文/山東省の大法弟子 小玉
【明慧日本2015年6月1日】1997年6月のある日の午後、私は洋裁店に洋服を作りにいきました。そこで、1人の人が法輪功の話をしていました。「法輪功は『真・善・忍』に基づいて、良い人になるように教え、煉功を通じて、病気治療と健康を維持することができる」と教えてくれました。私はそれを聞いて、とても素晴らしいと思い、その日の夜、彼女の家に功法を習いに行く約束をしました。
しばらく大法を修煉して、私の体に、天地を引っくり返すほどの変化が起きました。私の肌はきめ細かくなり、顔色は白に赤みが差し、今までの偏頭痛、腸炎、喉頭炎の他に幾つかあったの病気は全部治り、体も軽やかになりました。そして、私は次第に、法輪大法は修煉であること、宇宙の特性の真・善・忍に同化し、返本帰真出来ること、また人間の生死や転生を超脱出来ることが分かって来ました。
これはあまりにも幸運なことでした。私はこれが本当なのか、夢なのか、判断できず、まばたきをして、自分の皮膚を抓って、痛みを感じ、やっとこれが現実だと信じました。私はついに宇宙の最も大きな法――法輪大法を得ました。私は1人の法輪大法の弟子になりました。
それから、私は大法の佛光の中で、真・善・忍で自分を律して、心性の修煉を最優先にしました。職場では、こつこつと真面目に仕事をし、上司に与えられた仕事を選り好みせず、利益の前でも争うことをしなくなりました。長い間、誰も相手にしなかったトイレもきれいになりました。周りの人は私の変化を見て、少なからぬ人が大法修煉の道を歩み、ほかの気功を練っていた親戚も大法の修煉を始めました。
村の書記 「小玉は私達の村の最も親孝行な良い嫁です」と言った
夫は3人兄弟の三男です。義理の母が亡くなってから、兄弟3人は義理の父のこれからの生活をどうするかについて相談しました、しかし、結論には至りませんでした。その後、私は単独で義理の父に、「お父さん、これからどう暮らしたいかおっしゃってください。私達は皆お父さんの意見を尊重しますから」と言いました。義理の父は、「お母さんが生きているとき、『老後は、小玉(私の幼名)と一緒に暮らしたい。彼女は性格が良くて、優しいから』と言っていた。お母さんは先にこの世を去ったが、私はあなた達と一緒に暮らして、長生きしたい。賛成してくれますか」と言いました。私は、「当然です。それは私達を信頼しているからです」と言いました。兄と義理の姉達は私がお父さんと同居したいと聞いて、皆とても喜んでいました。兄は「お父さんは三男と一緒に生活をするから、私達はそれぞれ毎月200元を仕送りします」と言いました。私はただ笑って、何も言いませんでした。
お父さんは私達と一緒に15年間生活しました。この15年の間、2人の兄から一銭ももらったことはありません。しかし、私はそれについて一度も口にしたことはありません。
1999年7月20日、中国共産党の江沢民集団はすべての国家権力機関を使い、1億人もいる法輪功の修煉者に対して、残酷な迫害を開始しました。この「名誉を汚し、経済を潰し、肉体を消滅させる」という集団絶滅の極悪非道は、数多くの法輪功修煉者に残酷な迫害を蒙らせました。彼らは中国全土、さらに世界範囲で法輪功に対して天地を覆う勢いで、無実の罪に陥れ、誹謗中傷し、たくさんの世間の人々を毒害しました。
真相を説明するため、うそを明らかにするため、師父の潔白を取り戻すため、1999年から、大法に着せられた無実の罪を晴らすために、私は同修と二度北京に陳情に行きました。私達は不法に連行され、残忍非道な迫害を受けました。氷点下の中、私達は服を脱がされ、凍結した地面に、素足で手錠をかけられました。彼らは警棒で私達を拷問し、もっと卑劣なのは、強行に私達に酒、大小便を飲ませ、私達の歯を打ち落とし、耳から血が出るまで殴り、体中傷だらけにして暴行を加えました。夜になると、彼らは私達を外で凍えさせました。しかし、このようにされても、私達の大法に対する正しい信仰を揺るがすことはできませんでした。
こうして、私は地元でマークされる人物になりました。地元の「610弁公室」は何度も私を洗脳班に不法に連行しようとしましたが、すべて村の書記に阻止されました。書記は「小玉は私達の村の最も親孝行で、最もいい嫁さんです。彼女は義理のお父さんの介護をしなければならないから、彼女は行ってはいけません」と言いました。その後、「610弁公室」は村を通さないで、私を連行しようとしましたが、それも書記に知られ、こっそり私に情報を流し、私は何度も危険を回避することができました。
ある年の夏のことでした。私が職場で仕事をしている時、警官に不法に連行され、1カ月拘置されました。その年の年末、私は再び連行され、また1カ月不法に拘置され、お正月、元宵節はすべて留置場で過ごさざるを得なくなりました。その間、年配の親と幼い子供は心身ともに大きく傷つけられました。
妻の修煉を支持して、夫は福を得る
私が大法を修煉してから、夫は私が誠実で、優しくて、温厚で、穏やかになった変化を目の当たりにして、大法のすばらしさを実感しました。彼も大法の書籍を多く読み、私の修煉を応援してくれました。4、5年前のある法輪大法デーの朝、彼は地方から(彼は地方で仕事をしている)、「今日は世界の法輪大法デーです。師父にお祝いを申し上げます。法輪大法は素晴らしいです」とメールを送ってくれました。私はそのメールを見て、とても感動して、彼にお礼の返信をしました。
私は何度も嫌がらせと不法な連行に遇いました。彼は私のことをとても心配して、また、私の周りのたくさんの善良な人が迫害され、一部の人がいまだに刑務所にいると知っているので、彼はいつも「あなた達は凄いです。これだけ迫害されても、自分の意志を貫こうとしている、本当に感心しました。必ず安全に気をつけてください。でも、あなたは安心してください。あなたの前にどれだけの困難があっても、私はあなたを待っていますから」と言いました。私はとても感動して、「ありがとう。本当にありがとう。私は必ず安全に気をつけます。私は必ずしっかり修めます。私がしっかり修めなければ師父に申し訳ないだけではなく、あなたにも申し訳ないからです」と言いました。
結婚25周年の結婚記念日に、かれは私に、「25年間、あっという間に過ぎました。しかし、私はあなたを永遠に愛しています。長い間、私達は苦楽を共にして、直面した困難と圧力に共に耐えてきました。あなたがやっていることは、私はよく分かりませんが、しかし、私はこれまでと少しも変わらず、あなたを応援します。私を信じてください。これからも、私はあなたをもっと愛し、もっと大事にし、あなたを世界で誰からも羨ましがられる女性にします」とメールを送ってくれました。
大法に優しくする一念によって、天から幸せと平安を賜り、夫も福の報いを得ました。会社では、彼は抜擢され、給料は時には月に1万元ももらえるようになりました。時々、私が大法を実証することにお金を使うと、彼に一言言えば、彼は、「お金は全部あなたのものです、好きなように使ってください」と言いました。
ある日、私は同修と一緒に地方に『九評』を送った時、交通事故に遇いました。師父のご加護の下で、私達は皆無事でしたが、しかし、同修の車が壊れました。私は夫にこの事を話して、「もし師父のご加護がなければ、その結末は想像もつかないから、私達も車の修理代を出しましょう」と言いました。夫はそれが当然だと言って、同修に1万元を渡しましたが、同修は5000元しか受け取りませんでした。
最近、夫は足が痛くて、しかも、ますますひどくなって、歩く時も足を引きずり、トイレに行くもの大変でした。病院の検査では、骨増殖症と診断され、医者は、「どうしてもだめでしたら、手術をするしかない、特効薬はない」と言いました。最初、私は彼に師父にお願いして、誠心誠意に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じるように言いました。彼は「自分は法も学んでいないし、師父に相手にされるかどうか、心配です」と言いました。私は「あなたはこれだけ大法を受け入れ、私の修煉を支持してくれているから、師父は必ずあなたを見守ってくださいます」と言いました。それから、私は誠心誠意に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を念じて福の報いを得た多くの話をしました。彼は信じてくれました。彼は真心を込めて師父にお願いをし、毎日念じて、そして、この言葉を画像にして、携帯に入れ、携帯を開ければ見られるようにしました。今、彼の足の痛みはまったくなくなりました。
師父! ご安心ください。私は師父が按排されたこの修煉の道で精進し、さらに精進します。私たち家族全員は跪いて師父を拝みます。叩頭して、叩頭して、叩頭します。