一念によって 違う結果がもたらされる
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年8月18日】2000年の夏、私は仕事を始めて2年目で、ある山の中でトンネルを掘る工事をしていました。その、トンネルの唯一の通路が斜めの井戸でした。

 ある夜、私が当番をしているとき、外は大雨が降り続いていました。私は電話で、「大雨ですので、仕事を一時中止しますか?」と責任者に聞きましたが、責任者は、現場の状況を見たら中止する必要はないと言いました。責任者が行ったあと、突然、私は大量の水が土や石と交じり合って井戸に押し寄せてきた光景が見えました。トンネルの中には、私以外の、現場のスタッフ12人がいます。その時、私たちは大水がどこから来たのか分からなかったのですが、実は山頂のあるダムの堤防が崩れたため、激しい洪水がまっすぐ流れてきたのでした。トンネルの入り口の排水口から水を排除することが間に合わなかったので、たまった水がだんだんあふれて来ました。すると、井戸まで一気に流れてくる光景が見えました。その時、トンネルはまだ貫通していないので、まるで、口を開けたままの容器のようです。時間が経てば、土石流はトンネル全体を埋めてしまうので、間違いなく、その中にいる人全員が水中に沈んでしまうことになります。

 この場面に直面した時に、私は一念が生じました。「私は大法弟子なので、師父は私のことを必ず加護してくださいます。私は無事にここから出られます」と思いました。その時、また師父は、何かあった時に、他人のことを自分のことより先に考えるという法理を教えてくださったことを思い出しました。ましてこのような危険な状況に臨むとき、現場のスタフたちはトンネルの奥にいたので、洪水がトンネルを満たしたら、逃げ道はなくなります。私は彼らに知らせなければと思いましたので、私は外に走るのではなく、トンネルの奥に向かいながら叫びました。「大水が流れ込んできました。早く逃げましょう!」。現場のスタフたちは直ちに私について、入り口のところに向かって走っていきました。私たちは流れに逆らって上りました。泥土と石でいっぱいになった道はでこぼこで、歩きにくい道でした。私たちが入り口に辿り着いたときに、多くのスタフが水をせき止めていました。私もこの救助活動に参加し、最終的には全員無事でした。

 寮に戻ってから、自分の足と腿に数十カ所の傷があると気づきました。次の日、足が腫れていて歩くことが出来なくなりました。私はベッドの上で座禅をしました。そして、何の薬も飲まずに、1週間後に治りました。

 会社側は私が時機よく知らせることがができたことと、一生懸命に救助活動をしていたことを表彰してくれました。しかも、賞品つきです。今、当時のことを振りかえって、もし師父のことを思い出さなければ、あるいは、自分が命拾いをすることだけを考えていれば、違う結果になっていたかもしれません。ここで再度、命を救ってくださった師父の恩に感謝いたします。 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/8/8/295696.html)
 
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