ヨーロッパの学習者:明慧文章を校正する中での体得
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文/ヨーロッパの大法弟子

 【明慧ネット2014年11月9日】ある同修は2012年、私に明慧文章の校正を手伝えないかと聞いてきました。私は、今の私にそれをする余裕がどこにあるのか、と思いました。

 あの時、私はサービス業でアルバイトをしていました。優しくて人を助けることが好きな私に、同僚たちはよく代わりに出勤することなどを頼んできます。仕事以外の時間に私は、いくつか大法の仕事を行っています。今になって思い出せば、当時の私の修煉状態はあまり安定しておらず、イベント参加の協調や、新聞を配ること、観光地に行って中国人観光客に真相を伝えることや、神韻の宣伝などを積極的に行っていましたが、毎日欠かさずに学法煉功をすることができていませんでした。

 一方、2000年から修煉を始めて以来、私はずっと明慧ネットに対して敬意を払っています。小さい時から読書は私の最大の趣味ですので、同修たちが書いた交流文章を読むのが好きです。青少年の時期に私は多くの中国に関する本を読んでいたため、中国人の学習者が書いた交流文章に対して私は特別に感慨深いです。自分を感動させた文章を読んだら、私はよくそれを現地の学習者たちに転送します。その習慣は今日までも続いています。

 そのようにして、私は2年前から明慧文章の校正を始めて、また要求がとても高いこの任務の中で成熟してきました。校正を行う当初、私は作者の立場に立って校正することを試みて、とても時間がかかりました。最初の数カ月、1篇の文章を校正するのに6~8時間もかかりました。訳文を読む時、分からないところにぶつかると、私は中国人同修に助けを求めます。彼女はよく私に中国の実情、中国人の話し方と考え方を教えてくれるため、次第に私は中国大陸の同修たちが置かれた環境を理解するようになりました。

 はじめの時、どのように文章を校正するのか、私はよく把握できませんでした。ある中国人同修が書いた文章の訳文を校正した時、ドイツ語に翻訳された訳文はそれほど上手ではありませんでしたが、私は文章の内容をよく理解できました。数時間かけて校正してから、文章は筋が通って読みやすくなり、私も自分の校正文をとても気に入りました。しかし最終の校正文を開いて見たら、自分が訂正した多くのところは元通りにまた直されていることを発見しました。その時、まさか私の自己満足と顕示心が旧勢力に隙に乗じられたのか、と困惑しました。あれ以来、私は文章をあまり変えずに校正する方法を取ったのですが、今度はかえって、文章をより良く添削してくださいと教えられました。

 「死線をさ迷う同修を救い出す(1)(2)(3)」の文章から、私は多くのことを学びました。文章では、修煉者たちが師父と大法を堅く信じて、ある生死の境をさ迷う同修の命を挽回したことが書かれており、私は深く感動しました。大きな苦難を乗り越えるため、2人の修煉者が師父の写真の前で一晩寝ずに『論語』を暗唱したとの内容を読んでから、私も『論語』の暗唱をとても重要視し始めました。それからの魔難に遭った時、私はその方法で執着心を見つけて、魔難を乗り越えて、慈悲心と寛容も持つようになりました。

 明慧文章を校正・編集する中で、私は多くのことを学び、自分も進歩して向上しています。上述の例は多くの事例の中の一つに過ぎません。ここ2年間、大法に対する理解も大いに深まって、そしてどんな事に遭っても大法で判断することを私は学びました。

 師父が私たちに要求されている三つのことをより良く行わなければならない、と私は意識しました。明慧編集という良きチーム、ここの修煉環境、および私を助けてくれた全ての同修に感謝したいと思います。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/4/299816.html)
 
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