くことはできません」と言いました。
そこで、運転手は自分の家に電話をかけました。しばらくすると、彼の奥さんが車を運転して来て、また2人の口の達者な中年の男性も一緒でした。その時、私の兄と義理の姉も来ました。私は兄夫婦に壊れた自転車を運んでもらい、私は若い運転手の車に乗り、彼の奥さんの車に2人の男性が乗って私の家に来ました。
家に入ると、私は彼らに座るようにと言いましたが、誰も座ろうとせず、2人の男性は今にも「交渉しよう」という様相です。私は笑いながら彼らを制止し、「先に私の話を聞いてください」と言いました。2人は不安そうに、「分かりました。先に話してください。私たちは先に病院に行なければならないでしょう。必要条件がありますか」と言いました。私は「あなたたちに何も要求しません。座って、私の話をゆっくり聞いてください」と言いました。
「私は法輪大法の弟子です。私の師父は私たちに、どこでも良い人になるようにと求められています。私はあなたたちに全くお金を要求しません。私たちは人を助けますが、絶対人に迷惑をかけません。私はもう50歳過ぎですが、体は大丈夫です。心配しないでください。わざわざ家に来て欲しいと言ったのは、あなたたちに伝えたいことがあるからです。あなたたちは今、危険に直面しています。私たちがこういう形で出会ったのは、これも縁です。私は必ずあなたたちにどうすれば危険を回避できるかをお教えします・・・」と言いました。
私は彼らに法輪大法は広く伝えられ、良い人になるようにと教え、そして、中共(中国共産党)は法律に違反して大法弟子を迫害し、大法の師父のデマを飛ばして、大法を誹謗中傷し、そして、生きている大法弟子の臓器を摘出するという残虐な行為などを話しました。そして、貴州の蔵字石のことも伝えました。
また、彼らに中共の関連組織から脱退し、三退して平安を守るようにと話しました。彼らはとても感動し、全員一致して、三退することに賛成しました。しかし、署名する時、彼らは少し躊躇しました。私は彼らの心配を取り除くため、「我々は知らない者同士です。あなたたちがどこに住んでいるかも知りません。本名を書かなくてもよく、偽名でも結構です」と言いました。そこで彼らはすぐに署名しました。最後に、彼らはどうしても、電動自転車代を置いて行こうとしました。しかし、私は断りました。彼らは非常に感謝して、「いい人に出会った、いい人に出会った!」としきりに口にしていました。
驚いたことに、彼らがもうすぐ門を出ようとした時、運転手の奥さんが戻って来ました。感激して私の手を取り、心を込めて言いました。「お教えします。私の家はある村のある所にあります。必ず来てくださいね!」
私は新しい電動自転車を購入し、翌日、時間通りに出勤しました。右目の周囲がパンダのように黒ずんでいましたが、私は真相が分かった衆生のために嬉しく思っています。私は「出会った良いことでも、悪いことでも、すべては縁によるもので、すべての衆生を自分の身内とみなすべきです。善悪すべてが縁」だと思っています。