文/悟真
【明慧日本2015年2月13日】私はとても強い利益を求める心を持っています。しかし、長い間、家庭の収入がある程度良かったため、利益心は如実に表面には現れていませんでした。反対に、大法修煉を始めてから、私はとても気前が良くなり、大法の資料拠点に数千元ないし1万元(約15万円)を提供したりして、表面から見るとぜんぜん利益心がないようです。しかし、私は大法のためにお金を多く使う中で、我が家の全ての貯金を主人の親友に騙し取られ、その人はその後、永遠に消息が絶えました。私は主人を責めていませんが、当然、心の中ではしばらく辛い思いをしました。
貯金があった時期、貯金まで手を出さなくても私の給料だけで一家は豊かに生活でき、またお金の一部を出して資料点に供給できました。しかし今では、貯金をしたいなら大法のために金を出すことができず、大法のために資金を提供するなら貯金ができなくなっています。その時はじめて、お金に困る心境を味わいました! 以前、私はよく「お金に困らない生活はなんと快適なことか!」と感慨しました。
以前の私には利益心がなかったわけではなく、お金に困っていなかったから利益心がないように見えたのです。今でも、私は周囲の同修に比べればずいぶん収入が高いと言えますが、しかし私はけちになりました。同修たちは長年どのように乗り越えてきたのか、彼らの生活はずっと困窮な状態なのだが、と私ははじめて思いました。
ここ数年の修煉過程を思い出してみました。大きいことを言うと、職場での挫折と損失、小さいことを言うと肉を買う時に損得にこだわり、職場で功名心が強く、家庭内においても親孝行をする時に褒められるのが好きです。そのため、自分より能力が及ばないたくさんの人を私は傷つけて、修煉してからの生活と向上に多く不利な影響をもたらしました。それらの挫折と損失について、もし修煉していなければ、私はきっと他人のせいにして、時間をかけても忘れることができず、気が狂ったかもしれません。幸い私は大法修煉に入って、どんな事でも良い事として考えられるようになりました。
貯金がなく、給料だけで、更に一部を出して資料点に提供するなんて、心が痛いです! お金のために心が痛くなる感覚を、私ははじめて味わいました。それで、これからは家のプリンタに純正品のインクカートリッジを使うことをやめて、安いプリンタを購入して、安い互換インクを使おうと思いました。外出したら、ちょうど某ブランドのプリンタがセールしていて、ちょうど財布にお金があったため、私は即座に1台を購入しました。しかし家に持って帰って試用したら、印刷結果は悪くて色がひどすぎることに気付きました! 店は「このタイプのプリンタはこのような品質なので、商品自身に不良がないため返品はできない」と説明しました。
やむなく、私は内に向けて自分を探さなければならないところまで来ました。私は節約したのに、かえって無駄なお金を使ってしまいました。自分には利益心があるだけでなく、とても強いことに気付きました。金銭面に不自由がなかった時期に、その利益心は隠されていて、今、貯金を失った時に利益心がやっと現われました。
思わず自分が羊の肉を買った時の様子を思い出しました。羊の肉が高いため、店の人はよく買い物客が見ていない時に品質の悪い肉を混入したりします。羊の肉を買うたびに私は目を大きくして見張りますが、しかし毎回質の悪い肉を混入されました。帰宅してそれを見つけた後、私は見張りに失敗した自分を責め、怒りながらそれを捨てました。今になって思えば、たかが少々の肉のことで、嫌だったら袋から出して捨てればいいのに、腹を立てるだけの価値があるのか、店の人は常人だが自分は修煉者なので、そんなちっぽけなことで腹を立てたら、自ら品位を落とすことになる、と思えるようになりました。
私は心の中で師父に「師父、私は間違えました。すぐに改めます。今後どんなにお金に困っても、作成する真相資料の質を落としたりしません。たとえ私が1枚の資料しか作れなくても、資料をもらった常人にそこから大法の素晴しさを絶対分かってもらいたいです。師父、ご心配なさらないでください!」と話しました。
そのような一念があったため、師父は私を助けてくださいました。私はまず安値のプリンタを常人の友達にあげて、そしてずっと使ってきた純正品のインクを買いに行きました。ちょうどある店では通常価格の半分以下で純正品インクをセールしています。なぜこんなに安いのか理由を聞いたら、プリンタを買った多くの人はすぐにインク連続供給システム(訳注:プリンタ内のインクカートリッジと、インクが入った大容量のタンクをパイプで繋ぎ、タンクからインクの供給を受けるシステム)を導入するため、もともとプリンタに付属していた純正品のカートリッジは使わなくなり、店はそれを少しずつ蓄えて、半額以下の価格で安売りします。そうして、私は半分以上のお金を節約したことになりました。
母は老人ホームに入っています。旧正月に際して、老人ホームに感謝の意を表すために私は何かお歳暮を贈ろうと考えていました。ちょうど老人ホームの湯沸かし器が壊れたと聞いたため、私は湯沸かし器を贈ろうと決めました。店に行って老人ホームに寄付すると言ったら、店主は価格を原価近くまで下げてくれて、また取り付け工事の担当者に「工事料金を徴収する際に100元(約1500円)を超えないようにして、かつ最優先に工事をしてください」と頼みました。結局、工事の人は私が老人ホームに寄付すると知ってから、工事料金ももらわずにただで取り付けてくれて、私が渡した50元のチップももらいませんでした! 老人ホームの職員は湯沸かし器がとても使いやすいと言って、再三私に「ありがとう」と言ってくれました。私は「私は皆さんを感謝したいために湯沸かし器を買ったのです。皆さんはどうしても私に感謝するなら、私の師父に感謝してください。良い人になるようにとの師父のお教えがあるから、私は湯沸かし器を寄付すると決めたのです」と言いました。
その日、私はお金を節約しようと全く思っていなかったのですが、結局、予算より約1000元(約15000円)節約しました。
それから私は、印刷をする時に消耗品をいかに節約するかをもう考えなくなって、代わりに印刷ミスを犯さないように、以前より用心しました。肉を買う時ももう騙されないために目を大きくしたりせず、悪い肉が混入されたのを見ても、その場で黙っていることができ、家に帰ってそっと捨てています。だんだんと店の人も私の性格が分かって、ストレートに「悪い肉を混入しませんから、単価を通常より少し高めに設定させてくれませんか? そうしないと店も儲ける分がなくなります」と言ってくれて、私も「良いですよ。教えてくれたのは、あなたが誠実な人だからです。教えてくれてありがとう」と答えました。
「腐っても鯛」という俗語があります。全ての貯金が騙し取られたとしても、外観からはどう見ても、私が全財産を失ったようには見えません。ひいては「お宅の貯金、本当に全部失ったのですか」と疑う同僚がいて、「お宅の金、本当に全部取られたのですか。どうしてあなたの顔から悲しみが伺えないのか」と単刀直入に私に聞く人もいます。
実は、一人の修煉者として私は本当に何も失っていません。金が取られた翌日に、それまでに30分しか組めなかった両足は、その日から突然1時間組めるようになって、しかもほとんど痛くなく、入静もできました。
過去のことはもう過ぎました。将来、円満成就する時に私たちは人間世界の何もかもを置いて、持っていくものは功――比類ないほど貴重だが常人には見えないもの――しかありません。失ったこともそれだけの意味があると思いました。師父のご恩に報いるものはなく、ただ精進して精進して、衆生を多く救うしかないと思いました。