文/山東省の大法弟子
【明慧日本2015年5月12日】
師父は次のように説かれました。「大法弟子なので、お互いにどのようにすれば、より良く協力できるのかを考えるべきです。自分の意見がいくら良くても、採用されなければ、皆がよいと思っているやり方に協力し、よい結果を得られるように手伝うべきです。しかも、修煉なので、できるだけ自分が行なうべきことをしっかり行なうのです。自分の技術が採用されれば、はじめて修煉が向上できるというわけではありません。どのようによく協力しあい、これらの仕事を一緒にうまくこなしていくのかを考えるのが、修煉者の状態であり、これこそ、最も重要なのです。」[1]
また、師父は次のようにも説かれました。「お互いの協力において、不満に思ったり、激昂して怒ったりしているとき、なかなか自分を考えたり、自分がどういう状態なのか、出発点がどういう人心なのかを考えることができません。その多くは自分の意見が採用されず、またはほかの人を見下しており、この二種類の心は最も強く現れています。今もこの現象が存在していると私は目にしました。」[2]
私はいつも自分が他人より良く修めていると思い、大法の事なら何でもできていると、他の同修よりお高くとまっていました。自分の観念を強く同修に押し付け、自分は正しいと自分を堅持し、自分を表現したがり、自分を実証する心が強かったのです。自分の意見が採用されなければ、心に不満を抱き、協調人に協力せず、我を通し、同修を見下す心もありました。また、他の同修が褒められるのを見て、嫉妬し、心から同修の為に喜びを感じるのではなく、自分と同修の間の差を見つけて追いつく努力をするどころか、心の中で「彼(彼女)のどこがいいのか? ある部分においての修煉はまだまだではないか?」と思いました。これは党文化の要素であり、古い法理です。私はいつも法を持って自分でなく、同修の不足を測っていました。
自分と違い、協調人はいつも無条件に、同修達に交流の環境を提供し、同修達のグループ学法を組織し、資材を購入したりして、非常に大変です。しかし協調人はいつも黙々とこれらのことを実行し、全体に貢献していますが、それに比べ、私の修煉こそまだまだです。同修のこれらの良いところを思い出し、自分の内に向けて探すうちに、私の心は慈悲に満たされ、同修との間の隔たりが消え、代わりに同修に対する敬意が生まれました。師父が他空間でこれらの良くない物質を取り除いて下さったのでしょう。大法弟子は人心を持って、各自の意思で動けば、力が弱く、旧勢力に容易に撃退されます。問題に遭遇した際、内に向けて探さず、口論し続ければ、同修間に隔たりが生じ、旧勢力が存在する環境が生まれます。旧勢力が最も恐れているのは、大法弟子たちが一体になることです。そうなれば、大法弟子の全体の力が一切の邪悪な生命や要素を壊滅することができるからです。
協調人が私にもっと多くの真相CDを作るよう依頼してきた時、私は時間がないという理由で断りました。本心は、作りたくなかっただけです。それに他人に管理されるのが嫌で、様々な言い訳で自分の執着を覆い隠しました。自分自身は協調人よりも良く修めていると思い、他人を見下していました。本質に遡れば、それは嫉妬心でした。「『君は労働模範だから優秀だ。君のような人は、朝早くから夜遅くまで働くべきなので、この仕事は全部君に任せたよ。君はよくできて、僕たちはどうせだめだから』と、あてこすりをされますので、良い人になるのも辛いものです。」[3] 実際、良く修めていれば、素直に指示に従い、度量が広くなりますが、自分は協調人に嫉妬し、まさに良く修めていない証拠でした。
法会の際、私はいつも自分の良くできている部分を紹介し、よくできていない部分に触れず、内に向けて探すのも自分が正しいという基点に立って探しました。常に同修からの称賛を期待し、顕示心と名誉を追求する心がありました。
実際、ネットにつながらない時から、師父は私の強い人心をご覧になり、全体との連携を強化するよう教化されました。その時から、私は協調人とうまく連携を取り、法を実証し、衆生を救うプロジェクトがより大きな作用と果たすよう努力すべきでした。
私には多くの人心が出てきました。本当にしっかりと内に向けて探すべきです。私は1台のMP3を持っていて、それで法を聞く際、電池は1.5時間持ちますが、自分の不足を探す際に使えば、連続して10時間も使えます。これは内に向けて探す自分への師父による加持だと思います。師父よ、弟子は本当に意気地なしです。いつも師父に心配をおかけしています。ただ精進を持って慈悲なる師父の済度に報うしかないと思います。無条件に内に向けて探す、これこそ修煉です。
同修は鏡として、私の多くの不足を映し出してくれました。「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です。」[2] 私は師父の教えを心に銘じ、自分の執着を探し出し、心性が向上し、協調人と交流しようと思いました。ちょうどその時、同修も自ら私の家を訪ねてきて、「この間の私の言い方は少しきつかったと思います。お詫びします。どうか許して下さい」と言いました。私は「いいえ、こちらこそ感謝しなければなりません。多く学法し、内に向けて探すよう指摘されてから、私は多くの人心を探し出し、心性の向上が得られました。あなたは同修の修煉に責任を持って助言してくれました。実際、トラブルを前にして、無条件に内に向けて探す人こそが着実に修煉しており、向上を得られるでしょう」というと、同修も納得し、笑顔を浮かべました。
(完)
注:
[1] 李洪志師父の著作:『ロサンゼルス市法会での説法』
[2] 李洪志師父の経文:『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』
[3] 李洪志師父の著作:『轉法輪』