江沢民を告訴する事をよく行うには、修煉を更に重視する必要がある
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文/中国の大法弟子

明慧日本2015年8月14日】私たちは、現在行っている江沢民を告訴する事をよりよく行うために、今まで以上に自分の修煉を重視しなければなりません。常に自分が修煉者であることを心がけ、執着心を見つけ、それを抑制し、取り除く必要があります。人心が強くなればそれは修煉ではなくなり、常人が大法の仕事を行う事と一緒になります。

 告訴する過程では、任務を達成する事に執着する心や、円満成就を求める心、自我に執着する心、メンツを重んじる心、大多数の意見に流されてしまう心、顕示心、怨む心などなどの人心も、多く出てくる可能性があります。私たちはそれらの人心に動ぜず、その心を見つけ出し、それを取り除かければなりません。師父は私たちに「主意識を強くもつべし」[1]、「心を正しくもつべし」[1]、「心が正しくないとはどういうことでしょうか? それはいつも煉功者としての自覚が欠けていることです」[1]と教えてくださいました。

 自分が何をしているのか、なぜこうするのか、目的意識をはっきりさせる必要があります。人心を自分と見なさず、それらに動じないように、法に基づき物事を考えなければなりません。そして表面での勝ち負け、成敗を重視しすぎないように、自分が煉功者である事を軽視してはいけません。つまり私は、江沢民を告訴する事において、同修たちにこれらの事に注意してもらいたいと思います。

 私はかつて師父が説かれた「心を正しくもつべし」[1]、「主意識を強くもつべし」[1]に対して、深く理解することができておらず、悪い事をせず、悪い事を考えなければ、それで自分は心を正しくもっているのだと思っていました。しかし、それは常人の考えに過ぎませんでした。煉功者の場合、常に「自分は修煉者である」ことを意識し、修煉者の基準で自分を律しなければなりません。これこそ煉功者の「心を正しくもつ」「主意識を強く持つ」ことになります。もしどれが本当の自分で、どれが思想業力か、何が執着心なのか、どれが後天的に形成された観念なのかを識別できなければ、それらを自分と見なしてしまい、自分の考えと行動を支配されてしまえば、それはつまり、心が正しくなく、主意識を強くもっていないことになります。長期に渡ってこのような状態であれば、それは煉功者ではなくなります。

 1999年当時、私たちが北京へ法を実証しに行った時も同じだったように、人によって動機が異なっていました。自分の当時の認識は「円満成就したければ、北京へ法を実証しに行かなければならない」、つまり自分の円満成就を第一義にしました。真相を伝え、法を守る事を第一義にすることができなかっただけではなく、法を実証する目的も達成できませんでした。

 今また、江沢民を告訴することにおいて、私たちは、この過去の過ちを教訓にすべきです。基点を正し、自分の円満成就のためではなく、師父が求められたように衆生を救い済度し、法を実証することこそ、大法を円容し、心を正しくもち、主意識を強くもつ、ことになります。私たちはまだ何を恐れているのでしょうか? それらの人心がまだ、作用しているのでしょうか? しかし、このことをやり遂げるには、しっかり法を勉強し、同修とよく交流し、認識を向上させる必要があります。江沢民を告訴すると同時に、今までの自分のプロジェクトを引き続き、更によく行わなければなりません。一言で言うと、常に修煉者の正しい心の状態をもって、修煉を行えば、いい結果にきっと繋がるのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/7/31/313380.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/8/12/152036.html)
 
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