校長「これだけの人が煉功しているのは当然だ」
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2015年5月28日】私は1997年1月に大法の修煉を始めました。自分が歩んできた修煉の道を振り返って、本当に感慨無量です。もし師父の慈悲なるご加護がなければ、今の私はありません。私は自分がこの修煉の道を選んだことをこの上なく誇らしく、幸運に思っています。次に、私は修煉の中で、自ら経験した幾つかのことをお話ししたいと思います。

  一、「これだけの人がこの功を煉るのは当然です」

  2004年の夏のある日の昼頃、私は自転車で学校に出勤しました。校門前の道路に来た時、突進して来たオートバイに後ろから突き倒されました。私は仰向けになり、頭は地面に直撃しました。その時、私は心の中で「師父、私を助けてください」と叫びました。

  バイクに乗った若者はびっくりして、急いで私に「大丈夫ですか」と聞き、私を病院に送ろうとしました。私はすこし気を落ち着けて、「行く必要はありません。私は法輪大法の修煉者です。大丈夫です」と言いました。私はゆっくり立ち上がろうとしましたが、どうしても起きられませんでした。私は、頭がふらふらして、吐き気がして、腰も痛くて力が入らず、五臓六腑のすべてが辛く感じました。私は全身の力を絞って、若者の腕を捉えて、立ち上がりました。その時、私は、「大丈夫です、私は必ず立ち上がれる」と思いました。しかし、立ち上がっても、眩暈で歩けず、体がふらふらして、ちゃんと立っていられませんでした。数分後、私は足を引きずって、よろよろと何とか学校に入りましたが、自転車はすでに壊れてしまいました。

  同僚達は私のこの様子を見て、何が起きたか分からず、皆大変驚きました、彼らは私の当時の顔色がとても悪く、髪の毛がくしゃくしゃだったと言いました。私の頭につけていた髪飾りはあの若者が5メートル先の所から拾って来たそうですから、その衝撃の強さは相当のものでした。1人の同僚が私の髪を梳いてくれた時、私の頭にこぶしぐらいのこぶが出来ているのを発見しました。彼らは私を病院に送ろうとして、夫にも電話で知らせました。私は彼らに、「私はちょっと休めば治ります。皆さん安心してください。私は修煉者ですから、大丈夫です」と言いました。彼らは私を説得できないと見て、あの若者の愚痴を言い、「今日、彼は本当に良い人に出会いましたね。もし他の人だったら、彼は大金を払わなければ済まないでしょう」と言いました。

  30分程経って、夫が来ました。彼が入ると、先生達は、「早く張先生の頭のこぶを見てください。大きくて怖かったですよ」と言いました。夫は手で触って見て、「なにもないよ」と言いました。皆は、確かになくなっているのを見て、「ええ? これは速すぎます。ちょっと前にあった瘤が消えてしまいました。この大法は本当に不思議ですね」と言いました。

  夫は自転車で私を家に送りました。私は腰を曲げないまま、ゆっくりと歩くことしか出来ず、腰を少し左右に動かすだけでも激しく痛みました。その日、夫は夜勤で、私のことを心配して、会社を休むと言いましたが、私は反対でした。彼は出勤する前に、私に布団を敷いてくれて、また、杖の代わりに、二本の棒を探してくれました。私は棒を直ぐに庭に捨てました。私は、「私には師父がおられますから、杖を使いません。使えば、今度本当にやめられなくなります。入院と同じです。一念の差は異なる結果を招くから、あなたは安心して行ってください。明日の朝、あなたは帰ったら、私が作った朝ご飯を食べられますよ」と言いました。彼は少し躊躇しましたが、やはり家を出ました。さすがに私が長年修煉して、彼も私と共に多くのことを経験して、大法の超常を何度も経験していたからです。

  夫が行った後、私はベッドに寄りかかって、発正念をし、自分の問題を探しました。20分後、腰が少し動くようになりました。私は法を学び始め、正時になれば発正念をして、ずっと夜の12時の発正念をしてから、やっとゆっくりと横たわって寝ることにしました。

  翌日の朝4時に、私は起きて、煉功をしました。体が痛くて汗をたくさんかきました。特に第四式の功法を煉功した時、腰を曲げると、震えるほど痛みました。動作は正確にできなくても、私はできるだけ煉功しました。夫が朝戻ってきた時、私はすでに朝ごはんを用意していました。こうして、私は毎日煉功して、学校へは夫に送ってもらいました。しかし、事故後、私はご飯を食べても排泄せず、お腹がパンパンに腫れていました。その様子を見て、夫は少し怖くなり、病院に行こうと勧めましたが、私はきっと大丈夫だと彼に言いました。事故後の6日目の午後、やっと排便がありました。

  7日目になると、私は自分で自転車に乗って仕事に行きました。校長先生は私がこんなに早く元気になった姿を見て、先生たちの前で、笑いながら、「これだけの事故を起こしても弁償もせず、本当にあの若者はうまいことをしたものだ。しかし、病院に行っても、お金はともかく、こんなに早く元気にならないでしょう。これだけの人がこの功を煉っているのは当然のことだ」と言いました。

  仕事場の同僚は何度も私の身に起きた大法の超常現象を見ていました。特に、私は修煉して十数年、薬を一粒も飲まず、とても健康な姿を見て、皆は大法の真相を知り、三退をしました。

  二、断食中の奇跡

  2001年9月、私は県の洗脳班で断食して迫害に反対しました。断食の時間が長かったため、胃からの出血がとてもひどくなり、体重は60キロから35キロまで減り、人相も変わりました。警察は私を病院に送りました。医者は病状が大変だから、入院治療が必要だと言いましたが、私の強い要望の下、私は家に送られました。

  家に帰った後、たくさんの人が見舞いに来ました。私の様子を見て、一部の人は、彼女はもう長く生きられないだろうと噂をしました。私は、「自分は大法弟子で、真の佛法を修めており、師父はとっくに私の体を浄化してくださり、まったく病気なんかは無いはずです。これは迫害です。師がおられ、法があって、私はちっとも怖くない」と思い、心の中はとても落ち着いていました。一部の優しい人は再三に、「くれぐれもお大事にしてください」と言い、また、1人の同僚はとても親切に、「あなたの胃は相当なダメージを受けました。2、3年回復できないでしょう」と言いました。私は「大丈夫です。私には師父がおられます。佛法無辺です。家のご飯を食べて、煉功ができれば、私はすぐ元気になります」と言いました。

  私は自分が病人だと思わず、とにかく師を信じ、法を信じ、自分には病気なんかはないと堅く信じていました。家族にも、自分を病人として扱わないでほしいと頼みました。私は食べたいものを食べ、まったく自分の胃があれだけ出血したことを考えず、ただ、早く体を回復して、早く人を救うことが出来るようと願い、何でも食べました。餃子、麦麺、酸菜、紅心大根など、一日数回も食べました。しかし、粉ミルクやスープだけは一切飲みませんでした。当時、家族は本当に心配してくれましたが、しかし、私の体が日に日に元気になって行く姿を見て、彼らも安心しました。

  家に帰った翌日、私はベッドから降りて、動功を煉功しました。3日目の夜、私は娘について、真相ビラを撒き、真相シールを張り、人を救うことをしました。私は普段通りに、何でもやるようにしました。体の回復の速さに、私を知っている人の誰でも驚きました。特に家族は大法の超常をこの目で確かめました。

  2002年2月、私は再度県の留置場に不法に拘禁され、逮捕されました。入ったその日から、私は断食を始め、その間、2回灌食されました。灌食された時、私は協力せず、監獄医と警察6、7人が私を押えて、鼻から胃へ管を挿し込みました。彼らは8回挿し込んでやっと入れました。私は彼らが手を離した瞬間、一気に管を引っ張り出しました。その管は血だらけになりました。2回の灌食で、私の頬は鼻と同じ高さまで腫れ、顔はまったく別人のように変わりました。

  断食して9日目、監獄医は私の顔色がとても悪いと見て、私に点滴をしようと提案しました。私はそれを拒否しました。彼女は私の腕を掴んで、血圧を測って、呆然としました。私の上の血圧は60で、下は40でした。彼女はすぐ刑務所の所長に私を病院に送るように求めました。県の病院に到着したら、医者は直ちに緊急処置を取りました。実は、私はとても意識がはっきりして、心の中ではずっと発正念をしていましたが、しかし、医者は私が意識不明で、危篤状態だと診断しました。この時、大勢の看護師が私を囲んで、ずっと私の血圧の指数を報告しているのがはっきり聞こえました。0、5、10、5、0……その時、私も不思議に思いました。私はこんなに意識がはっきりしているのに、彼らは手違いではないか、血圧がなくなることはありえない、私には意識もはっきりあって、ただ体が動かず、目が開かないだけではないかと思いました。しかし、私は突然分かりました。それは師父が仮相を作ってくださったのです。私は家に帰る時が来たと悟りました。私は彼らに好きなようにさせ、心を静めてひたすら正念を発しました。医者の検査の結果は、私の五臓六腑、体中が病気だらけで、とても危険だということでした。

  直ぐに、夫は病院にやって来ました。私を囲んでいる大勢の医師たちが救急措置をしているのを見て、私がすでに死亡したと勘違いをして、彼は、私の手を取って泣き出しました。私は彼のことを心配していますが、しかし、体が動かず、声も出ないため、私は彼の手をしっかり握りました。しかし、彼は感じ取れませんでした。彼に感じさせるよう、師父にお願いしたら、彼は感じるようになり、また早く私を家に連れて帰るという意図も分かってくれました。彼は関連部門の幹部に、私を家に帰らせるように求めました。そこで、彼らはやっと手放しました。

  私は家で20日だけ休んで、職場に復帰しました。その間、薬をまったく使わず、学法と煉功だけに専念しました。私の体はとても早く回復しました。再度法輪大法の超常を実証しました。

 この十数年にわたる艱難辛苦を通して、大法の神秘的、超常的なことが私の身に、或いは他の同修の身にもたくさん、たくさん起きました。もし、あなたが本当に信じて、本当に「真・善・忍」に基づいて自分を律すれば、師父はいつでもどこでも、あなたの側にいらっしゃって、あなたを見守ってくださることを感じることができるでしょう。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/4/7/307053.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/4/17/149770.html)
 
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