文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年11月16日】私の周りの年配の同修は、脳出血のような症状が出て、倒れてしまいました。私は同修のことを知りましたが、同修はきっと大丈夫だと固く信じました。同修への雑念が少しでもあれば、直ちに取り除きました。その後、同修は元気になりました。この前、ある同修が家に来て、「同修の◯◯さんは自分の妻に、不満があり、怒ったりしている」と話しました。私は「同修達はみんな難関を乗り越えています」と言いました。
同修が帰った後、私の頭の中に二つの画面が現れました。1人の同修は体中血だらけです。しかし、同修は師父に対する堅い信念を持って、粘りぬいて前に這って行きます。もう1人の同修は、体中土だらけで、隙間の中を、あきらめずに通り抜けようとして、全力を尽くして必死になって自分の体を移動させながら前に進んでいました。私は同修達が大法を固く信じることに感動して涙が出てきました。難関を乗り越えようとしている同修は大変です。こんな時こそ、難関を乗り越えている同修達には、たとえわずかでも私たちが正念で励まし勇気づける声援が必要なのです。
その時、私は悟りました。師父は説法の中で、意気地のない弟子に対し、責められたことはなく、転んだら早く起きあがりなさいと言われました。師父は私たちが難関を乗り越えるときのつらさを分かってくださいました。難関を乗り越える弟子たちに少しの負担も負わせたくないのでしょう。私は自分を責めました。以前から、難関を乗り越えようとしている同修に対して、批判や不満を抱いたことがあります。それは同修の力を弱め、同修への負担を増やすことになり、同修にとってはさらにつらいのです。
ここで、難関を乗り越えようとしている同修に、私たちには師父がおられ、法があることを信じてくださいと言いたいのです。そうすれば、あなたは必ず難関を乗り越えることが出来ます。同修よ、私はあなたを応援します。
自分の悟りですので、適当でないところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いします。