人を見下す心を取り除く
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年年6月13日】師父の経文『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』の中で、「その多くは自分の意見が採用されず、またはほかの人を見下しており、この二種類の心は最も強く現れています」[1]を学んだとき、自分に心当たりがある気がして、「ガチャン」という音が聞こえたように感じました。「私は人を見下す心があるか」と自分に聞きました。いつも、この心があることを認めたくないのです。しかし、師父の経文を読む度に、師父は繰り返し、私に聞かれるのです。昨日同修の家で交流したとき、自分に「人を見下す心」があると分かりました。

 いくら同修の話が道理に適っていても、私は完全に受け入れることができません。「あなたは週1回、ただ十数枚のチラシを送ってきて、以前、あなたがいかに精進していなかったかを知っている。数年の間、私がどのくらい法を実証することを行っているか、私がどれほど忙しいか、どんなに正念があるか、あなたは知っているのか?」と考え、心の中で「自分はすべてよくできている」と思い込んでいました。私の目は、他の人の足りない部分をいつも見ています。私は夫(同修)に「私に人を見下す心がありますか? あなたを見下しているでしょうか?」と聞いてみました。夫は非常に穏やかな口調で「あなたは誰でも見下しています。自分が良いと思い込み、もちろん、私のことも軽蔑しています」と言いました。以前、このような事を聞くと、必ず怒っていました。しかし、今私は「人を見下す心」があると気づいたので、冷静に夫の意見を受け入れています。

 深く内に向けて探すと、この「人を見下す心」の源は、「自我を実証する心」だと分かりました。法を実証する中で、自分は他の人より多くやっており、自分が認識できないところで「自我を実証する」ことを手柄と見なしていました。この汚い心は、自分よりよくできていない同修の前に現れました。恥ずかしくてたまりません。

 私の潜在意識の中に、「人を見下す心」があるため、他の人が行ったことを「ここはだめとか、あそこはまだ足りない」と評価し、法に基づいて、物事を量っていませんでした。他の人の立場になって、物事を考えず、やさしさが足りませんでした。師父は「あなたに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」[2]と説かれました。私達は、修煉の道を歩んでいる師父の大法弟子です。自分に「人を見下す」資格があるでしょうか?!

 今後、常にこの良くない心を取り除き、周りの同修とよく協力し、ともに法を正す師父に手伝う使命を果たしていきましょう。

 以上は個人的な認識なので、適切でないところがあれば、ご慈悲にご指摘ください。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/9/7/207830.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2009/9/16/110828.html)
 
関連文章