安逸を求めると福が訪れない
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文/中国の大法弟子 天山雪莲

 【明慧日本2014年7月24日】宇宙で法を正すことがそろそろ終わりに近づいてきました。しかし、多くの大法弟子は安逸の心のせいで、遅れてしまい、師父を悲しませています。師父は遅れた弟子達を思い何度も何度も涙を流されました。師父は本当に私達自身より私達のことを大切に思っておられます。

 安逸は人の精進の意欲を失わせます。しかも、少しずつ大法弟子を引きずり下ろして、警戒する心をなくさせ、アリが何かをかじる時のように、少しずつ腐食させ、浸透させます。安逸の状態については、生じたときに防ぎ、始まったばかりのときに制止すべきです。

 私は一部の大法弟子が精進していないことに気づきました。多くの大法弟子は旅行に行ったり、のんびりした暮らしをしたり、買い物に多くの時間を費やし、多くの時間をかけて、自分の家のインテリアを考え、住み心地のよい部屋にしたいと思っていました。他の空間にいる旧勢力はこのような大法弟子の主元神を扇子で煽いでいます。あまりに気持ちがいいと、朝の煉功に参加できず、無理やり煉功をやっても、また寝ることになります。また、旧勢力は大法弟子に薬を飲ませます。この空間の表れは、時間をかけて、自分の欲望を満足させるために、いろいろなおいしい料理をつくり、「常人の状態に符合するため」と言い訳をします。肉に対する執着はないと口にしていますが、いつも、話の中にどの店のラム肉がよいか、どの店の魚がいいかとよく言います。精進している大法弟子は、外で人を救い済度するとき、時間を節約するために皆、饅頭と漬物だけを持って行くのです。

 私は資料拠点で、時間と資金を節約するために、麺類に味噌をつけて食べたり、ご飯と漬物を食べたりしました。もちろん、周りに常人がいれば、同じようにしないでください。常人のことを考えなければいけないのです。すべてのことはやりすぎてはよくありません。私は、このすべてが終わるときのある光景を見ました。それぞれの大法弟子は主佛の前に跪いて、自分が全力でやっているかどうか、勇猛精進しているかどうか、法に基づいて誓約を果たしているかどうかを話します。その時、私達はたくさんの無駄な時間を費やしたことを後悔しませんか? そして、安逸を追求している同修のある空間の身体は地獄で消滅を待っているのです。こんなに厳しいのです。

 安逸を求めると福が訪れません。中国最古の王朝といわれる殷(いん)の第30代帝であるちゅうおうは享楽を追求し、酒と女におぼれて、「酒池肉林」と呼ばれるようなりました。最後には、国土を失い、火の海と化した鹿台(建築物)に登って焼死しました。一方、陶侃とうかんは中国の西晋、荊州の刺史(しし、地方の監察官)を務め、広州の刺史に左遷される時に、「安逸は意志消沈をもたらす」と思い、毎日レンガを運び、後世の人々に「レンガを運ぶ翁」と呼ばれるようになりました。その後、高い官職に就き、名声と功名が輝き、福に報われました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/6/21/293756.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/7/2/1876p.html)
 
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