食に対する執着は情であり欲望
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文/天山雪蓮

 【明慧日本2014年12月18日】何かを食べたい、何かを食べたくない。これは情だけでなく、欲望でもあります。古人いわく、食、色は欲望です。現代人は食べ物の楽しみを重視しています。 

 以前、私は食堂を営んだことがあって、食事の栄養、色、香り、味及び形を重視していました。修煉して以来、肉を食べなくなりましたが、やはり野菜餃子には未練が残ります。資料拠点で暮らしている私は、資金や時間を節約するためにごく簡単に食事を済ませています。普段、よく食べているのは素麺、コチュジャン、漬物です。これらのものを多く食べ続けると、頭の中にこんな念がよく出てきます。実家に帰ったら、必ずお母さんに野菜餃子を作ってもらおう。

 これを度々思ううち、執着になってしまいました。ある日、この念が出てくるや否や、私が好む食べ物が瞬時にトイレの糞になったのが見えて、気持ち悪かったです。これによって私が悟ったのは、一人の人間が神に修めれば、人間社会の食べ物に興味を持つはずがありますか? 現代社会において、人々が食べているものは変異し、汚染されていて、栄養と言えるものは何があるでしょう? 何が美味しいと言えるでしょう?

 私は自分の間違いに気づきました。今日まで修煉し、未だに何を食べるかに執着しています。これは情であり、欲望であると思いました。別の日に、ある同修と一緒に仕事をしていて、仕事が多いため、お昼に餅だけを買いました。野菜炒めでもしようと思ったとき、師父からの啓示を感じました。師父は説法の中でおっしゃいました。「皆さんが弟子であり、私が師父なので、もちろん、私は遠慮しません。あなたが食事をする時、ご飯を出すと、他の空間では既に持っていかれました」(『北米第一回法会での説法』) また、師父は私に、勇猛邁進に精進し、間もなく、思いもよらない美味しいケーキやアイスクリーム、パンなどが食べられると啓示されました。もちろん、それは天国で食べることです。励ましてくださった師父に、感謝致します!

 私のように、食に対する執着を持つ同修がいるなら、どうか、早くその執着を放下して下さい。お正月に近づき、家では多くの美味しい食べ物が用意されるでしょう。どうか、食に対する執着が生じないよう、くれぐれも注意しましょう!

 映画『少林寺』の中で、年寄りの和尚さんは若い和尚さんを見つめ、言いました。「食べ物を好み、睡眠を貪り、教えるに値しません!」。こうしてみれば、食に対する執着は修煉界において避けることだとされています。猪八戒はなぜ「八戒」と呼ばれているでしょう?「猪八戒」は人間の劣性の集合体とも言えます。食を貪り、睡眠を貪り、死を恐れ、怠け、悪知恵を働かす、いざこざを起こす、意志が弱い……故に「八戒」と呼ばれています。こう考えてみれば、食に対する執着は小さな問題ではなく、一つの大きな戒律です! 最後に、皆が円満成就の基準に達するよう頑張りましょう! 師父がおっしゃったように、「執着が一つも漏れることなく無くなるまで修めて」(『精進要旨』「修煉は政治ではない」)共に精進しましょう

 偉大なる師尊の啓示、加持及び救い済度に感謝致します!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/12/16/301556.html)
 
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