母と一緒に修煉する中で執着を取り除く
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文/中国の大法弟子 李悟

 【明慧日本2015年6月11日】私は社会人の教育に携わる教師で、1996年に母と一緒に法輪大法を学び始めました。18年の修煉の中で師父の慈悲を浴び、大法の超常さも体験しました。

 一、大法を修煉して、人生観を変えた

 修煉する前の私は名利心がとても重く、どこにいても皆に重視され称賛されていたいと考えていました。そのため小学校に入学して大学院を卒業するまで、ずっと真面目に勉強してきました。成績も比較的良く、私はずっと先生と両親に褒められて成長してきました。働き出してからも、職場の上司と同僚は、私の才能を高く評価し、自分も「模範労働者」に推薦される事や賃上げなど現実的な利益に対して強い関心をもっていました。しかし私の心の中は充実してはおらず、憂鬱な時もありました。仕事上では誰にも負けたくなく完璧を追求するのは、実のところ自分の名声を重視し、失敗を恐れるためであり、結局、心理的な圧力が大きく不眠症になり、頭痛がし、授業をする時には緊張してしまって、生きるのがとても苦しいと感じていました。当時、私はまだ30代でしたが、見た目では50代のように老けていました。

 人は何のために生きるのでしょうか? 修煉する前の私は愚かでぼんやりとしていました。はじめて『轉法輪』を拝読した時、本に書かれている道理にすぐ惹かれました。私は一気に読み続けて、奥義の伝授を受けたようで、頭が澄んで、とても爽やかな感じがしました。特に「宇宙には、返本帰真しようと思えば、みな助けの手を差し伸べてくれる、という理があります。 人の生命は元に戻るためのもので、常人の中にいるべきではないと考えられています」[1]、「心地よく、病気にもかからないような真の解脱に達しようとするには、修煉するほかありません! 人に正法の修煉を教えることこそ、真に衆生を済度することです」[1]などの言葉は、私の生命や人生に対する今までの見方を根本から覆しました。生命の根源はどこにあるか、人生の意味とは何かが初歩的に分かりました。人生は、決して名利のためのものではありません。

 人生観が変わってからは、仕事で努力する事は変わりませんが、名利心が淡泊になって、良い評価を得るため自分にかけていたプレッシャーが無くなりました。同時に、長年、私を悩ませた、元気が出ない、長く歩くと呼吸困難になる、頭が痛い等などの症状も一気になくなり、とにかく心身ともに軽快になりました。修煉するまでは、私の体力では半日の授業しかできず、半日の授業でも終わると脱力感がし、話すこともおっくうで、ご飯を食べる気力もありませんでした。しかし修煉してからは、私はなんと連続して3日間半の授業をしました! その時、私は疲れは感じず、喉も疲れていませんでした(私の喉は以前、咽頭炎と診断されたことがある)。授業をする時いつも緊張していたのは、自己を固守する事からくる心理面のプレッシャーが原因であり、また心臓が悪いのも一つの原因だったのです。しかし修煉してからは、損と得の道理が分かり、心からリラックスすることができるようになりました。同時に、師父は私の体から「緊張」という物質を取り除いて下さったと思うのですが、どんな身分と地位の生徒に授業をしても、もう緊張しなくなり、授業の効果は以前より良くなりました。

 二、真相を伝えることを、大法弟子の逃れない責任として考える

 1999年の迫害が始まってから、私と母は慎重に考え、最後まで諦めずに修煉を続けると決心しました。そこで、私たちはすべての親戚と知人に「信仰の自由は国民の基本的権利で、中国共産党の迫害は違法行為だ」と説明し、2004年からは、周囲の知合いに「三退」も勧めました。

 同時に、私は授業の時にも真相を伝えることを忘れませんでした。私は自分の授業に「正念、理性、慈悲、智慧」の八文字の原則を掲げ、毎回授業をする前には、今日も順調に真相を伝えられるようにと師父のご加持を願いました。そして私は話題の切り口や真相の実例にも心を配り準備しました。時にはストレートに話し、時には暗示的に伝えたり、時には少し法輪功の話題に触れて生徒に考えてもらいます。例えば、民法の中の「健康を保つ権利」を説明する時、「国民の健康権」には健康を保つ方法を選ぶ自由も含まれていると生徒たちに説明します。つまり、国民は自分の身体条件や趣味に基づいて自由に体を鍛える方法を選ぶ権利を持っていることです。国民はスポーツ鍛煉、ダンス、太極拳を選ぶことができ、当然、気功を選ぶ権利もあります。だから、中国政府は法輪功の修煉を禁止することは、国民の健康権を犯すことになっていると私は説明します。私は、自分に恐れる心がなければ、自然に話して適切な例を挙げ、合理的に分析すれば、生徒たちは充分に受け入れてくれるという事を体得しました。

 三、対立の中で内に向けて探す

 父が10数年前に亡くなった時から、私はずっと母に付き添って一緒に住んでいます。同修である私と母には共通の話題がたくさんありますが、トラブルも少なくありません。私が2010年に退職する前まで、母はとても精進していて、三つのことを、私よりよく行っていました。3回もの大きい病の関に遭っても、母はいずれも生死を放下して突進してきました。その時の母は心身ともに軽快で、良い修煉状態を保っていました。

 一方、私自身は人心を放下できないために心性の向上が遅くて、よく小さな事のために母と口論します。父がまだ生きていた頃、我が家はどちらかというと民主的な雰囲気で、両親は子供たちに対してずっと平等な態度で接していました。それに両親から見ても、私は小さい時から頭が良く、自分の考えをしっかり持っていた子供だったので、母はどんな事でも私を頼りにして相談してきました。そのため、だんだんと私は兄弟より傲慢で強い性格の持ち主になり、闘争心が強く、相手の不足をよく指摘したりしていました。大法を修煉してから「真・善・忍」で自分を律する事は分かっているのですが、自分のやったことが道理に適っていると思う時は、やはりよく相手の良くないところを指摘したり非難したりして、修煉前とあまり変わっていませんでした。

 母との間にトラブルが発生する時、自分は家族のためにたくさんの苦労をして、母に対しても力の及ぶ限り長年面倒を見てきて、他所の一人暮らしをする老人はみんな母のことを羨ましがるのに、母はなぜいつも満足しないのか、と私はよく思っていました。しかし、母が私に対して持つ印象は、「話す言葉は辛辣で、相手の些細な間違いを掴み、決して許したりしない」だそうです。そのうえ不思議なのは、私が母の好きな食べ物を買ってくる時、よく母にけちを付けられたり、好意を疑われたりします。その時こそ自分の乗り越えるべき関だと私は悟らず、往々にして怒りを抑えられませんでした。時々私は「母と別れて住むほうが良いかもしれない、ずっとお母さんと一緒にいると、私の修煉は台無しになるかもしれない」と言いました。母は聞いてただ涙を流していました。私が思うには、母はいつも私の我慢できる限界を超える言動をして、一方、私はいつも「限界」のところで耐えることができないため、だんだんと修煉ができなくなります。まさしく私は相手の事は修めるが、自分の事は修めたくないような人間でした。ちょうどその時、海外に住んでいる兄が母を招待し、母は兄の家に行きました。私はその時に爽快な解脱感を覚え「しばらく母と別々に生活したほうが良い」と思いました。

 しかし母が海外に行ってから1カ月すると、毎日、母の事が懐かしく思われ堪らなくなりました。自分が抱いた母に対する怨恨や文句を思い付くと、私は悔し涙を流しました。また母の周囲にも学法と交流ができる修煉者がいないため、よく私に電話をかけてきて、帰国したいと訴えました。母と一緒に大法修煉を始めたこと、一緒に学法をして煉功をした日々、一緒に真相を伝えていた日々を思い出すと、しばらく別れて生活したのは、母との修煉の縁を大切にさせ、自分のした事を反省させるためだと分かりました。今後、私は必ずトラブルを心性を高めるための良い事として考えるようにし、「私は必ず円満成就したい」と師父の写真の前に懺悔して誓いを立てました。

 1年以上も離れた母をやっと迎えることができて、私は感無量でした。しかし、母の修煉状態は不思議な事に後退していました。母の足には、ひどい「病気」の状態が現れ、歩くことが困難な状態であり、記憶力が衰退し、5セットの動作や発正念の訣を忘れたりしていました。また学法する時は、小学生でさえ読める字も読めなくなり、自分が修煉を始めた時期や修煉の過程も忘れ、ただ師父の名前と、今やっているのは法輪功であるという事だけしか覚えていませんでした。私は心配し不可解にも思い、はじめは「常人(兄)の環境で一年も生活して、修煉状態がこんなに落ちてしまった」と心の中で母を責めましたが、こんな時にすぐ母を非難するのは「善」ではなく、母を助けて以前の修煉状態に戻す事が大事だと思い付きました。そして、母が今の状況になったのは、私の執着と何か関係がないだろうか、と私は考えました。例えば、学法において、以前の母は私よりしっかりしていました。私は朗読をすると喉が疲れるのでいつも黙読していたのですが、母はいつも声を出して朗読していたのです。今は、私は毎日、母に『轉法輪』を読み上げないといけません(最初、母に師父の説法の録音を聞かせていたが、プレーヤーが相次いで2台も壊れました。それは師父からの教化だと思う)。しばらくの間、毎日読んであげていたら、疲れを感じなくなりました。

 また母は発正念の動作も忘れてしまっていて、母に何回も教えてもなかなか覚えず、私は心身ともに疲れきって、もう諦めたいと思いました。しかし母のような弟子でも師父は決して諦めることはしないのではないか、現世、母と親子になって一緒に修煉できるのは多大な縁があるためで、私には諦める理由はないのではないかと思い、それから私は母のために発正念して、他の空間にある母を妨害する要素を滅しています。

 母の足が悪いため、私は母を自分の家(エレベーターも設置)に迎えました。我が家の内装は斬新なもので、私は普段からきれい好きな人間なので、そんな事を気にかけない母は、私に多大な迷惑をかけました。特に母の果物の種や魚の骨などを地面にポイと口から吐き出す習慣が、私は一番嫌いです。しかし私が注意すればするほど、母はもっともっと吐くようになりました。更にひどいのは、なんと母は自分がしたことを認めず、私に無実の罪を着せられたと弁解しました。何回か私は我慢できなくなって大声で母を怒鳴りました。しかし少しも効果がありませんでした。冷静になって内に向けて探すと、自分には潔癖の執着があって、周囲の人に自分の意志に従うように強制していたため、自分も周囲の人も辛い思いをしたのだと気付きました。私は自分の考え方を調整し、再び母がまたものを吐いたりすると、私はもう怒ったりはせず、吐いたものを拾い、床をきれいに拭き、温和な口調で母に「お母さん、今度はお皿の中に吐いて下さいね」と言いました。すると母は分かったようです。

 ある日、一晩に母は3回もおねしょをした事もあり、私は忙しく片付けていましたが、母に怒ったりしていません。内に向けて探すと、昼間に親戚からの電話を取った時、私は相手に、母の面倒を見るのは大変だと不平不満をもらした事を思い出しました。苦しみに平然と直面することができていないため、こんな面倒なことが起き、何度も試練を受けなければならないのだと私は分かりました。私は「迷惑、負担」などの考え方を放下しました。そして母の面倒を見ることを「重荷、苦難」として考えなくなった時、母のおねしょは二度と現れなくなりました。

 長年の修煉の中、よく乗り越えた関もあり、よく乗り越えなかった関もあり、個人修煉においても衆生済度においても、自分にまだたくさんの不足があります。私は必ず師父の期待に背かず、師父が下さった機会を大切にし、最後の道をきちんと歩みたいと思います。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/2/22/304402.html)
 
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