同修が10年待った一言
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年11月16日】ある同修が病業で苦しんでいます。体は旧勢力の迫害を受けてぼろぼろでした。骨の関節がとても痛んで行動が不自由になり、このような状態が1カ月も続きました。同修は自分のどこかが旧勢力に隙に付け入られていると、絶えず自分の漏れを探しました。私が同修の家に交流に行ったとき、同修は私を見て、10年前のことを思い出しました。すると、直ちに自分に恨む心があることに気づいたようです。その瞬間、同修はやっと自分の心の中のしこりが解けました。私が「ごめんなさい」と言い出した時、同修は残念そうな表情で私に言いました。「ごめんなさいという言葉を、私は10年待ちました」という同修の言葉を聞いて、私は恥ずかしくてたまりませんでした。

 家に帰ってから、心を静めて、自分を探しました。それは自分の修煉の道で、振り返りたくない昔のことでした。2001年5月、旧勢力の迫害のため、AさんとBさんは警察に脅迫されて、私のことを言いました。私も彼らと同じようなことをしました。このことを思い出すと、私は心の中に痛みを感じます。大法に泥を塗ってしまい、私のせいで、同修のご主人は捕らえられ、迫害されました。同修のご主人は大法に泥を塗りませんでした。しかし、このことは同修と同修の家族に、大きな苦痛と経済的な損失をもたらしました。私も同じように迫害され、不当に拘束されたあと刑務所に入れられ、仕事を失ってしまいました。

 刑務所で、私は再び過ちを繰り返してはいけないと気づき、師父に私のようなだめな弟子を救い上げてくださいとお願いし、慈悲なる師父の加護で、私は消業の形式で刑務所から出てきました。帰ってから、たまに同修夫婦と会いましたが、彼らは前のことを気にしていないと話し、変わらず心を込めて、私と交流してくれました。私は心の中で何度も「ごめんなさい」と言いたかったのですが、勇気がなく、自分の体裁を気にする心によって機会を失いました。旧勢力も隙を探し出して、同修との間に間隔をつくり、同修の恨む心は10年も続きました。

 今、病業で苦しんでいる同修を見て、私はこのすべてが旧勢力のせいだと分かっています。しかし、私にも責任があります。私に過ちを改める機会をくださった師父に感謝いたします。同修夫婦の慈悲と寛容に感謝します。私はすでにAさんとBさんを許しましたが、それでも、自分の考えの中に恨む心があるかどうかを徹底的に探さなければいけないのです。それと同時に、私は修煉の中で、他の人を傷つけたことがあるかどうかを探すべきでした。そして、機会をつかんで、同修達に「ごめんなさい」と言います。

 認識が正しくなければ、ご指摘ください。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/6/7/242059.html)
 
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