15年の辛酸の中でも、煉功を怠らない
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文/中国の大法弟子の口述、同修の記録及び整理

明慧日本2015年6月25日】

 私は中国の南方生まれの大法弟子で、今年50歳過ぎになります。それほど年を取ってはいないものの、子供の頃家が貧しく、大人は忙しく、お金がなく、自分も年下の兄弟の面倒を見なければならないため、学校に通ったことがありません。弟に隠れて学校に行き、学校の正門をくぐりましたが、小学校に一年も通うことはできませんでしたので、修煉する前は字も読めませんでした。

 若いとき、ある日、柴刈りに山に行きました。しかし、柴に背中を傷つけられてしまい、ひどい傷を受けました。当時はちゃんとした治療も受けられず、家で様々な漢方薬や薬草に毒されながら気絶するほど食べましたが、傷は治らず、かえって余計な病まで増やしてしまいました。力がなく、歩くのも一苦労でした。いまにも死んでしまうかのようで、同じ村の老人たちにも、もう助からないと言われました。

 それから、夫と共に都会に出ました。ずっと病に苦しめられるうちに、夫にも愛想をつかされてしまいました。私の世話をしないだけでなく家にもあまり帰ってこなくなりました。夜、あたりが静まったとき、私は何度も屋上に行き、そこから飛び降りてすべてを終わらせようと思いました。しかし、まだ幼い子供は私が死んだあと世話をする人がいません。また、隣近所の住民も気もち悪がり、文句を言いかねないと思い、飛び降りる勇気がなくなりました。まさに常人の言葉通りです。「生きることも、死ぬこともできない」

 あの年から涙が止まらず、1998年まで流していました。ある日、私は法輪功功法煉功を始めました。知らないうちに病がなくなり、力も漲り、体の痛みもなくなりました。気分も明るくなり、毎日が楽しくなったのです。朝早く煉功拠点に行って煉功し、初めての座禅で30分も足を組むことができました。煉功を毎日続け、夜も学法チームに行って法を勉強しました。私は字が読めないので、同修が読むのを横で聞きました。私が生き返ったのを見た夫はよくしてくれました。まるで新たな命を得たような気がして、新しい幸せな生活を始めました。

 99年の7.20に、中共の大法弟子への強烈な迫害が始まりました。そのため、煉功拠点も学法チームもなくなりました。法の勉強と煉功は自発的なもので、行かなくてもだれも何も言いません。そこに行って、法を勉強して煉功しても、お互いの名前も知らないし、どこに住んでいるのかもわかりません。急に迫害が起きたため、同修を見つけようにも見つけられませんでした。当時の私は『轉法輪』も読めず、法理も分かりませんでした。その上、夫は幹部でもあるため、圧力も大きく、そのうち、自分を緩めてしまい、1年ほど、煉功しませんでした。

 煉功をやめた後、以前のすべての病がまた戻ってきました。私は再び病院に通い始めましたが、医者もなす術がありませんでした。ある日、その医者は私に耳打ちをしました。「やはり、あなたには法輪功の煉功を始めるしか道はありません。家で隠れてやれば、誰もわかりませんよ」と言いました。そして、私は再び煉功を始めました。それからは1日もやめませんでした。いろいろな症状もすぐになくなり、体もどんどん良くなって、軽くなり、常人が見ても、飛んでいるようだと言ってくれました。

 改めて修煉を始めて、法を勉強しなければならないことを知りました。しかし、私は字が読めないので焦りました。慈悲な師父は法を勉強したいという私の心を見て、助けてくださいました。すぐに家族の助けで、同修が見つかりました。その同修は教養レベルが高く、私と一緒に法を勉強してくれました。指先で一文字一文字指しながらゆっくり読んでいきました。大法は素晴らしいです。今の私は『轉法輪』だけでなく、他の大法の書物や週刊、小冊子など、何でも読めるようになりました。修煉の中で、私はあることを理解しました。きちんと法を勉強していれば、煉功するときも心を静めることができます。心を静めることができないときは、心性を高めなければならない時が来たのです。

 明慧ネットで統一された煉功時間が発表される前まで、私も早朝に煉功をしていました。もし、朝に煉功しなければ、昼間では補える時間がありません。明慧ネットが煉功時間の統一を発表して以来、私は毎日時間通りに起床し、顔を洗い、煉功の服に着替えてから煉功を始めました。パジャマで煉功するのは師父に対して不敬だと同修が言いました。私もそうだと思い、煉功専用の服を準備しました。第五功法を終えると、足を緩めることなく、そのまま発正念をします。朝に用事がなければ、足を組んだまま一講の法を勉強します。以前は、発正念を終えてすぐ二度寝をしていました。しかし、二度寝に入ったときに限り悪い夢を見ます。これは寝てはいけないと悟った私は、それからは二度寝をやめました。しかし、前日の修煉状態が良くないとき、いうべきでない言葉を口にしたとき、翌日の煉功で、足が痛み出します。大きな過ちを犯したとき、足の痛みがひどくなります。

 春、夏、秋、冬にかかわらず、煉功しているときはエアコンをつけません。以前、師父がうちわであおぐことについて法を説かれたことを思い出しました。説法のビデオを見て、どんなに暑くても、師父はうちわも扇風機も使わず、いつもきちんと服を着ておられました。苦痛を感じて、汗を流すことはよいことです。なれれば苦とも感じませんでした。

 煉功しているときはできる限り心を静め、余計な考えを抑えます。頭の中で余計なことを考えながら煉功することは師父に対して不敬だと思います。本当に心が静まるとき、自分の体がどんどん大きく、高くなっていくのを感じることがあります。

 毎日続けて煉功することは、時にはいくつかの困難を乗り越えなければなりません。今年の初めに、夫が突然入院したため、病院の隣に家を借りました。その間も、私は毎日煉功を続けました。そして、数カ月後に夫は退院しました。

 ある日、買い物に出かけているとき、突然、夫が亡くなりました。その時、孫はまだ生まれたばかりで、夫は一目も見られませんでした。この突然な出来事に衝撃を受け、ベッドから起き上がれませんでした。同修がすぐに来てくれて、法理から交流してくれました。そして、一緒に法を勉強してくれたので、すぐに、自分は孤独ではないと感じました。なぜなら、自分には師父と同修がいるのです。そして、私を悲しませているものは、なくさなければならないものです。翌日の朝、私はいつものように時間通りに起きて煉功しました。そして、いつも通りの穏やかな生活が戻ってきました。

 同修と、この交流文章を書こうと約束した後の事でした。夫の父親が亡くなったと実家から連絡が来たのです。長男の妻として、すぐに帰って後の事をいろいろとしなければなりません。実家に帰った2日間、私はあまり寝ていませんでした。しかし、ホテルで、息子夫婦の同意を得て、毎朝時間通りに大陸大法弟子の一斉煉功に参加しました。

 修煉の最後の日まで、私は煉功を続けます。修煉者になりたければ、煉功しなければなりません。そして、最も簡単な事実もわかっています。朝に煉功しなければ、昼間に補う時間はありません。いっぱい遅れてしまうと補うことはできないのです。この純粋な一念で15年間続けてきました。

 これからの道がどんなに遠くても、まっすぐ修煉の道を歩み、決して外れません。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/5/25/309729.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/6/4/150900.html)
 
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