二度の交通事故の後に起きた奇跡
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文/中国の大法弟子 瑞蓮

 【明慧日本2014年9月11日】私は医療関係者です。しかし、若い頃から体が弱く病気がちでした。その後の数十年間、私はずっと医者を求め、薬を求め、このような人生を送っていました。私は1996年2月に法輪功の修煉を始め、やっと健康になり、心身ともにこの上なく穏やかで体が軽くなりました。この苦難に満ちた18年間に、私は師父の広大なご慈悲と、また法輪大法は博大で奥深く、玄妙で超常的であると深く体感しました。本日、私は修煉の中で自ら経験した神秘的な出来事を書き出して、人々に大法が素晴らしく超常的であることをお伝えし、中国共産党の大法を中傷する虚言を暴きたいと思います。

 1996年、秋が深まったある日、道を渡ろうとした時、私は30トン余りの石を満載した大型トラックに跳ねられ、10メートルぐらい先に飛ばされました。もし、大法を修煉していなければ、また、師父に護られていなければ、私はとっくに命を落としていたでしょう。その場にいた誰もが、もう駄目だと思ったに違いありません。その時、私の元神が体を離れ、痛みは全くなく、また自分の体が見えました。気が付いた時、私はすでに病院のベッドに横たわっており、左の膝蓋骨、下腿の骨、肋骨が骨折し、太ももの筋肉は壊死していました。医者達はこれほど広範囲の筋肉の壊死は、この病院ではまだ前例がないと言いました。しかし、私の体の回復ぶりを見た医者と友達の誰もが、驚きを隠せませんでした。

 退院時、医者は必ず2回目の手術を受けなければならないと言いました。退院後、傷痕に新しくできたかさぶたは鉄のように硬くなりました。ある日、膝下から先が赤く腫れ上がり、その後、黒みがかった紫色になりました。しかも、腫れて破裂しそうになり、裂けた所から水が出て、膝から足首まで同じ太さに腫れました。

 夫は病院に行き、主治医と治療計画を相談して、脚の切断手術をするかもしれないと言いました。その時、すでに高熱が3日間続いており、脚と背骨が我慢できないほど痛くて、眠れませんでした。私の医学知識では、病院で切断手術する他には方法がないと分かっていました。私は師父にお願いするしかありませんでした。

 私は涙を浮かべながら、張り裂けそうな脚にガーゼをしっかり巻き付け、師父の法像の前に座りました。両手を合わせ、心の中で、「師父、お願いいたしします。私は煉功したいのですが、脚がなければできません。私は人に迷惑をかけたくありません。自力で生活したいのです。脚を切断したくなく、私は法輪功を修煉して脚を治したいのです」とお祈りしました。師父にお願いし終わってから、脚も背骨も痛くなくなり、いつの間にか眠っていました。

 目が覚めた時、すでに翌日の朝になっていました。包帯を開いた私は、夫を大きな声で呼びました。「ほら、見てください。あなたは納得しましたか!」と言いました。掃除をしていた夫は手に箒を持ったままやって来て、私の足を見て、口を開け、目を丸くして、しばらくしてからやっと我に返り、「納得した。納得した」と言いました。夫は以前、私が法輪功を修煉するのに反対していました。私が「どうしますか?」と聞くと、夫は「美味しいものを作ってあげよう。もう病院には行かない」と言いました。

 一夜のうちに、脚は黒みがかった紫色から元の色に戻り、太さも正常の時と同じようになり、また幅1センチで長さ20センチのかさぶたも消え、傷口も柔らかくなりました。家族全員が私の体のこれほどの変化を目撃してから、私が法輪功を学ぶことを支持してくれるようになりました。

 法を学ぶに従って、脚は毎日奇跡的な変化を見せました。ある日突然、私はベッドから転落しました。家族はみな驚きましたが、しかし、怪我した脚は痛くもなく、かえってとても気持ちよく感じました。しばらくすると、脚を伸ばせるようになり、その後、ベッドから降り、煉功できるようになりました。それからは、私は杖も使わなくなり、夫と一緒に大きなテープ・レコーダーを買って来て、毎朝、他の修煉者達と一緒に煉功に励むようになりました。

 また一度、私がたらいに半分位の水を入れて、階段を下りていた時、足を踏み外し、ドンという音を立てながら、1階まで転落しました。一階に住んでいた人がその音を聞いて飛び出して来て、私を支えながら「大丈夫ですか?」と聞きました。私は「大丈夫です」と答えました。部屋に帰って、鏡を見ると、引きずっていた脚が治っただけでなく、数十年来の猫背も奇跡的に真っ直ぐに伸びていました。多くの人が「法輪功は素晴らしい!」と言いました。

 私は法輪功を修煉して、こんなにも大きな恩恵を受けたので、もっと多くの人に紹介すべきだと思い、『轉法輪』と師父の説法の録音テープをたくさん取り寄せて、親戚や友達に贈りました。それにより、彼らも次から次へと大法の修煉の道を歩み始めました。大法弟子の職業も年齢もそれぞれ違いますが、毎朝、煉功場はとても穏やかで、法を学んで会得したことなどを交流します。時間がきて煉功の音楽が流れると、皆は整然と並び、静かに真剣に煉功を始めます。

 2000年2月、私は法を実証するために北京へ行き、中国共産党に拘束され、1年の不当な労働教養処分を強いられました。身体検査の時、医者は私の脚を見て、「本当に大したものだ」と言いました。医者から見れば、これほどの筋肉が切除されていれば、本来自由に歩けるはずがないと言います。医者は「骨折すれば、骨はくっつけることができても、筋肉が切除されれば、再生することはできない」と言いました。

 ある日の早朝、起床前に、目をちょっと開けると、1本の金の脚が見えました。その膝は、幅10センチぐらいの薄い金のバンドによって固定され、膝から指先まで全て、きちんと金のバンドが巻かれていました。目を閉じて再度開いても、この黄金の脚がやはり見えました。その光景は今でもありありと目に浮かんできます。本来、私の脚は膝上から切断すべきだったのですが、師父が私に1本の黄金の脚を下さったのです。それにより、私はこの脚を使うことができるようになりました。私はそう悟っています。

 2011年の春、私はまた車に跳ねられ、ひどい怪我をしました。運転手はとても驚いて、私を病院に送ろうとしました。私は「大丈夫です。私は法輪功を修煉しています。私はあなたからお金をゆすろうとは思っていません。私を家に送ってくだされば結構です」と言いました。彼は私を家に送る途中で、「ありがとうございます! 私は今日、本当に良い人に出逢いました」と言いました。私は「感謝するなら、私の師父に感謝してください。師父が私にこのようにさせたのです」と言いました。私は彼に大法のお守りを二つあげ、彼と奥さんに三退してあげました。

 その後、私はベッドに横になり、痛くて数日間動けず、時には意識が遠のくこともありましたが、しかし、師父を信じ、大法を信じ、心が動揺することはありませんでした。僅か10日余りで、怪我は自然に治り、いかなる後遺症もありません。その後、いろんな人から、「あれほどの大事故に遭って、相手の人に1銭も要求しないのは、普通の人にはあり得ないことです。あなたはよくやり遂げましたね。法輪功は本当に素晴らしいです」と言われました。

 80歳くらいのお婆さんで、顔に卵の大きさぐらいの瘤がありました。以前、私はお婆さんに「法輪大法は素晴らしい」「真・善・忍は素晴らしい」と念じるようにと言いましたが、あまり信じませんでした。今回は信じて、しかも、毎日念じていました。数日前、お婆さんに会った時、顔の瘤はすでに4分の1くらいに小さくなっていました。お婆さんは「瘤だけではなく、若い頃からの病気も治った」と言いました。お婆さんは自分の体験を他の人にも伝え、大法と師父のことも伝えています。

 二度の交通事故の後に起きた奇跡は、親戚や友人、それを知った世間の人々に、大法の不思議さをその目で確かめ、また、大法が正法であることを知ってもらうことができました。私は自分が大法弟子であることをこの上なく光栄に思っています。すべての縁ある人々が大法に救い済度され、もっと多くの人が「法輪大法は素晴らしい」「真・善・忍は素晴らしい」と心の中にしっかり刻み、また中国共産党の関連組織から離脱して、自分に素晴らしい未来を選択してほしいと願っています。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/8/26/296060.html)
 
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