「研究してみよう」という姿勢から大法修煉を始めた経験
■ 印刷版
 

文/李豪

 【明慧日本2014年6月25日】1997年の春、私は休暇で実家に戻り、兄にこう言われました。「明日、あなたに一冊の本を貸してあげよう。この本は如何に良い人になるかを教えてくれる本だ」。その時、私は兄の言う事をまったく気に留めませんでした。「今の世の中、一体どこにそんな良い人がいるのだろう?」と私は内心そう思いました。私は生まれも育ちも悪くなく、ある程度の社会的地位もあり、すごく良い人とは言えませんが、さほど悪いことをした事もなく、自分はそんなに悪い人でもないと思っています。

 兄は私の気のない表情を見て言いました。「この本はどのようにして心性を高めるかを教えてくれます。これを見れば、どうすれば良い人になれるかが分かります」。私は家族で一年のうちに顔を合わせることは滅多にないし、この一家団欒の雰囲気を壊したくないので、兄の面子を立て反論せず、こう言いました。「私の心性は悪くないので、本を見なくても大丈夫です」。しかし兄は引き続き言いました。「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない。これは我々修煉者への基本的な要求ですが、このような事をあなたはできますか?」。これを聞いて、私は信じられないと思いました。今の時代にこのようなことをいったい誰ができるというのでしょうか? しかも、基本的要求として挙げられているので、なおさら信じられません。

 翌日、兄は『轉法輪』を持ってきて言いました。「この本をあなたに貸してあげます。ただ一つだけお願いがあります。絶対に本に線を引いたり、メモを書いたりしないで下さい。そして読み終えたら、もし勉強したければ無料で差し上げますが、そうでなければ、返して下さい」

 その後の一カ月間、私は親戚訪問で忙しく、酔って帰宅する事がよくありました。暇な時や二日酔いで辛いとき、私は時々『轉法輪』を読んでみました。任意にページをめくって読んでみると、作者は身近な道理を述べていると感じました。私はその中の観点に反対意見を持たなかったし、少し好感も覚えました。

 一カ月後、会社に戻ってから、私は時々兄さんの言った「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」(『各地での説法一』「シンガポール佛学会成立式典での説法」)という法を思い出しました。そして各地に輔導点があるという兄の話もぼんやりと覚えていました。私はいろいろな疑問点を誰かに質問してみたくなり、週末に会社から20キロ離れた「法輪功輔導点」に歩いて出かけました。他人に道を尋ねながらも、お昼頃、輔導点に辿り着きました。部屋に入ると、一人の老人がいました。私は彼に「ここが法輪功輔導点で、無料で功法を教えてくれると聞きました」と言いました。するとお爺さんは「そうです。あなたが学びたいと言うのなら、私が教えますよ」と答えました。私は「まず本を読みたいです。煉功のことはその後にしたいです」と言いました。するとお爺さんはそうすべきだと言ってくれました。私は引き続き、「法輪功はどんな功法ですか?」 と彼に尋ねました。彼はたくさんのメリットを言ってくれましたが、私は覚えきれず、ただ全体として、良い人になるような話だと思いました。

 この時、私は「彼は自分たちが良い人だと自称しているが、本当に本に書かれた通りに実行しているかどうかを試してみよう」と思いました。

 私はお爺さんに言いました。「あなたが最も重要だと思う本を二冊薦めて下さい。私はまずその二冊を買います」。彼は両手で私に二冊の本を渡しました。一冊は『轉法輪』、もう一冊は『轉法輪』(巻二)で、合わせて14元でした。本を渡しながら彼は「お若い人、本を読むとき、落書きやメモなどを本に書かないで下さい」と言いました。これを聞いて私はびっくりしました。故郷からここまで、千キロ以上も離れていますが、なぜ、彼は私の兄さんと全く同じセリフを言えるのでしょうか?

 私はポケットからお金を取り出す真似だけをして、「あ、お金は持って来なかったです。とりあえず私に貸してもらえませんか。来週の日曜日にお金を持ってきます。もし学ばないなら、その時に本をお返しします。どうですか?」と私は言いました。するとお爺さんは「問題ないですよ」とあっさりと答えました。

 「私利の追及を極めるこの社会の中で、このお爺さんがしたような、自分の最も貴重だと思う本を見知らぬ人に送るという行為には、非常に高い思想境地が必要だ。帰ってから本当に良く研究してみよう」と私は思いました。

 帰宅してから、私は丁寧に『轉法輪』を取り出し見てみました。私はカバーにある法輪の図形を見て、新奇さを覚え、作者の写真を見て、親近感を覚え、そして背面のカバーにある蓮を見て、神聖さを覚えました。私は1ページずつ、最後まで通読しました。そこから、私は人間がどこから来たのか、失と得の関係、業力の転化、人が一生涯経験する幸せと苦難の根源、病気になる原因などを大体知ることがでました。即座に、私は自分にある多くの良くない言動を直し、そして口を修め始めました。しかし、清浄心が求められている要求に達することが出来ず、周天に対する理解が浅く、「悟り」についてもよく理解できませんでした。また『轉法輪』(巻二)に書かれている末劫時期の人類の表現まで読んだときは、私はこの世の中を大変汚く感じて、世間から離れて修煉したい一念が生じました。そして『堅定』を読んだときは、先生本人にお会いしたこともないというのに、私も修煉し、成就できるという感覚を強く覚えました。

 私は「失わないものは得られず」という法理を認識し、と同時に、自分の愚かさも分かりました。私の輔導点のお爺さんを試そうとする行為は、如何にも軽薄で無意味なことでした。今週末、私は必ず本代を輔導点に持っていくことを決めました。

 輔導点についたとき、ちょうどそのお爺さんがいました。私を見るなりすぐに彼はこう言いました。「お若い人、変わりましたね。もっと元気になりました」。私は丁重にお金をお爺さんに渡し、功法を学びたいと伝えました。そして半日をかけて、私は基本的な動作を覚え、お爺さんと少し交流もしました。お爺さんは、私には大法との縁があるという事と、真面目に修煉するようにと言いました。そして帰りに、私は煉功図解と煉功音楽のテープも購入しました。

 その後、私は返本帰真の修煉の道を歩み始めました。「師を尋ねて幾多の年 一朝自ら見るを得る 法を得て修して引き返り 圓満し師に随い還る」(『洪吟』「縁歸聖果」) 師父のこの詩は法を得た私の当時の気持ちをそのまま表現して下さっています。

 法を得てから様々な修煉の経験を経る中で、私は皆さんに言いたい事があります。それは中共が1999年、全面的に法輪功に対し迫害を始めた際、我々に行った最も邪悪な迫害は本を処分したということです。彼らは攪拌機を持って本を破壊したり、本を焼いたりしました。その目的は、本の内容を民衆に見せないようにすることです。なぜならば、本に書かれている事すべてが真理で、良い人になるような最高基準であり、この本は良い人が従うべき経典です。中共は人を害し、全人類を滅亡させるためにこの世に来ている悪魔です。中共は民衆たちにこの本の内容を知られると、迫害を行う時、惑わされる者がいなくなるので本を破壊したのです。だから中共は一生懸命に本を破壊し、民衆が法輪功の真相を知る事が出来ないように、どこを探しても大法の本を見つけられないようにしました。真相を知らない者たちは、副葬品のように中共と共に滅びてしまいます。

 私は真心を持って、善良な人々に言いたいのです。どうか、中共の悪質ででたらめな宣伝を聞かないでください。冷静に自分自身で「真、善、忍」という法輪功の教えを考えてみてください。冷静になって、法輪功修煉者たちが伝えている真相を聞き、渡してくれた資料をじっくり読んでみてください。それを持って、中共が数十年来、中国人に対して行ってきた損害の数々と比べれば、皆さんが必ず正確な選択をされることと確信します。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/4/9/289807.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/5/3/447.html)
 
関連文章