理性を保ってこそ最後まできちんと歩むことができる
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文/遼寧省の大法弟子

  【明慧日本2014年7月13日】去年、私は2年ぶりに地方のある同修を訪ねました。それほど深い付き合いはしていませんでしたが、会うや否や、彼女は私ともう1人の同修を連れて、年配の同修の店に消 耗品を買いに行き、その後、私をまっすぐ資料拠点である自分の家に案内しました。私たちはそれほど親しくもないのに、彼女の行動は軽率だと思いました。迫害が未だに続いている中で、安全の問題を軽視してはいけないと思います。

  家に着いてから、彼女は私のことをあまり気にせず、すぐに資料の印刷に取り掛かりました。夜、3人の同修が来て、一緒に『轉法輪』を読むことにしました。 ページをめくり、私は偶然に師父の写真のページを開くと、師父が涙を流されているのを見ました。私は心が重く、その理由を思いつきませんでした。

  一講を読み終えたところで、彼女は他の同修とプロジェクトの実行の詳細について議論し始めました。私は彼女の様子を目にし、突然、師父が涙を流される原因が分かりました。私は少し躊躇しましたが、「知っていますか? 師父はあなたのために涙を流されています」と言うと、彼女はびっくりして、「なぜそれが私のせいだと確信できますか?」と聞きました。「あなたの今の様子を見て分かりました」と私は答えました。隣の男性の同修ともう1人の女性の同修も、「早く彼女を悟らせて下さい。私たちの話に耳を傾けてくれません」と言いました。こうしてみると、彼女の問題は一時の問題ではなく、長い間存在してきたようです。

  私は自分が気づいた問題点について述べました。「あなたが衆生を救う熱心さや緊迫感は皆以上に強く、正直、私はとても追いつきません。しかし、あなたは一 切の前提となる自分の個人の修煉を疎かにしています。あなたは理性に欠けており、安全を軽視しています。あなたたちの会話から見ると、あなたの周辺の同修たちは非常にあなたを頼り、崇拝しているようです。そのため、あなたは自分の一部の行動がはっきり見えていません。もし私が間違っていなければ、あなたは自惚れています。この自惚れはあなたを危険な境地に陥れます。あなたの言動から私が見えたのは修煉者の冷静、成熟より、人間の英雄振りです。あなたは自分の心性を高めるために必ず精進しなければなりません」と言うと、彼女は真面目に私の話を聞き、自問したように見えました。

  夜、彼女と彼女の両親と一緒に静功をする時、彼女が断続的に床を叩く音が聞こえました。煉功を終えてから、私は聞きました。「なぜ、ずっと床を叩くのですか?  どうやって入静できますか?」というと、彼女は何食わぬ顔で、「彼らは寝ています。彼らを起こすためですよ」と言いました。煉功する過程で、彼女はずっ と両親を見ていました。彼女のこの行動は自分もしっかり煉功できない上に、他人にも影響してしまいました。

 翌朝の朝食後、私はリビングで本を読んでいて、彼女は部屋の中で『轉法輪』を読んでいました。その後の私たちの交流はぎこちないものでした。多分、私は気持ちが急ぎ過ぎて、問題提起の際に慈悲心が足りず、彼女の反感を引き起こしたのだと思いました。

 交流する中で、彼女は「同修間の情」について言及し、「誰が一番親しいですか。私たちの同修が最も親しい人です」と言いました。私は彼女の言う「同修間の情」から、人間の情というものが見え、取り除くべきだと思いました。

 家に戻ってから、私はどうしても彼女のことが気になって、ほかの方法で彼女に連絡しましたが、うまくいきませんでした。3カ月後、私は彼女が連行されたことを耳にしました。再び彼女を訪ねなかったことを遺憾に思いました。

  実際、彼女と周辺の同修たちの努力によって、多くの同修が黒巣から救出され、彼女たちは大量に真相資料を作って配り、ほかにも多くのことをしてきました が、その過程において、私たちが覚えておかなければならないのは、師父の慈悲と法の威力によって私たちは成果を収めることが出来たのであって、自分の修煉の不足に気づき、なお一層精進していかなければなりません。形式的に事を成し、個人や団体がすごいと思ったり、崇拝してはいけません。

  この間、各地で不法に連行された同修が明らかに増えました。邪悪の最後の妨害をはっきり認識すると同時に、私たちは真摯に内に向けて探すべきではありませんか? 常人の言葉を借りると、「勝利によって理知を失ってはいけない」のです。しかし、私たちは真に「勝利」しましたか? 衆生は皆、救われましたか?  私たちの自惚れはどれほど大きな執着でしょうか。その状態で、虎視眈々と狙っている旧勢力に向かって、彼らを否定するという一言で迫害を停止できるでしょうか?

 過去の戒めは多すぎるほどあります。衆生は私たちの救いを待っています。私たちは自分の命を放棄し、人間の一切を放棄できても、衆生を救う責務を放棄することはできません。使命を果たす前に、気を緩めてはいけません。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/7/5/294220.html)
 
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