恨みを解消して、夫婦関係を改善した体得
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文/中国の大法弟子

 【明慧ネット2014年5月28日】長年、私と夫の夫婦仲は悪く、家庭内のトラブルが絶えたことがありませんでした。私は発正念もしましたが、根本的な解決には至りませんでした。特にここ1年来、夫との対立はますます多く激しくなったため、私の修煉もひどく影響されていて、学法する時に集中できなくて、普段も正念が弱くて、発正念の時にぼんやりとなったりしました。

 ある日の発正念の時、何かの動物が狂暴かつ恨みに満ちた目つきで私をじっと睨んでいる光景を天目で見ました。あれは私の空間場に存在する怨恨だと、私はぱっと分かりました。私はその目を狙って発正念して、だんだんとその目は消えました。

 内に向けて探したら、私は10数年修煉していても、ずっと心の中で夫に対する怨恨を放下していないことに気づきました。夫は長年仕事をせず、家族を養うこともせず、家の貯金を全部盗んで宝くじや株を買って、また小さな事で私を罵倒したり家出をしたりしました。もっとひどいのは、私に向けて包丁を振り回したりします……。長年、少しずつの積み重ねで、私は夫に対して善も慈悲もなく、恨みしか持っていませんでした。

 しかし、それは修煉者があるべき状態ではありません。現世、彼が私の夫になれるのは、きっと普通の縁ではなく、私はどうしてもっと彼に優しくできないのでしょうか? どうして生活の面でもっと彼に多くの関心を払わないのでしょうか? 前世、私は彼からの借りが多かったかもしれません。ここまで悟ったら、私はとても恥ずかしくなりました。

 師父は『精進要旨』「警告の言葉」で「皆さんは、常人として百年千年来、骨の髄までしみ込むように形成された人間の理を変えなければ、人間としての表面の殻を取り除くことはできず、圓満成就できません」と説いています。恨む心があれば、嫉妬心、他人と比較する執着心なども生じやすいと思います。例えば、夫が仕事をせずに楽に暮らすのに、自分は働かないといけないと思うのは嫉妬心の現われで、夫を他の家庭の男性と比較してしまうのも本来してはいけないことです。

 それから、私は毎回20分、自分の恨む心に対して発正念をしました。その恨む心は本当の私ではなくて、それは「偽者の私」だと認識して、徹底的にそれを解体します。発正念をする時、明らかに強いエネルギーが感じられ、師父は長年積み重ねた怨恨を取り除いてくださいました。心身ともに楽と感じて、以前の恨んでいる気持ちはすっかり消えて、夫に対する慈悲心が生じました。夫は私の修煉に反対していませんが、今日になっても彼は大法を得ておらず、将来も繁華雑踏の浮世の中で輪廻していき、なんと可哀想な生命だろうと思いました。

 そして、発正念の時、「私の家族や隣人を利用して、私がやる『三つのこと』を妨害するすべての邪悪な要素を徹底的に解体させる」という一念を加えてから、夫はすっかり変わりました。夫は進んで家事をやるようになり、私から頼まれたこともにこにこしてやってくれます。また、発正念の時間になると、夫は「時間だよ」と注意してくれて、終わった後、小さい声で「滅したのか」と聞いたりします。周囲の環境も変わりました。

 内に向けて探すことは本当に素晴らしいことです。私はやっと長年の家庭トラブルの中から抜け出して、「三つのこと」も以前の倍以上の能率でできるようになりました。以前、各方面からの妨害が多かったのですが、今、妨害はとても少なくなりました。師父と大法を信じて無条件に内に向けて探して、そして発正念の出発点を自己自我のためでなく、他人のために置いて、はじめて良い効果を収められると私は悟りました。

 最後に、師父が『大紀元会議での説法』でおっしゃった言葉を借りて、この文章を終えたいと思います。「常人は、「相は心から生じる」という言葉に含まれているこの意味を知らないのですが、実は自分の要素が自分の環境を変えてしまうということです。自らを修め、内に向けて探す、などの話を私はとても明白に、はっきりと説きましたが、(笑)このことを重視する人は多くいません。大法弟子が行なっていることに関しても同じ情況です。」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/5/16/257581.html)
 
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