文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年12月26日】ある夏の日の午後2時ごろ、仕事中の私は突然お腹に痛みを感じました。しばらくするとさらに痛くなり、立っていられない状態でした。その時、私は心の中で考えました。「私は大法弟子なので倒れてはいけない」。この念が出てくると、体の状態は少し良くなってきましたが、仕事を終えるまでずっと我慢していました。家に帰ると、痛みがますますひどくなり、まるで誰かが私のお腹に手を入れて、五臓六府を体外に取り出しているかのようでした。トイレに行くと下血していました。私は怖がりもせず、病気だとも思っておらず、ましてや「死」のことを思ってもいませんでした。心の中は落ち着いて、何の雑念もありませんでした。次の日の午前中、お腹の痛みは少し治まりましたが、まだ下血していました。5日後、このような症状は完全に治りました。
この出来事の後、私はある夢を見ました。ある空間の高台の上に椅子があり、数人の大法弟子がそこに座り、私もそこにいました。そして、無数の衆生が高台の下で黙って高台の様子を静かに見ていました。高台の上に座っている大法弟子の人間の空間での体には偽りの病業が現れていました。
時には業を消したいと思い、時には病気だと思い込むと、病業はますますひどく反応しました。最後に自分を常人とみなして病院に行き、結局この世から去ってしまいました。しかし他の空間では、大法弟子は死んでいません。この真実が明らかになった時、他の空間の大法弟子は、穴があれば入りたいほど恥ずかしく感じました。高台の下の多くの衆生には、このすべての過程が見えました。大法弟子の一つの考え、一つの念が皆の前に晒されています。私の身体がひどく痛みを感じたとき、旧勢力の手は本当に私のおなかの中に入り込んで、内臓を取り出していました。
その時、私は「師がおられ、法があるので、怖がることはない」と思いました。この堅実な一念が出てくると、法輪は自動的に修復します。足りない内臓は、完璧に再生することが出来ました。この場面を目撃した衆生は驚き、心の底から大法の素晴らしさを称えました。旧勢力も敬服し、何も言うことはありませんでした。
このことを通して、私は分かりました。普段、私たちのすべての思いを、衆生たち、神々は注目しています。心を静めて学法さえすれば、肝心な時になると、旧勢力の按排を破ることができ、衆生を救い済度することが出来ます。
私は多くの人心を、まだ取り除いていません。しかも、怠ける心もあり、人に「顕示心がある」といわれることを恐れています。そのため、この体験を書き出しませんでした。次元に限りがありますので、不足の部分は慈悲にご指摘ください。
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/11/24/80249.html)