文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年4月28日】明慧ネット編集部からの毎回の通知、呼びかけは、私たち大法弟子が全体的に向上する機会であり、私たち大法弟子が法を正す師父に手伝い、邪悪を消滅する重要な歴史の瞬間です。
『5.13』法輪大法ディーの原稿募集、大陸大法弟子ネット法会の原稿募集に応募することは、いずれもその意義は重大であり、師父が私たちのために切り開いた、大法弟子が威徳を樹立し、正法を広め、衆生を救い済度する神聖な機縁であり、私たち大法弟子はみな必ずこの機縁を大切にし、この重要な歴史の瞬間を見逃してはいけません。同時に、投稿の過程は心を修める過程でもあり、私たち自身を正す過程でもあります。
私は協調人である同修の呼びかけによって、2011年の法輪大法デーの投稿文章に応募しました。その時はとても忙しく、5月下旬になってやっと『5.13』法輪大法デーの投稿文章を読むことができました。最初、私はすべての文章を読もうとしませんでした。私が初めに読んだのは師父の講習会に4回参加した時を振り返っての文章でした。
私は師父の講習会に参加したことがなく、師父に会ったことは更にありません。毎回同修の書いた、師父の講習会に参加した時の光景、師父と一緒にいた幸せな時を思い出した文章を読むと、私はいつも感動し、涙がぼろぼろと流れ、長い時間、師父の深い佛恩に囲まれていました。そして、私はこの類の題材を選んで読んでいました。同修の文章はまた私をその聖なる縁の中に導いてくれました。
私は師父が『轉法輪』の中で説かれた「青島のある学習者は、昼休みの時部屋に人がいないので、ベッドの上で座禅しました」の中の、青島の同修の書いた『忘れられない幸せな時』を読みました。同修の文章は非常に感動しました。そして、私はすべての文章を読むことにしました。
二日間の夜、私は法輪大法デーの投稿文章をすべて読みました。読む間、一つの文章がにとても馴染みがあって、どこかで読んだような気がしました。その文章を読むにつれて、私は涙を流しながらその文章を読み終えました。その文章は私が書いた文章でした。私は大法弟子は一体であるということのもう一層の内包を悟りました。私には師父の洪大なる慈悲と同修の払った大変な代価が見え、師父がおられ、大法弟子という全体が存在しているからこそ、私も存在していると悟りました。一滴の水は海を離れれば、生存できなくなります。
後になって、私は自分が書いたその文章が真相小冊子、『明慧週報』と真相伝えのSMSメッセージなどに利用されているのを見ました。私はやっと、なるほど、私たちの真相資料、小冊子なども、この時期の大法弟子全体の現れの一部であり、衆生を救い済度する歴史的証であり、私たちはその一部であると分かったような気がしました。
私はまた『5.13』法輪大法デーの原稿募集に投稿する重大な意義と責任をも悟りました。私は、次回法輪大法デーの原稿募集にまた応募しようという一念を持つようになりました。
2012年になり、また『5.13』原稿募集の通知がありました。私は通知の要求を読むとき、すでに文章の構想が出来上がりました。投稿するまでの間、師父は私に修煉をはじめた当初の感覚を覚えさせてくださり、私はタイミング良く自分の不足を見つけることができ、更に精進し、法を正す進展に追いつけるようになりました。
ある日、一人の同修が私に「あなたは誰ですか?」と聞きました。私のペンネームは私の名前と同じ発音で、漢字が異なっていました。彼女は、「私はあなたの文章を読みました。とても素晴らしく、純粋でした。まるで神聖な水のようでした」と言いました。
私の心の中で、そうだ、神聖な水だ、邪悪を消滅し、衆生を救い済度する、神聖な水だと思いました。実際、このすべては師父が大法弟子のために切り開いたものです。私たちはただ人類社会でペンを執って、文章を書いただけです。
私は同修の皆さんが毎回のチャンスを見逃さず、また常人の執着心に阻まれず、交流文章を書いて頂きたく、この体験文章を書きました。書けるものがないわけでも、良く書けないこともなく、書くべきものが多すぎて、書ききれないほどです。なぜなら、師父が私たちにくださったものはあまりにも多いからです。私たちはただ心を静めて、幾千万年来、私たちに対する師父の加護と支払われた代価、また宇宙のすべての生命のために師父が支払われた代価を思い出し、大法と大法弟子を信じて、この世に降りてきた衆生のことを思い、修煉者としての責任と使命を思えば、衆生を救い済度できる更に素晴らしい文章を書くことができます。
世界法輪大法デーの原稿募集はまた衆生に彼らの位置を切り開き、未来を選択させる機会を与えます。ですから、私たち大法弟子は更によく行うべきです。
以上は私の現段階での認識であり、不適切なところがありましたら、ご指摘お願いします。