文/善勇
【明慧日本2015年5月24日】法を正す修煉が始まって以来、この十数年、個別の同修は個人修煉の基礎が弱いため、あるいは根本な執着を恬淡に見ることができないため、特に円満成就に向かう道で生死に関わる厳しい「試練」に遭う時、自分を修煉者と見なして目の前の選択に厳粛に直面できず、邪悪に妥協してしまい、かえって後で「声明発表」をすればいいと思っています。しかし、私の修煉境界から見ればそういうことではないと分かります。修煉は厳粛なもので、修煉者が修煉の道で遭遇するすべての関と難は、大きいか小さいかに関わらず、すべて人間か神かを選択する厳粛な試練です。
ある同修は不法に留置場に拘禁され、家族は警官に賄賂を贈り、その同修も警官に修煉しないと保証書を書きました。私の境界から見ると、彼(あるいは彼女)の肉体が対応する、法に同化していないたくさんの次元の空間は、何の前触れもなく、同時に、巨大で先の見えない、天地を覆い隠す砂嵐が吹き始め、各空間の青々とした山、透き通った水、草原、町、森は、その瞬間に砂に漏れなく覆い隠され、無数の命が奪われました。嵐が去った後、かつての美しさがなくなり、少しの生きる望みもない廃物になりました。ただ山谷や川の形に見える「化石のような遺跡」を少々残すのみで、時間が経つにつれ、だんだんと風に吹き飛ばされていきます。
一部の同修は不法な労働教養を科され、または判決を言い渡され、邪悪な迫害に我慢できず、妥協していわゆる「三書」を書きました。もし適時に邪悪の迫害を否定できず、損失を挽回できなかったら、あるいは思想を放棄して、長期にわたり自分を修煉者として見なさなければ、私の修煉境界で見れば、彼(彼女)の肉体に対応している、法に同化していない空間は、業力で構成された黒雲がすべての光を覆い隠し、多くの空間は吹雪を伴い、急速に温度が下がり、いかなる生命をも凍る温度にまで至っても、また下がり続けていて、降り出してくる雪は墨汁のように真っ黒で、厚く積もって、風が止まって雪も止むと、空間全体の多くの奥深い空間も静かになり、少しの生気もなく、氷が凍って割れる音だけが時々響いてきます。
師父が法を正す異なる段階で、異なる時期に異なる生命に対する相応の異なる基準があると、私は悟りました。基準を満たさない生命の物質要素、及び宇宙天体は、宇宙の歴史が過ぎ去るにつれ徹底的に解体されます。私は多くの天体空間の中の無量の衆生が、同修の長期にわたり取り除いていない執着によって宇宙の歴史に淘汰されたのを見ました。
法を正す修煉の中で小さい事はなく、みなこの上なく大きな事です。法を正す時期の大法弟子として、われわれの一念が無量の衆生の生死を決めるかもしれません。
師父は「いかなる人、またいかなる社会の勢力であっても、あなたは修煉するなと言われて修めなくなったのであれば、あなたはそうした者のために修めているというのでしょうか? それらがあなたに正果を与えられるのでしょうか? 心がそれらに傾いてしまうのは、迷信ではありませんか? 実は、これこそ愚昧なのです。ましてや、わたしたちは気功ではなく、佛法の修煉なのです! いかなる圧力であっても、佛法に対して根本から確固としているかどうかを試しているのではないのですか? 根本から法に対して確固としていないのであれば、何を言おうと無意味なことです」[1]と説かれました。
99年7.20に迫害が始まってから、私と同修は真相を伝えるため北京に行った後、不法に地元の留置場に拘禁されました。廊下に立っている時、いくつかの応接室にいる同修の家族たちは、泣きながら同修に大法を放棄するよう勧めていたのを見ました。ある同修の白髪だらけの両親は、同修の前で跪いていました。その時、午後の空に雨雲がびっしりと覆っていて、極めて抑圧的な雰囲気で、私の胸は鬱々として呼吸も困難でした。私が天目で留置場に対応する他空間を見てみると、ずっしり重い物質が黒い煙のように充満していて暗く、おびただしい数の醜い、半分人間で半分野獣の形をした邪悪や、異常で極めて怖い形をした邪霊がかすかに隠れているのを見ました。それらの中には、簡単な鎧を着ているものや、武器を手にするものや、異なる形の兵器を持つものがいて、例外なく皆一つ、二つあるいは多くの、赤色や黄土色の、あるいは金色と緑色が混ざった色の目で残酷に同修を見ていて、いつでもどっと取り囲んで切り殺せるよう準備している様子でした。私を不法尋問したのは一人の中年警官で、彼の背後の他空間には、一つの魔が立っていました。高さ2メートル程で、全身が暗い赤色で、細く黒い毛がびっしり生えて、腰のところに動物の皮を巻いて、黒色のヘルメットをかぶり、頭の回りには暗い赤色の光の輪があり、体の両側に八つの腕が生えていて、それぞれの手に刀、剣、斧、鈴、幟旗、人間の頭蓋骨と少し違う形の塔を持っていました。八つの上腕の真ん中と両足首にそれぞれ指3本ぐらいの鉄の輪がついて、鉄の輪に異なる文字で呪文が書いてありました。その魔の両目には瞳孔がなく、目は燃える炎のような色でした。警官の目が私に向いてくる時、その背後の魔の目から発せられた二つ暗い赤色の光束が私の両目に射し込んできて、直ちに私の肉体はめまいを感じ、軽く意識がもうろうとした状態が現われました。警官は私に、「あなたは法輪功に対するどんな態度なのか?」と聞き、私は躊躇なく「確固として法輪大法を修煉する」と答えました。それから自分が大法を修煉することによって、心身ともに健康になり、道徳が向上したことを話しました。途中でその警官は「もうよろしい。あなたの一言だけ『確固として大法を修煉する』と記入します。帰ってよろしい」と言いました。
この瞬間、他空間の各種の邪霊や魔王が突然消えて姿が見えなくなり、空間場が比類のない光明になり、虚空法界にいる師父の、この上なく偉大で輝く姿が見えました。師父は黄金色の袈裟を召され、81層の蓮の台に鎮座して、後ろの九つの色の大きな光冠が、比類なく輝かしい光を発して私の心身を照らしました。師父は慈悲に微笑まれながら、ほっとした気持ちで私を見ていました。師父の両側には、それぞれ九種類の異なる形象の神がいて、それぞれ両手で一冊の巻を持っていました。その中の一人の佛家形象の覚者が出てきて、黄金色の巻を持っていました。八つ切り程の大きさ(訳注:B4サイズよりやや大きいサイズ)で、厚さが80センチぐらいあります。彼は師父に叩頭した後、私の名前を巻に書かせることへの許しを師父に請いました。師父は頷いて許されました。私の名前(神の世界での名前)が、13ページ目の17行に記入されました。その巻の表紙の真ん中には篆体に似た二文字が書かれており、それは人類の言葉で「覚者」と言います。師父は再び慈悲に私を見られ、心に「我が子、精進せよ!」と師父の思惟伝達が届いてきて、ずっと私の頭の中に響きました。同時に私の体が瞬間に金色に輝き出して、芯から外見まで黄金色になりました。私の体全体、各次元の体、一つ一つの細胞までみんな震動してきて、その時、私の肉体が対応している各次元の各空間の無量の神や衆生が、みな盛大な祝典を行なっているのが見えました。みな叩頭して師父の済度の恩に感謝して、師父と大法の慈悲なる済度の恩を称賛しています。その感動の歌声が宇宙に響きました。私の脈もその楽しい太鼓の音と歌声に従って高くなり低くなり、いつの間にか涙が私の洋服を濡らしました。私はただただ「師父の慈悲なる済度に背かなかった。天国の衆生と神たちの心身ともの信頼に背かなかった。自分がやるべき事をやった」と思いました。その一刻の間、この世間のすべてが私といかなる関係もなくなったように感じ、心の中で何の考えもなくなって、静かにいるだけでした。
翌日、私が無罪に釈放され、他の多くの確固とした大法弟子たちも一緒に釈放されました。10月私と同修が再び上京して陳情しに行って、戻ってきた後不法に市の看守所に、30数日閉じ込められました。警官は私を尋問することなく、うちの母に迎えに来るよう2回催促しただけ、私が看守所を出た時、寒い風が顔を撫でて、薄い洋服だったけど、少しも寒さを感じませんでした。
法を正す修煉が始まってからこの数年の自分の心得ですが、大法弟子として宇宙真理への固い正念は絶対に動揺してはなりません。大法弟子の固い正念は修煉の道で遭遇するすべての障碍を打ち破る前提であり、大法弟子が代表する厖大な宇宙天体の中の無量の神と衆生を大法に同化させ、新しい宇宙に入らせる根本的な保障であり、大法弟子の宇宙真理への確固とした動揺しない正念が、偉大なる佛法の世間での最も有力な実証です。
私は普通の大法弟子の中の一人です。15年間の邪悪による迫害の歳月の中で、千百万の大法弟子たちが確固とした正念で正々堂々と、歴史上かつてなかった惨禍を乗り越えてきました。例え最も邪悪な黒い巣の中にいても、法を正す弟子の佛性の輝きが、依然として数多くの卑しい生命の心身を明るく照らしました。一人一人の法を正す弟子が歩んできた法を正す修煉の道程が、みな人間から神に向かう偉大な伝説であり、人間が神に向かう偉大な輝く叙事詩であり、未来に残した無数の世の人々に尊敬されることになります。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「誰のために修めるのか」