明慧法会|季節が移り変わっても怠りなく着実に修煉する(二)
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 【明慧日本2014年8月14日】

 四、全体で協力すれば、違った環境の中でも法を実証できる

 「7.20」の後、一時期はどうすれば良いか分からなかったのですが、明慧ネットの同修の皆さんの文章が信念や方向を教えてくれました。最初は、私達の住んでいる所の同修が垂れ幕を作り、夜や早朝にメインストリートや市政府をいっぱいにしました。そして、町と田舎を垂れ幕でいっぱいにし、真相資料を戸別に配りました。その時点では、「上級から『法輪功の資料を配る人が捕まればその場で銃殺刑にできる』という指示がある」ことを夫は私に再三諭し、「家でこっそり修煉しなさい」と繰り返し説得しました。けれどもその時点では真相資料はとても貴重で、同修たちがみな万死を冒して作ったものなのに、なぜ自分が逃げ隠れできるというのでしょうか? 修煉するのか、それとも修煉をやらないのか? 自分の正念を強めると、恐れる要素はだんだん少なくなっていきました。一度80個余りの垂れ幕が来た時、私は一晩中かけて全部掛けたのを覚えています。その後、学法を続けることによって向上し、同修たちはだんだん協力するようになり、少しずつ全体を形成し、各プロジェクトの中でみな成長し、さらに成長したので、みんな違った環境の中で、違った方式で法を実証しました。

 2003年ごろに、私はある女性の同修と商店用の家を共同で借りて商売をしました。その時点では、私達の地元では真相を印刷したお札(紙幣)はまだなかったので、真相を書いたお札を使う同修も少なかったのです。この店を私達は真相を伝える窓口として、毎日物を売った後にお金に捺印し、真相を印刷しました。1日当たり1000元近くの真相を書いたお札が私達の店を通して世間に流れて行きました。真相を書いたお札を世間の人はみな持ちたがっていたので、毎日の取引の往来で、入金するとお金が出て行き、とても順調でした。真相がわからない常人が私のところへ来て「払い戻してください」と言う人はいますが、気にするあまり自分で使う事が出来なかったのです。「お金を使ってください。どんな時も、あなたが使うことができなければ、この金は私のものということになります」と、私は打ち明けました。相手はそれを聞いて安心し、真相を書いたお札をまた持って帰りました。またある常人が真相を書いたお札を見て、「どこへ行って『共産党についての九つの論評』を探せばいいですか? 私達はどこで見ればいいですか?」と聞いてくれました。私達はすぐに協調人に状況を伝え、夜に同修が『共産党についての九つの論評』を配りに行き、その衆生に真相を見せました。数年後、商売が終わり、私はいつものように毎日真相を書いたお札を使い、またよくスーパー、米屋、果物屋に行って真相を書いたお札を両替しました。通常は支払いのとき、真相を書いたお札を私は束にしてレジ係に支払い、また「両替しませんか」とレジ係に聞きました。時に、レジ係は自発的に「あなたはこの束の小銭を両替してくれるのですか?」と私に尋ねました。私達の住んでいる所の同修が真相を書いたお金を使うと、人々がみな使い、毎日使うという局面になりました。

 2年前、私は衛生アンテナのプロジェクトを展開しました。たくさんの常人の家族が理解しないため、プロジェクトの広がりは難しかったのです。しばらく経っても、この土地ではまだ衛生アンテナはありませんでした。「自分が皮切りに始めるべきだ」と私は気付いたので、協調人に協力し、まず私の家に設置するように準備しました。当時、夫と相談しなかったので、心中のプレッシャーはとても大きかったのです。初めて設置した時は、私の家は平屋建てなので位置が低く、交番から300メートルに満たない距離にあり、パトカーがいつも道路の脇に止まっていたので、ドキドキしました。後になって私は隣近所の人と相談し、隣近所の人の2階に取り付けました。常人の理から見れば、位置を高くすれば、より安全でした。この数年、私の家の周りでは四方八方で不動産を開発したので、高層ビルが林立し、絶対的な安全要因はありませんでした。法を実証しようとする心を弟子が持っているのを師父はご覧になり、弟子を加護し、全ての不安な要素を取り除いてくださいました。今年になって、警察さえ出て行きました。現在、衛生アンテナは私の家にあり、ずっと良い働きをしています。

 一昨年の元旦後、「師父の教え通りに、至る所に花を咲かせ(資料作成拠点を増やし)ましょう」と協調人が言いました。私の家ではまた小さな花が咲きました。パソコンとプリンタをもらったばかりの時、線をどこに挿せば良いのか、使い方もわかりませんでした。技術担当の同修の惜しまぬ応援の下で、私は真面目に勉強し、しっかり覚えたころ、「それらの機器を持ちながら歩いている」のを夢にまで見ました。僅かな努力で、今では数台の機械で同時に印刷できるようになりました。60歳の人間がまるで若者のように、みなぎる力と理性をもって、精巧で美しい多くの真相資料を作ることができました。師父のご支援に感謝申し上げます。私の小さな花は咲くのが遅かったのですが、私の小さな花が奏した作用はなかなか立派でした。特に新年や節句の度に、あるいはいろいろな記念日にはいつも、資料作りが大変になるので、私は同修と一緒に昼夜ぶっ通しで多忙になり、食事もできないほど大変で、疲れてベッドに横にならないうちに、もう寝てしまいましたが、真相資料をすぐに出すことができ、同修たちが真相を伝える環境を有効に保証しました。正法を修煉して幾つも年を重ねて、私も鍛えられて成熟しました。師父が安心してくださるように、私はこれから必ずさらに気を付けてこの小さな花にもっと綺麗な花を咲かせます。

 五、師父と法を信じて、何度も魔難に遭ったが無事に危険を免れた

 法を実証する方面ではまた、手に汗をにぎる関と難を経験しました。師父を信じ法を信じ、はっきりとした正念によって、師父に守られていたため、その都度、間一髪で何ごともなく、佛法修煉の奇跡をもたらしました。

 2010年、私は神韻芸術団の公演DVDを直接人に渡したことがなかったので、一念を発し、師父のご加持を求めて神韻DVDを直接配りました。道中、商売をする人、魚を売る人、コンピュータを修理する人に会い、誰に会っても配りました。「メーデー」、運動会、市場のキャンペーンなど、人が多い時は、大量に配りました。一度、同修と自転車で神韻DVDを配りに行った時は、本当に危険な状態が続きました。私が配った相手は、私服警官でした。警官は「これは何だ?」と聞きました。「これは『神韻』というもので、中国伝統文化です。『大長今』のような俳優なら敬服しますよ!」と言うと、警官は聞いた後に私に怒鳴り散らしました。私は「あなたは何を叫んでいるのですか? 見ないなら結構です、他に見たがる人がいますから。でもこれは探しても見つからないものですよ」と言うと、「これは誰が作ったのだ? どこから持って来たんだ」と言うので、私はものを言わず奪い取り、「いらないなら返して!」と言いました。ちょうどよく行商人が私の方へ来たので、私はついでに行商人に渡しました。この時、警官が電話で、「早く来い、2人の法輪功がDVDを配っている、早く来てくれ!」と話しているのが聞こえました。警官が話している合間に、私は急いで同修を呼んで、繁華街で、大変な人出だったので、急いでコートを脱いで人混みにまぎれて逃走しました。

 そのうち、私達は裏の出入り口から出て行こうと思ったのですが、行ってみると私服警官が車を運転して立ち止まっていました。すぐに師父のご加持を求めたので、警官には私達が見えなくなり、見えても分かりませんでした。それから私は臆することなく警官のそばを通って、タクシーで帰り、家に戻った後に着替えをして、自転車を取り返しに行きました。

 またある年の冬は寒くて、私は足が痛くなりました。一度農村へ行って真相資料を配った時、車は1人の女性同修を他の村に送り届けました。村全体が大雪に覆われ、日が暮れて道が遠く、真夜中、けたたましく村全部の犬のほえる声がして、びっくりしました。若い女性同修の安全が心配だったので、運転手に「私も送ってくれませんか?」とお願いしました。車を降りると、私は足が痛くて歩けませんでした。いけない、まだたくさんの資料を配っていない! と私は思いました。「私は歩くことができないって? そんなことはない、私は行きます!」という念が出ると、私は本当に走りだしました。15キロにわたって村に配り終わってから、同修が好奇心から「あなたの足はどうして歩けるようになったのですか?」と聞きました。私の足はどうして歩けるようなったのでしょうか? 痛くなくなりました! 私には「人を救う」というその一念があったので、師父が私をお助け下さったのです。「念を正しくすれば 悪はじぐに崩る」[4]、私達が正念を持って正しく行いさえすれば、師父の保護は万能なのです。

 資料を配布した時、時には自分の心がままなりませんでした。ある年も寒中に資料を配布し、夜が更けて人が寝静まり、雪が深く積もって、見知らぬ村は真っ暗でした。旧正月の前に資料をみな配り終わらせたいと私と同修は一心に思ったので、「やろう」という心が起きました。その期間、師父は何回も私たちに自覚させようとなさいましたが、私たちは何回も迷子になり、さらに自分を見失い、最後には銃を手にした警官に連行され、労働教養所に入れられ10日後に正念で出ました。

 その後、自分の修煉にあまり影響はありませんでしたが、私と夫の家族には大きな影響を与えました。私の弟はもともと三退していましたが、今度は610弁公室に脅されて利用され、弟は恐怖心が起きてしまったので私の説得を聞かず、サインし、いわゆる「保証人」になってしまいました。それを考えると、とても心がさいなまれるようでした。

 六、何事においても法に照らし、私心のない同修たちによって私は精進するようになった

 修煉してここ何年か、自分が世界で一番幸せな人だと私は思いました。大法が伝わり始めて縁があって出会い、衆生のためにすべてをお捨てになった慈悲で偉大なる師父に出会い、また私と深い縁のある、大きな助けを私にくれた同修に出会えたからです。私が修煉を始めるまでの2年間に、同修たちは絶えず私に法を伝え、私に電話をかけ、功を学びに来るように誘ってくれました。無神論と邪党文化の壁のために、私は何度も拒絶して言い逃れをし、八方手を尽くしていろいろな口実を理由に逃げていました。それなのに同修たちは諦めず、後になって私は口実を探すのに自分でも恐縮して、「この人たちはどうしてこんなに良い人なのでしょうか。私はこんなに口実を探して彼女たちを騙しているのに、彼女たちは嫌がらない」と思いました。

 丸2年、私はやっと煉功に入っていき、本当に同修たちの洪大な慈悲が濁世に眠る私を起こしてくれました。自分との大きな差をみて、「法を学びて法を得る  比して学び比して修す  事々対照し 做すところ到るは是修なり」と師父は説かれましたが、同修たちと比べて、この無私無我の慈悲が欠けていることに私は恥ずかしくなりました。

 ある同修は精進せず、事をなすのに法に基づいておらず、あるいはある同修は病業の関の中にいて正念がなく、何かと理由をつけて病気を治すことを求める自分の心を覆い隠しながらも、「鉄が鋼にならないのを悔やむ(能力があるのにそれを十分発揮できないのが残念だ)」と憤慨も持ち、心の中でぼやき、全く「他人のため」の円融ではないことを、私は見ました。しかし、同修たちは私のために惜しまず生き生きとした世界を開き、背中を押された私は以後もっと精進し着実に修煉し、全体を円融し、本当に「無私無我」を実行できました。その他にも、私の地域の同修は師父の要望通りに、三つのことを行い、神の道で精進しています。

 15年の大変だった道を振り返ると、その苦しさで心が揺れ動きます。自分の責任は重いと私は知りました。「しかし正真正銘の佛は宇宙の保護者であり、宇宙の全ての正の要素に責任を負うのです」[6] 師が法を正すことを手伝うという偉大なる使命と、無量の衆生が救い済度されることを私たちは担っており、未来の道を正しく歩まければなりません。

 慈悲で偉大なる師父に重ねてお礼を申し上げます!

 (完)

 (明慧ネット第10回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 注:

 [4]李洪志師父の詩歌:『洪吟二』「何を恐れる」

 [5]李洪志師父の詩歌:『洪吟』「實修」

 [6]李洪志師父の著作:『導航』「米国西部法輪大法法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/9/281998.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/11/18/143295.html)