文/河北省の大法弟子
【明慧日本2014年7月9日】(次の文へ)
私は今年70歳です。かつて冤罪で10年の刑を科されたことがあります。2005年、刑務所で大法弟子に出会った時、私はすでに獄中で4年の時間を過ごしました。私を迷いの道から引っ張ってくださり、私の良知を呼び覚ましてくださった師父に感謝いたします。私は法輪大法を修煉して、佛法の恩恵を受け、毎日最も楽しい事(三つのこと)を行い、本当に幸せそのものです。
災い転じて福となす 獄中で法を得て生まれ変わる
入獄する前、生計を立てるため、私は二男と一緒に小さな旅館を開きました。商売はまだ軌道に乗っていないのに、派出所の人達からの嫉妬心を招きました。彼らは私と二男の仲を挑発し、二男を唆して、私と喧嘩させました。そして、二男は商売のお金を全部奪って逃げました。にっちもさっちもいかない時、近くの酒屋の店主は2人の客寄せのお姉さんを紹介してくれました。ちょうどその時、担当区域の派出所の所長は私にお金を強要してきました。私が拒否すると(その時、私は病気がひどく、しかも稼いだお金は治療費も払えない程度でした)、彼は女性を使ったことを理由に私を逮捕し、10年の刑を下しました。
あの頃、刑務所の中で、私は冤罪で投獄された事を思うと、自分を抑えきれず、怒りを爆発させ、大声で叫び、私を落とし入れた人を罵倒しました。毎日怒りの中で生きていた私は全身病気になり、身の回りの事を自分で出来なくなり、ベッドの上に横たわって、「出獄したら、彼らに訴えてやる。もし訴えられなかったら、家を売却してでも人を雇って彼らをすべて殺し、自分も死ぬ」と毎日のようにそのことばかりを考えていました。
2005年春のある日、別の刑務所から送られてきた法輪功学習者の董さんは、私の様子を見て、「おばさん、あなたは法輪功を習ったらどうでしょうか? きっと病気が治りますし、気持ちも変わるでしょう」と言いました。それから、彼女は私たち獄中の人に煉功を教え、『転法輪』の「論語」を暗唱させ、また、紙切れに大法の書籍『転法輪』を書き写し、さらにその紙切れを小さなノートに製本して、学ばせてくれました。『転法輪』の中の言葉を、私は一つ一つすべて心に留めました。私は大法の内容が書かれた小さなノートを宝物のように布団の中に隠しました。私はベッドから起きられないため、煉功が出来なかったのですが、時間があれば、ノートを取り出して勉強しました。私の心は次第に穏やかになり、私を迫害した人たちをそれほど恨まなくなりました。
師父は私を迷いの道から引っ張ってくださり、私に新しい命を与えてくださいました。私は慈悲なる師父に感謝いたします。大法に感謝いたします。
大法を学んでから、私は分かりました。何もかも分かりました。師父は「誰かに辛く当たられたりした場合は、たいてい次の二つの状況が考えられます。一つはおそらく前世にその人に対して何か悪いことをしたのかも知れません。あなたは、「どうしてわたしにこんなひどいことをするのだろう?」と言って心のバランスをくずすかも知れませんが、しかし、あなたはなぜ前世でその人にあんなことをしたのですか? 「あの時のことは知らない。現世は前世と関係ない」とあなたは言うかも知れませんが、そういうわけにはいきません。」[1]「どうしてこういうことにぶつかるのでしょうか? それらはみな自分自身の業力によるものです。」[1]と説かれました。私はこの講を繰り返して読んで、読めば読むほど心の中は広々として明るくなり、読めば読むほど恨みがなくなり、なぜか分からないのですが、心の中に、私を刑務所に送り込んだ彼らに感謝したい一念すら芽生えてきました。
2005年8月、私は石家荘女子刑務所に送られました。私は自力で生活出来ないため、2006年2月に病症仮釈放で一時出所しました。家に帰ると、まず先に人に頼んで、故郷から一冊の『転法輪』を取り寄せ、毎日家で昼夜を問わず学び始めました。その間、師父は絶えず私の体を浄化してくださいました。動ける時、私は出来るだけ煉功をしました。私の高血圧、心臓病、リューマチ、椎間板ヘルニア、座骨神経痛等はすべて良くなりました。私は薬を一粒も飲まず、自分で生活が出来るようになり、階段を上がったり下りたりすることも出来ました。私は本当にどのように李洪志師父に感謝すればいいのか分かりません。
(続く)
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』