文/中国の大法弟子 安心
【明慧日本2014年11月14日】昔、多くの修煉者は修煉しようと思った時に、まず座禅できる場所、洞窟を探し、そして、洞窟に入って修煉しました。
ある人は、若いときから、修煉する決心をしました。彼は洞窟を探し始め、やっと一つの洞窟を見つけ、そして、時間をかけてきれいに片付けました。その時、ある年配の人がやってきて言いました。「あなたはまだ若くて先があります。私は年を取ったので、直ちに修煉しないと、間に合わなくなります。この洞窟を私に譲ってくれないでしょうか?」彼はしばらく考えましたが、自分が見つけた洞窟を老人に譲りました。
彼はまた洞窟を探しました。色々な苦労をしました。やっと洞窟を見つけ、そして、きれいに掃除しました。その時、ある手足の障碍者がやってきて言いました。「あなたはこの洞窟を私に譲ってくれませんか? あなたは健康な人なので、手足が自由に動けるし、私は障碍者なので、自分の力で洞窟を探すことが難しいのです」。彼はもちろん手放したくないのですが、しばらく考えた末、やはり障碍者に譲ることにしました。
そのあと、彼は引き続き洞窟を探しました。しかし、彼が洞窟を見つけると、すぐ人に譲ることになり、ずっとその繰り返しでした。知らないうちに、歳月が過ぎました。彼は年老いたので、歩けなくなりました。
最後、彼はやっと気に入った洞窟を見つけました。そして、時間をかけて掃除しました。彼はついに自分の洞窟を持つことができ、非常に満足しました。
この時、ある若者がやって来て言いました。「あなたは年老いているから、これから修煉しても、間に合わないと思います。私はまた若いので、たっぷり修煉する時間があります。この洞窟を私に譲っていただけませんか?」
彼は気落ちしました。どうして自分はいつもこのようなことと出会うのでしょうか? 自分はもう年老いて、次の洞窟を探す力がありません。彼はまた考えに考えて、結局この洞窟を若者に譲ることにしました。
彼が振り向いた時、目の前に、金色に輝く大きな神様が現れました。神様は「私について来てください。あなたはもう修め終わりました」と言いました。
なるほど、他の人のことを成し遂げることは自分のことを成し遂げることになります。長い人生の中、多くの場合、私たちは辛さを耐えながら、しかも結果も見えず、希望も持てません。一念によって、天国か地獄かが決まります。私たちはただ、誠実、善良、忍耐を心に抱き、時々刻々、他の人の立場で考え、自分のやるべきことをしっかりやっていけば、私たちの行ったことは私たちを幸福な彼岸へと導くことになります。
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/10/2/146201.html)