師父の新経文を学び 「資源」という二文字を考える
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 【明慧日本2014年6月7日】師父は新経文『世界法輪大法デーの説法』の中で次のように説かれました。「資源は限られており、法を正し、衆生を救うことに使うべきです」。これによって、私は自分の修煉の中での多くの不足に気づき、「資源」という二文字に対する認識が深まりました。

 一、経済面において、私は自分の嗜好に左右され、いつもお金を服やアクセサリーなどに使っています。実際、タンスにある多くの服はまだ流行りのものですが、私には新奇や流行を追い求める心理があって、ついその執着に駆られて消費してしまいます。

 大法弟子の責任は衆生を救うことで、非常に重大です。もし私が常に真っ先に思いつくのが大法の需要であれば、家のお金をこのように使わないでしょう。真相資料を作るためのプリンタ、真相資料、真相を伝えるための携帯電話、そして真相を伝えるための電話カード等々、どれもが真相を伝え衆生を救うために使われるべきではありませんか? 私はこの面においてどれぐらい実行したでしょう? このまま自分の嗜好に左右されれば、いずれは旧勢力にやられてしまいます。

 師父の新経文を学び、私は恥ずかしく思い、表面の物質に満足できない自分の執着が見えました。本当に着実にそれを取り除かなければなりません!

 二、時間の面において、私は煉功発正念を継続して行っておらず、忙しくなれば理由をもって自分を正当化し、常人の理に符合し、それが正しいと思ってしまいます。じっくり考えてみれば、実際多くの時間を浪費してしまいました。眠くなれば睡眠に時間を取られ、執着があれば常人との雑談に時間を取られ、必要のない買い物に時間を取られ、発正念をすべき時間に手元のやることに時間を取られるなども、大法の資源を浪費しているに等しいと思いました。

 本当に一つの考え、一つの念も法に沿って、自分のやるべきことをはっきりと認識すれば、こんなに時間を無駄にしないでしょう。衆生を救うにも時間が必要です。たとえ買い物をするときも、多く発正念をし、縁のある人に出会えれば救うべきです。私が知っている同修の中には、毎回違う店に散髪をしに行く人もいれば、同じものを買うのに違う店に行く人もいます。目的は衆生を救うことです。

 三、思惟の面において、私は興味のあることであれば評論し、好きなものであれ、嫌いなものであれ、常人の思惟を持って対処します。実際、好き嫌い、愛や恨み、どれもが情ではありませんか?

 修煉者はこの次元から抜け出し、良くない念が出てくればすぐにそれに気づき、取り除くべきです。常人のことに執着し、思想の中で大法から離脱すれば、情に囚われます! 時に、私は自分の良くない部分に執着し、それを取り除くことに力を尽くすどころか、却って停滞していまい、場合によっては後退し、多くのチャンスを逃しました。やはり、心を静めて多く学法し、大法の法理を持って物事を判断することが肝心で、そうすれば常に思惟を正しく保つことができ、師父について勇猛邁進できると思います。

 大法弟子自身が法を正し衆生を救う資源です。大法を大切にし、私たちの師父との縁を大切にし、私たち自身の命を大切にすべきです。私たちは自分の世界の衆生のために存在しています。師父の法に呼び覚まされ、私は絶えず精進している同修たちに感心します。世間の事には虚像が多く、私達は法をもって自分を浄化し、多方面の資源をよく利用することで、初めて師父が要求されている三つのことをより良く実行できると思います!

 個人的な所見ですが、適切でない部分があれば同修の慈悲なるご指摘をお願いします! 合掌! 

 
(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2014/6/1/292810.html)
 
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