【明慧日本2014年8月5日】
生死を放下する
2007年夏、私の脚に突然瓶の底くらいの紫斑が5、6個現れました。姉は事情を知った後、病院へ連れて行こうとしました。姉は私に「おばさんが敗血症にかかる前もこの症状でした。発見してから亡くなるまで3カ月もかかりませんでした」と言いました。私は内心で自分は大法弟子だから、すべてが師父に按排されており、他人の按排は一切要らないと思いました。検査の結果が出ると、姉は慌ててしまいました。医者の話だと、彼女の血小板はすでになくなっているから、敗血症にかかるのは一瞬の事です。しかし私の心はとても穏やかでした。師父は「生死を放下できればあなたは神になり、生死を放下できなければあなたはやはり人間です」[1]と説かれました。敗血症が何だと言うのか、私は生死を放下する神だと思いました。
家族はみな驚いて、私を病院へ薬をもらいに連れて行きました。私は行きませんでした。主人は泣きながら、「この家、私と子供のためだと思って、行ってください」と言いました。私は「がんを患って治った例を聞いたことがありますか? このままいくと、私の病気は治らない上に、この家も破産してしまいます。修煉者の基準で自分に要求すれば、私の命も残るし、この家も益々良くなります」と言いましたが、主人は聞いてくれるはずもありませんでした。毎回強制的に薬を持ってきて私に飲ませようとするので、仕方なく、薬を持ってきたらそれを受け取り、主人の視線が外れた隙に、ポケットにしまいました。
薬を飲みませんでしたが、体も良くなる様子もありませんでした。夜寝るときに、邪悪は夢の中で、「あなたが患ったのはがんだ」と脅かしてきました。私は「あなたの按配を認めない。私には師父がいらっしゃいます」と答えました。目が覚めて、この命がいつ終わるにしても、生きている限り、衆生を救い済度すると思いました。それでいつも通りに資料を配りに行きました。
脚は普段の倍くらいに腫れていました。紫斑も以前より重くなりました。私は少しも気にせず、どんな高いビルでも登って配りに行きました。頭に敗血症の念が生じたら、すぐに取り除きました。「私は生死を放下する神である」という心から発したあの一念は動じることはありませんでした。
それから敗血症の症状が完全になくなりました。主人は検査の結果を見て、やはり科学を信じなければならないでしょう、煉功したからといって治りますかと言いました。私は溜まっていた薬をすべて出して彼に見せ、私が一粒も飲んでいないと言いました。彼はびっくりして、あなたは本当にそれほど法輪功を信じているのですか? 少しも死を恐れないのですかと聞きました。私は、この結果は生死を放下できた証拠だと言いました。
止まらずに通り抜けて行く
こうして、私の家族全員が更に大法を信じ、修煉を支持してくれるようになりました。一度、私と同修5人で車に乗って、隣の県の町へ資料を配りに行きました。途中で警察の検問に遭遇しました。パトカーは道路の真ん中に止まっていて、明らかに私たちのために来たようでした。道路は狭く、両側の道端を通るのはとても難しそうでした。運転していた同修は、この状況では通れないかもしれないと言いました。この時、2人の警官がすでに車の両側に来て、車が止まり次第、ドアを開けようとしていました。後の席に座る3人の同修は慌て始めました。車にたくさんの真相資料を置いてあったからです。私は運転席の隣の席に座り、脚元には2袋の『共産党についての九つの論評』が置いてありました。私は考えもせず正念を発して、通って行きます! と言いました。後の1人の同修が窓を閉めてくださいと言いました。運転する同修はハンドルを回して、パトカーに沿ってギリギリ通り抜けました。
パトカーは後を追いかけてきました。私たちは、絶対に私たちを迫害する邪悪を認めず、私たちが衆生を救い済度することを妨害するすべての邪悪要素を徹底的に取り除きます! と強大な正念を発しました。前方の市場は人で溢れていました。しかし、私たちの車が近付くと人の群れは自動的に道路を開けてくれて、通ると再び元に戻りました。パトカーは警笛を鳴らしても、通れませんでした。
この件が終わった後、皆で交流した時、同修は私のその言葉にとても強い威力を感じ、その言葉を聞いて皆すぐに落ち着いたと言いました。私は、その言葉は自分の心の底から発したもので、非常に力強く感じたと言いました。
私は必ず出ていける
去年、私は数人の同修と一緒に連行されました。私は正々堂々として少しも恐れませんでした。警官らは私たちを留置場に連行して、私の名字を聞きました。私は自分の名前が大法弟子だと答えました。
刑務所の中で、私は煉功したり、法を暗記したり、正念を発したり、大法弟子の歌を歌ったりして、それ以外の時は常に受刑者に真相を伝えていました。ある受刑者は私に「あなたはまるで自分の家にいるようだ」と言いました。私は「どこにいても自分はこのようです」と言いました。ある受刑者は「ここに半年か8カ月ぐらいいれば、このようにできなくなる」と言いました。私は「半年か8カ月も閉じ込められるわけにいきません。1カ月あれば出て行きます」と言うと、受刑者たちはみな笑って「一か月? どの法輪功学習者が半年以内に出て行ったの? あなたたちがここに入ってくれば、判決を下されるか、もしくは無期限に拘留される」と言いました。私は「この理は私には当てはまらない」と言いました。
牢屋にもう2人の同修がいます。1人は私に「この牢屋を管理する警官はとても人柄がいいので、彼女の携帯でご家族と連絡して、あなたのために賄賂をしてもらってみたら」と言いました。私は「私たちは修煉の人なので、なぜ常人を頼りますか? ここは私を閉じ込められるわけがない。必ず出ていきます」と言いました。彼女は「最初、私もそう思って大した事はないと思っていましたが、あっという間に一年になりそうで、やはりここにいるではないですか」と言うと、もう一人の同修が彼女に「あなたのこの考えは法に基づいていない」と言いました。私はもう一人の同修の念がとても正しいと思いました。
私は内心では非常にはっきりと分かっていました。私は邪悪が私を閉じ込められないと言ってから、心の中では、ここで大法を実証し終えたら、外へ出て大法を実証する事をやらなければならない、私の命をここで無駄してはならないと、この一念しかありませんでした。頭の中はとても空で、発正念の威力がとても強く、静功を煉るとそこに座ればすぐに入定しました。この数年来、一つの心得があり、つまり内心からの一念が全てとても正しくあるべきで、人心で考えてはなりません。人心が動じれば、魔難を招くだけです。
結果は1カ月が経ち、私は本当に正々堂々と留置場を出ました。私に賄賂を薦めた同修は、私が出る前、とても感慨深げに「私は正念とは何かを分かりました」と言いました。大法弟子は本当に常人に頼ってはならず、念を正せば、すべてが正されます。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『米国法会での説法』「ニューヨーク法会での説法」