修煉の道での「苦しみ」と「喜び」(一)
■ 印刷版
 

文/純浄

 【明慧日本2014年7月2日】(次の文へ

 「師を尋ねて幾多の年 一朝自ら見るを得る 法を得て修して引き返り 圓満し師に随いて還る」[1] 師父がおられなければ、今の私はいません。

 明慧ネットには、真相伝えについての交流が多く掲載されています。私はいつも感心して、深く啓発され、励まされました。真相を伝え三退を勧める時、私の最も有効な方法は次のようです。「私は幾つに見えますか?」と聞き、「50歳代?」と言われると、「いいえ、もっと上を言ってごらん」と言うと、「上へと言っても、60代ぐらいかな」と答えられると、私は「いいえ、もう73歳です」と言います。相手は「ええ! 全然そうは見えないですよ、何か秘訣がありますか」と聞きます。すると、「私は法輪功を修煉しています」と言って、それから真相を伝えれば、ほとんどの人が三退をします。たくさん三退を勧めた大法弟子に比べれば、私が勧めた人数は端数にも及ばないかもしれませんが、しかし、私はやはり幾人かを三退させました。その中には、中央文化省のトップの人、某省長夫人、某党校の学長、某労働教養所の指導員、国内外の著名人、専門家や学者、もちろん、親戚や友人、一般の市民等もあり、また修煉前に最も私を傷つけた人もいました。彼らから「ありがとうございました」と言われる時、また彼が大法の本を読みたいと言う時、私は本当に心から嬉しく思いました。

 次に、私は修煉の道での「苦しみ」と「楽しみ」について、皆さんにお話しさせていただきたいと思います。

 楽しさの中に楽しさがある

 私は1998年に修煉を始めました。師父は「ところが彼の一生の中に真理や、人生の真諦に対する追求があり、思索があります。そんな人はいったんわれわれの法輪大法を学んだら、人生の中で知りたくても答えが得られなかったたくさんの問題がたちどころに分かるようになります。思想の昇華に伴って彼は非常に感激することになります。これは間違いのないところです」[2]と説かれました。私はまさにそうでした。私は興奮して、危うく「歓喜心」が芽生えてしまうほどでした。

 子供の頃、私はいつも不思議な気持ちで、限りなく変化する大空を眺め、心はいつも空を飛び回っていました。中学に入学して2日目、学校は新入生に「宇宙」という短編映画を鑑賞させました。それから、私の好奇心はさらに「宇宙」へと広がり、広大で奥が深く、計り知れない宇宙に向かって、私の疑問はいつも絶えることはありませんでした。宇宙はどうやって出来たのか? この宇宙の中では埃のような地球はどうやって出来たのか? 地球の人類と生命はどうやって出来たのか? 人類の存在意義は何なのか? この地球上に蟻のようなちっぽけな私はどうして生きているのか? どう生きていくべきか? ……等等がありました。この短編映画は私の人生に影響を与え、私に二重の性格を作らせました。私は人前では明るくて、大らかで、気前が良くて、多芸多才ですが、一方、一人になると、悲しくて、卑屈で、孤独になりました。

 両親はカトリック教徒でした。1994年に母が亡くなる前、病床で私に「あなたもカトリック教徒です。生まれた時にすでに洗礼を受けました」と告げられました。1996年、私は好奇心を持って教会に入り、カトリック教徒となりました。当時、私は55歳でした。私は彼らにたくさんの理解できなかった疑問をぶつけました。しかし、多くの答えに私は満足しませんでした。ある神学院を卒業した人は逆に私に、「もし神が万能であれば、彼は自分も運べない一個の大きな石を作れないでしょうか?」と聞き返しました。私はすぐに教会の活動に消極的になりました。その年、夫の友人が師父の『轉法輪』を送ってくれました。私は上の空で本をぱらぱらと読み、横に置いてしまいました。本を読み終わって、すぐに修煉を始めた夫と違って、私は2年の機縁を逃してしまいました。

 1998年11月30日、北京の大学で勉強している末の息子が電話を掛けてきて、「お母さん、お母さんのような純粋な人は、本を読んでみては」と言いました。息子の声は平穏で、言葉も簡単でした。私は彼が『轉法輪』のことを言っているのを知っていました。非常に不思議なことに、私が受話器を下ろして頭を上げると、壁沿いの本棚にある『轉法輪』がぱっと私の目に入りました。私はそれを取り出し、何も考えずに一気に読み終えました。朝から夜まで、ご飯を食べるのも忘れていました。私は本を閉じて、夫に「私は法輪功を修煉します」と言いました。夫は驚き喜んで「本当ですか?」と聞き、私は「本当です」と答えました。

 その時、私は本当に興奮して、まさに「目からうろこが落ちた」感じでした、それから私は大法修煉の道を歩み、私の知りたいことを知り、さらにまったく知らない多くの事も知りました。師父は説かれました。「これは間違いのないところです。真に修煉する人は、大法の重みを知っているので、それを大切にすることが分かるに違いありません」[2]。私はそうでした。あの頃、私は最高に楽しい日々を過ごしました。

 その日から、私は師父に従い、師父の教えを聞き、師父が按排された道をためらうことなく最後まで歩み、円満に師について帰る事を決意しました。私は人に会う度に「法輪大法は素晴らしい」と教え、公園に行って煉功し、広場や駅で法を広げました。私の兄弟姉妹はみんな私について煉功し、会社の同じ部署の同僚には、私はほとんどすべての人に『轉法輪』を送りました。私はテープレコーダーを持って彼らに煉功を教え、彼らも習いに来ました。親戚や友人、人々に法輪大法のことを言うと、誰でも嬉しそうに頷いていました。

 あの頃の日々は本当に素晴らしかったです。私の心の中ではいつも名、利、情を放下して、宇宙の特性である真・善・忍に同化しようと思い、誰に対しても優しく、いつもよい事をしようとしました。私は変化し、昇華して行きました。街を歩く人々はみな私に笑顔を送り、曇りの日や暗い日もなくなったかのように、周囲はいつも明るくて、透き通っていました。本当に青空が変わり、大地が変わり、人々が変わり、私の心の中では嬉しくて、体も浮き浮きとしていました。

 (続く)

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「縁歸聖果」
 [2] 李洪志師父の著作:『転法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/6/24/293445.html)