私が歩んで来た修煉の道
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2014年7月27日】

 一、修煉を始めて各種の病気が治った

 私は2002年7月に修煉を始めました。地域の女性会で気功を学べると連絡があり、参加しました。柔軟体操のような激しい動きではなかったので、私でもできると思いました。私は、椎間板ヘルニア・バセドウ病・薬アレルギーで薬を飲んでいました。気功をすれば、薬を飲まなくて済むようになると聞いて、その週の土曜日から、飲むのをやめました。        

 初めの頃は、クーラーをつけた部屋で動功をしていても、汗が流れていました。また、第2功法の時に足がガタガタと震え、とても恥ずかしかった事を覚えています。第1功法の斜めに腕を上げる動作は、とても気持ちが良かったですが、夏の暑い時、仕事をするのに、ケーキのドライアイスをハンカチに包んで、首に巻いてやっていました。それから、首・肩・背中が固くなって、その後は縮んでしまって伸びなくなりました。外に求めてしまったため、逆に悪い結果となりました。夜、パソコンで学法をするとき、他の人が読んでいるときに、首の運動や第2功法の目の前に手を上げたり、頭の上に手を上げたりして、身体を動かしていました。法を尊敬しておらず、馬鹿なことをしたと後悔しています。        

 私は、男子寮の管理人の仕事をしています。普段はソックスを履いているのですが、夏は暑いので、裸足になります。ある日、裸足のままでトイレに行くと、生徒の水虫がうつるのではないかと思いながら、スリッパを履きました。すると、何日かして、足の裏が痒くなりました。なかなか治らず、イライラしました。その時、水虫がうつると思ったから、自分で求めて本当にそうなってしまったのだと気づきました。

 最初は『轉法輪』を読んでも、何が書いてあるのかよく分からず、ただ、字を追うだけでした。そのうち、経文を読みましょうと言われ、その後でまた『轉法輪』を読むと、前より少し理解が深まったような気がしました。修煉を始めて1年目くらいの時、腰が痛くなり、3週間くらい痛みが続きました。同修に「まだ痛いのですか?」と聞かれ、「そうなんです」と答えました。そして、私は「『轉法輪』の中に書かれたある部分のことは、あの人の事だと思っていたけど、皆自分の事なんですね」と言いました。不思議なことに、そのとたんに痛みがなくなったのです。普段は内に向かって探すことがなかなかできず、右往左往しながら、このように結果が出て初めて分かることもあります。大法を学び始めた頃、寝ていると金縛りに3回あいました。「邪悪を滅」と言うと消えました。修煉をさせないように邪魔をしてきたのでしょう。

 数年前、私は仕事場で健康診断を受けるように言われました。尿検査をしたとき、看護師さんと受付の方が、私を見ながら、何か話されていましたが、私は『轉法輪』を読んでいました。すると、看護師さんが来られ、「今、生理中ですか?」と尋ねるので、「えっ、血が混じっていましたか?」と聞きました。『轉法輪』に、「年配の女性には再び生理が来る人もいます」と書かれているので、私も若返りをしているのかなと思い、嬉しかったです。

 2006年、日本で初めて神韻が行われた時、主人は膝が痛いので病院に通っていました。「1週間に1回水を抜き、4回すれば良くなる」と医者に言われましたが、3回目の後、太ももの外側が赤紫色になり、これは大変だということで、リハビリセンターへ連絡を取り、即入院しました。なぜ、こうなる前に来なかったのか、と医者に言われ、他の病院へ行っていたと答えました。検査の結果、「大腿部の骨の髄に膿が溜まっています。脚の付け根から切断し、透析を覚悟して下さい」と医者に言われました。それを聞いた私は、『轉法輪』の中に、「一人が煉功すれば、まわりの者に恩恵を与えることになります」と書かれていたのを思い出し、大丈夫だと思いました。夫の手術で、骨をたたくカーンカーンという音がしました。手術後、医者から、「不思議です! 骨の中に壁が出来ていました!」と言われ、そこで膿みがせき止められていたそうです。そのため、脚の切断は免れました。やはり、師父が守ってくださったのだと感謝しました。手術して間もなく、夫はまだ動けませんでしたが、看護師さんにお願いして、尼崎であった神韻公演を観に行きました。これも、師父のおかげだと思います。手術日や回復が遅れたら、観に行けなかったでしょう。

 二、神韻の宣伝活動について        

 私たちの地区では今年、神戸の最終日の公演に、バス2台を出そうと話し合いました。でも、なかなか人が集まりませんでした。これについて同修に相談したら、「バス会社に、もしかすると1台になるかもしれないと連絡しておいた方がいいのでは」と言われ、そのようにバス会社へ連絡しました。しかしその後、私は「2台を満員にするつもりです。頑張りましょう」と同修に言って協力を呼びかけ、少しずつチケット購入者が増えていきました。皆に、昨年の活動の時より1人でも2人でも多くチケットを販売して、衆生を救おうと呼びかけましたが、それ以上はなかなか増えず、皆も頑張っているので無理が言えませんでした。

 このような状況で、まず自分から頑張らないといけないと思い、同修と相談して、東広島FMラジオで宣伝してもらうことにしました。ラジオ局の方と話していると、「ラジオに出て話された方がいいですよ」と言われ、すぐ1時間後にはラジオに出ました。同修の皆さんに発正念をお願いしました。ラジオが終わってすぐに、局の電話が鳴りました。リスナーからの問い合わせでした。私の自宅にも問い合わせの電話がありました、「日曜日の公演はないの?」と聞かれ、「東京でありますよ。東広島からも、東京へ見に行く人がおられますよ」と伝えました。また、「子供に見せたい。子供の歴史の勉強になりますか?」との問い合わせもありました。「そうですね、とても感動しますよ」と答えると、「調べてみます」と言われました。私たち一人ひとりが声を掛けても、知り合いぐらいにしか宣伝できませんが、ラジオで流せば他のたくさんの人にも聞いてもらえるので、毎年出て、神韻公演をお知らせしようと思います。        

 また、今まで神韻を見に行った方の多くはこの度は都合が悪く、新たに開拓しないといけないと思い、あちらこちらと行きました。しかし、「仕事です、忙しいから休めない」と言われ、「また機会がありましたら、是非見にいきましょうね」と伝え、とにかく神韻の情報を一人でも多くの人に伝える事が大切だと思いました。

 ある人は、この度で3回目の鑑賞となり、去年は一番安い席と言われましたが、この度はもっと前がいいと言われ、「真ん中は2万円です。前から2列目がありますよ」と言うと、「それはいいですね」と、その席を購入されました。「誰かお友達に声を掛けてみてくださいね」と言った後、その人からまたすぐに電話があり、「真ん中のブロックの後ろは、まだ席がありますか?」と聞かれ、「8000円のチケットがあります」と告げると、「1枚お願いします」とさっそく追加購入されました。

 ご近所の方で、去年旦那さんが亡くなられた方がいます。旦那さんは足が悪く、杖を使ってもフラフラで、どこへも行けなかったので、この度は声を掛けました。寒い時期だと心配していましたが、同じぐらいの年齢で仲良しの方に電話して、2人で行って貰うことになりました。       

 私は、頭に浮かぶ人を書き出し、年賀状・メール・直接会いに行ったりしました。約80人に連絡して、17名がチケットを購入しました。まだまだ、たくさんの衆生に神韻の情報を伝えて救わないといけないと思っています。

 三、地元の日本人に洪法し、真相を伝え

 これまでの協調人がアメリカに行くということで、6人の協調チームを作って頂き、その中の1人となりました。最初は手探りで分からないことだらけでしたが、協調チームの他の5人の助けにより、また、他の同修の皆さん助けにより、今までいろいろな活動や、学法・交流を行なってきました。

 今まで、地元のお祭りやイベントに参加してステージで煉功する時、煉功音楽が鳴らなかったり、途中で止まったりして、スムーズにできなかったことが何度もありました。ステージに出る前に発正念をして上がるのですが、毎回トラブルが出てきます。しかも、ステージで煉功する時間は短いので、慣れていないと動作が変わる部分が分かりにくく、なかなか動作も揃いません。これではいけないと思い、ある日煉功場で、司会の練習を含めて皆で練習をし、皆で意見を出し合って良くできていない所を直し、当日ステージに上がる前に公園で練習するときも、動作を合わせるポイントを確認しながら皆で練習しました。私は中国語が分かりませんが、日本語のあまり分からない中国人の同修も何も言わずに、私達に合わせてくれました。本番当日は、煉功の動作も揃っていて、とても大きなエネルギーを感じました。会場にいた多くの方も私達の動作に合わせて、一緒に煉功をされていました。それ以降、ステージに上がっても、何のトラブルも起きていません。心を尽くして一体になるよう努力し、全体が協調できたので、妨害の入る隙もなく、衆生済度の効果が出せるのだと分かりました。

 2011年10月、東広島市議会に陳情書と市民から集めた1万以上の署名を提出しました。その時は議員への真相説明が足らず、審議継続となりました。その後、皆で審議が通らなかった原因を交流しました。私達にとても協力的な議員がおり、その議員に任せてしまい、他の真相を知らない議員への真相を説明することが不十分だったことに気づきました。陳情書を提出し、審議に通ることが目的になってしまい、議員へ真相を説明することを常人に任せてしまったので、審議継続のままで止まってしまいました。私たちが、一人ひとりの議員に真相を説明に行かなければならないことに気づき、さっそく一人ひとりの議員に真相を説明することにしました。

 ある市議会議員に会った時のことです。迫害・生体臓器狩りの話をする前に、以前配った「明慧特別号をご覧になられましたか?」と明慧特別号を見せると、「いや、覚えていない」と言われました。法輪功のために尽力してくださっている議員にお願いして、東広島市会議員の皆さんに配布してもらいましたが、読まれていないことが分かりました。まず、金子容子さん救出の署名で、当時署名をして頂いたことのお礼を申し、「今、中国で生体臓器狩りが起きており、日本からも患者が中国へ行って手術をしています。その臓器を取られている人達は私達の仲間です。本人または、家族の承諾もなく臓器を取り、その後は焼却されるのです」という話をしました。話し始めたときは、法輪功を理解していなかった議員も、話を全て聞いたあとは、法輪功に対して理解を示してくださり、また他の議員を紹介してくださることになりました。議員チームができたので、チームの同修同士で連携を取りながら、全ての議員に伝わるよう、計画をしっかり立てて、動いていきたいと思います。

 東広島は日本人修煉者がこの数年、ますます増えてきました。東広島では毎日どこかに必ず煉功場があり、1週間の半分は、無料で市の施設を利用し、土曜日は公園で煉功しています。その煉功場はほとんど日本人で学法しています。最初は日本人がメインの煉功場だと一般の日本人も入りやすいので、しっかり学法や交流をしながら、修煉に対する認識がしっかりしてから、中国人の同修の場にも行ってもらって修煉についてもっと深く交流するようにしています。また日本人は、習い事の感覚から入るので、中国の方のように、すぐに修煉の道に入ることはできない人が多いのです。私もそうでした。だから修煉に入るまでには時間がかかります。最初から厳しいことを言うと修煉に入る前にやめてしまいます。焦らず、温かく見守って、修煉について少しずつ理解してもらえるよう手助けすることが、煉功場の役割だと思っています。

 また、最近は交流の場を大事にし、交流を何度も何度も重ね、内に向けて探すこと、自分の心性を向上させること、なぜ三つのことをしないといけないのかが分かってきました。確実に全体の心性が上がってきたことを感じています。以前、外での洪法活動には、東広島の日本人の参加人数は少なかったのですが、今年の5月3日の広島でのフラワーフェスティバル、4日は岡山のパレード、24日は福岡のパレード、25日は門司の港祭りと、参加する日本人同修も増えてきて本当に嬉しく思っています。法会には以前だったら3、4人しか参加していませんでしたが、今回のこのアジア法会には約40人の日本人同修が参加することができました。

 東広島では、皆が三つのことができるよう、議員チームの他に、地元の祭りやイベントに参加するためのチーム、署名活動、ポスティング、『轉法輪』『法輪功』の書籍を置いてもらう本屋・図書館回り、などの活動をしています。前は煉功場に行くだけだった同修も洪法に参加するようになり、目の色が輝いて、法を広める活動に積極的になりました。

 まず、日本人が作られたという日本人向けの法輪功のチラシと、東広島の煉功場所の案内のチラシを一緒にセットして、公民館などの公共施設にチラシを置いてもらうようにしました。その他に、ポスティングもしています。ある日本人同修にポスティングの担当者となるようお願いしました。最初は「私には難しい」と言っておられましたが、あなたが一人で動くのではなく、皆を動けるようにしてほしいとお願いしました。その後その同修は、自分の地域の新聞販売店に行き、その地域の地図をもらってきてほしいと、皆に呼びかけていました。その後、東広島市の各地域の地図が少しずつ集まり、各自自分が住んでいる地域は自分が時間のあるときに配るようにし、その他大きい団地などはみんなで出られる日を決めて、担当者が「この日はここを回りましょう」と呼びかけて積極的に皆と動いておられます。頼んだ時はできないと言っていましたが、やると決めてからは、自分で考え、積極的に行動し、また洪法への理解も深まったようです。日本人は自分から積極的にあれをやりたいこれをやりたいと言うことが難しいのですが、やると決めてからは責任をもって、最後までやり遂げる長所があります。ポスティングは他にすることがない同修が中心にやっていますが、みんな一生懸命やっています。反感を持たれないようにするため、「投函禁止」と書かれたポストには入れないよう注意しています。ポスティングを始めてからすぐに気功をしたいという電話が4人からかかってきました。皆が協調し、心をこめてやれば縁のある人はすぐ入ってくるのですね。

 毎週土曜日に大きい公園を煉功場にしています。そこで煉功するときに、看板を置いたら良いということになりました。以前公園で煉功していたときに、法輪功という字と各煉功場所が書かれていた看板を使っていましたが、新しいものを作ることになりました。同修が「主人の優勝旗のセットが家にあり、使うことがないので、使ってもらえれば」と言って持って来てくれました。そして、日本人の同修達で、どのような文言を書けば、日本人の興味を引きやすいかと考え、「心と身体が健康になる気功 無料で学べます。お気軽に体験してみませんか?」という文字とイラスト入りの看板を同修に作ってもらいました。両端には蓮の花のしおりを垂らしています。蓮の花の飾りがかわいいので、持って行く方もおられます。また、看板と一緒に法輪功のチラシと煉功場所の案内のチラシを一緒に置いており、持って帰られる方もいるようです。

 一時期、新しい学習者が増えなくなり、内に向けて探しました。各煉功場の横のつながりもなく、また交流をする機会もほとんどなかったので、月に2回、各煉功場の補導員、古い修煉者を集めて学法、交流することにしました。始めてからだんだん心性が高まってきて、また大法を広める活動もだんだん活発になってきたので、月に2回では少ないということになり、週1回に増えました。そのうち全体の心性が向上してきたからでしょうか、新しい学習者がまた少しずつ増え、縁のある人が煉功場を訪れるようになりました。

 中国人の年配の同修はいつも蓮の花のしおりを作っておられます。小さな蓮の花を折ることは私にはとても難しくできません。指も入らないのでピンセットを使って作っているようです。フラワーフェスティバルの時に、子どもたちが沿道の人たちに蓮の花を渡しています。皆さん手を伸ばしてほしがり、渡すととても喜んでおられます。春に中国人同修と一緒に広島でお花見をしました。ビニールシートを敷いて、迫害資料を並べて広げていました。年配の同修は、日本語は通じませんが、皆さんいつもニコニコされ、また何事にもコツコツ行い、署名活動は一人でスーパーの前でされています。頭が下がります。また、中国人の若い同修も積極的に行動され、私達日本人をサポートしてくださっています。

 この数年、地元の日本人修煉者は、法への理解も少しずつ深まり、真相を伝える活動にもだんだんと参加するようになりました。師父がおっしゃったように、煉功場、書籍を通じて縁ある人が大法に出会う環境作りを重視し、そして真相を伝える活動も加えて、今では日本人を中心に、行うべきことを考えるようになり、中国人の同修も一緒に協力してくれます。広島の同修みんなが、決まったことに対して何も言わずに黙々と協調してくれます。これからも、お互いに声を掛けあって、励まし合い、いろいろなことを乗り越えて行き、皆さんに私の足りない所をカバーしていただきながら、私なりに頑張っていきます。皆さん、ありがとうございます。師父に感謝いたします。

 
 
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