法の中に溶け込む(二)
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文/中国の大法弟子 净心口述 同修整理   

 【明慧日本2015年7月17日】

 三、うちに向けて探し、悪い要素を取り除く

 私は大法のもう一冊の本『轉法輪』を購入しました。問題に遇うとき内に向けて探し、心をしっかり修め、安定した修煉状態を保とうとしました。ある日、全身が1時間あまり非常に痛みました。しかし、法理からこの痛みの原因が分かっていたので、痛みの中でも大法を修煉して本当に良かったと、苦の中でも喜びを感じました。

 長年の修煉の中で、絶えず心性を向上させ、一般の状況下で常人のものに心が動じませんでした。いくら罵声を浴びても傷つきませんでした。家族はいつもにこにこしている私をよく見ていました。

 ある日同修の家で学法している時、夫が尋ねてきて何も言わず、私の髪の毛を掴んで引っ張りました。私は怒らず、「まずその手を放しなさい。あなたと家に戻りますから」と言いました。修煉するまえ、夫に叱られたら憤りのため全身が痛くなりましたが、修煉してからは、平然と対処することが出来ました。姪が「おばさんは、あんなにひどくしかられても、まるで聞いてないように平然としていますね」と言うので、「修煉者はまず忍ばないといけません。忍ができなければ修煉者とは言えません」と話しました。

 ある日の夜、学法が終わってから家に戻ると、夫はドアを閉めて私を入らせませんでした。私はちっとも怒らず、入れなければ、息子の車で座禅をしようと思いました。中国の東北の冬はとても寒いのですが、私は座禅をして温かいエネルギーを感じ、寒さを感じませんでした。息子が帰ってきてから、私は息子と一緒に部屋に入りました。

 心性は向上してきましたが、まだ人が修煉しているわけで、自分でも気が付かない人心が出てくる場合があります。息子の嫁が妊娠してから食事に対する要求が多くなりました。私は我慢しましたが、後に息子の嫁は新鮮な鶏肉を食べたい、生きた鶏を買ってと言いました。私はやむを得ず、鶏を買ってきました。息子の嫁は孫より鶏が重要なのかと文句を言いました。数日後また鶏を買ってくれと言われて、私はこれはいけないと、うちに向けて探しました。最近は息子の嫁に対する不満が多く、息子の嫁の面倒を見るのを煩わしく思っていました。嫁が妊娠してから、食事にこだわるのは当たり前のことなのに、なぜもっと気を使ってあげなかったのでしょうか。しかし殺生はやってはならないと思いました。翌日から料理をつくるとき、もっと息子の嫁の健康を考えて作りました。それから息子の嫁は「お母さんの料理はますますうまくなってきましたね」と言い、鶏の話は二度としませんでした。いかなるトラブルも自分の人心がもたらしたことでした。

 ある日、家族と外食しましたが、私は先に孫を連れて家に戻りました。家に戻ってインターネットをしている時、息子の義理のお母さんがやってきました。彼女は私が孫のご飯を作っていないとぶつぶつ文句をいいました。「先に帰ってきたのに、なぜ子供の食べ物を作らないのですか。あなたは皇后さまだ。私がやるしかないですね」と皮肉りました。私もカッときて「あなたの孫でもないのでやりたくなければ、やらなくていいです。私がやります」と話しました。「法輪功のために使っているプリンターは捨てなさい。私の娘に迷惑をかけないでちょうだい」と叫びました。私もすぐ自分が間違っていることが分かり、法を実証することに影響を与えるところでした。私はすぐ謝り、息子の義理のお母さんも落ち着きました。

 トラブルがやってきたとき、自分の人心をコントロールできない場合があります。ある日、息子の嫁が私が孫を抱っこする時いつも高めだと文句を言いました。「私がやることすべてが気に食わないのね」と怒ったら、彼女は「お母さんはこんなことでさえむきになりますね。昔はこうではなかったのに」と話すと、彼女のお母さんは皮肉に「修煉しているんだって、これは偽りの修煉ですね」と話しました。私はすぐ頭が冷静になって「私は真に修めなければならない」と自分に言い聞かせました。私はうちに向かって探し、他人に言われたくない心を見つけました。ちょっとでも言われたら爆発してしまい、自分のやっていることはすべて正しいと思う傾向がありました。私はすぐ発正念をして取り除きました。これらの人心は本当の自分ではなく、すべて取り除くべきでした。真の自分は他人を先に考える生命なのです。

 問題の根本がどこにあって隙に乗じられたのか、もう一歩うちに向けて探しました。この数日常人と常人のテレビを見て、良くない物を頭に入れたのです。人の物が多くなってくると自ずと法から離れてしまいます。師父は「人間は目で何を見ても大丈夫で、見たくなければ見なければいいと言っています。違います。目に入ってしまえば、身体に入ってしまいます。いかなるものもほかの空間で身体に入ることができます。長く見れば見るほど、たくさん入ってきます。テレビ、パソコン、どのようなものでも見たら、入ってきます」 (『2010年ニューヨーク法会での説法』)と説かれました。

 後の数日、息子の嫁と彼女のお母さんがテレビを見る時、私は見ないようにしました。常人のものが頭に入りすぎると、また彼女らを怒ってしまうかもしれないと思いました。次第に彼女らもテレビを見ないで、たまに大法の資料を見たりしました。息子の嫁も「週末は時間があるので、同修の家に行って、交流してください」と話しました。私が人心を捨てると、隔たりがなくなり、彼女らも大法に近づいてきました。

 夫のお姉さんからの心性の試練も多くありました。夫が亡くなってからお姉さんはしょっちゅう私を怒りました。ある日夢を見ました。ボロボロになっている家の中で、私はお姉さんにひどくしかられましたが、私の心は動じませんでした。この時ボロボロの家が金色に耀く天国世界に変わり、その美しい景色は言葉で表現できませんでした。目が覚めてから、夢の光景を考えていると、師父の声が聞こえてきました。「純粋に修めて向上しなさい。これは重要です」。本当にはっきり聞こえてきて、私はすぐメモをしました。師父の弟子に対する悟らせと励ましに心から感謝します。

 長年、身体のどこか痛みを感じた時、すぐ自分のどこに漏れがあるのかとうちに向けて探し、他人に言われて機嫌が悪くなった時、すぐ何の人心が残っているのかと探しました。探しだしたら放任せず、すぐ取り除いて、法の中で自分を正しました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/6/26/311306p.html)
 
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