漸悟の中で見た長期にわたる病業(二)
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文/中国の大法弟子 洪願

 【明慧日本2014年10月22日】本文は作者が自分の状態の中で見たもので、あくまでも同修のご参考まで。法を師としてください。(編集部より)

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 延長された命を大事にせず、長期にわたり常人の中に陥る

 この状況は高齢の同修に多く、一部の中年の同修、また極めて稀ですが若い同修にもあります。彼らの多くは自分の生命が延長されているとは知らないのです。

 師父は『轉法輪』の中で「しかし、ここに基準が一つあります。定められた天寿を越えた、延長された生命は、すべて煉功するために与えられたものであり、間違った考えが浮かんだだけで命の危険を招くことがあります。というのは、あなたの生命の過程はとっくに終わっているからです。世間法の修煉を終えて、この制御を受けなくなれば話は別です。その時になれば、まったく別の状態になるのです」と説かれました。

 私の次元で見ると、大法の修煉の中で、寿命を延長された人は沢山います。しかしその中には、とても精進している人もいれば、精進していない人もいます。修煉者の本当の一面がどこまで次元を突破したのかとは関係なく、肉体の修煉が出世間法を出ていないため、この制御を受けるわけです。この状況の人は、病業が現われたら、速やかに自分の内に向かって探し、トラブルの中で自分を高め、正しい念を持ち正しく行えば、続けて次元を突破でき、師父が法を正すことを手伝うことができます。しかし、もし正しい念を持つ事ができず、正しく行う事ができなければ、危険です。

 ある高齢の同修は、修煉をしていない子供のため、自分の精力の大部分と貯金を孫に捧げました。まるで家政婦のように孫の世話を全部見ますが、孫を修煉に導き精進できるようにはしません。その同修は「誰にも優しくする」という口実をもって肉親への執着を覆い隠しており、実のところ子供を甘やかし放任しているだけなのです。その子供は大きくなった時、かえって修煉しなくなり、あるいは「中士、道を聞けば」のくだりにあるように、道を聞いても存るが若く亡きが若しというような大人になります。世間に下り師父が法を正すことを手伝うために私達が誓った約束を考えれば、法を正す中へ身を投じ衆生を救い済度する事こそ私達にとって一番重要なことです。本当に重要なのが何かを区別できなければ、大法のために費やす努力と孫の世話との関係に正しく対処できません。またこの2つの間のバランスをうまく処理できなければ、トラブルになる事は避けられません。

 病業の状態に置かれているがために、このような魔難に陥る人もいます。一旦現われたら、もし根本的な原因がここにあるのであれば、悟らなければ解決の方法がありません。長期的に繰り返し病業に妨害されている高齢の同修は尚更、内に向けて探すべきです。もし長期に渡って魔難に陥っているなら、向上すべき面において正しい念を持ち正しい行いができなければ、その病業の中で師父に願っても、同修たちに正念を発してもらっても、あまり効果はないのです。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/10/8/298638.html)
 
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